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お母さん、おめでとう。

母が60歳になった。

私の最後の砦としていたゴールの期限が来た。親が60歳になる前に独り立ちすると決めていた。

呆気なくきてしまった。

60歳という大きな人生の節目を
迎えれば、子どもたちは独り立ちして
夫婦の時間や一人の時間をくつろぐ年齢なのに、未だ娘が扶養にいて自立できず、実家暮らしで、かといって家事までやっているわけでない。そんな60歳になってしまうなんて母は思い描かなかったはずだ。


 だから、私が独り立ちすることが、
最高の親孝行だとわかっている。年齢を考えれば、独り立ちどころか結婚して子どもを産んで自分が母親の立場になっていてもなんの不思議もない。
 私はまだ、「両親にとっての子ども」の立場のままで、今、職場で会う児童たちとその点はなんのかわりもない。


 私は、幼稚園の時からなんとなく母が苦手だった。母娘友達みたいな関係の親子がよくいるけれど、ああいう関係にはならなかったし、なりたくないと小学生の時から思っていた。

 母のことを「ママ」と呼んでいたのは記憶にある限り幼稚園までで、
 多分、幼稚園か小学校入学以降は「お母さん」。


 相談もしないし、進路も何もかも自分で決めて、出資者である父にだけお願いや話を通していた。


 学校の話も特段する必要を感じていなかったからしたことがなくて、


 小さい頃から
「同級生の○○ちゃん、*○なんだって?ママ友の方々から聞いたわよ。なんであなた知らないの?」とか

 「みんな○○って言ってたけど…」とかやたらママ友情報で流れてくる同級生の話題を知らなくて色々いわれた。


 同級生の誰がどの大学を志望してようが彼氏ができようが、どこに就職しようが、いや同級生どころか私の場合友人でも、「だからなに?」という気持ちが正直なところである。これは今も変わらない。それに、ママ友のその人の言うなんとかちゃん、その子は仲良いけど私は仲良くないし。とか。


 まあそんなこんなで、母とは
話も合わなかった。それから、
私は洋服に興味がなくて
やっと興味が湧いてきたのが大学4年から大学院生の時で22歳くらいになって少しずつ挑戦して買ってみるうちに自分の好きな服や似合う服本当に少しずつわかるようになってきたのだけれど、それまでは母が買ってきた服、母が好む服を着ていた。そしてそれは、私の好きな服ではなかったと洋服を自分で選ぶようになって知った。私が自分で服を選び、好きだと思える服がわかってきてそういう服を着ると、母は
「変なの」「なんでそういう格好」と言った。そう言うのが余計に嫌だった。


 それから、スマホの前までは、
携帯の履歴もメールのやりとりも電話した相手も、友達に書いた手紙ももらった手紙も交換日記も日記も何もかも小さい頃からチェックされていた。誰が友達なのか、なんであの子が仲良くしてる○○ちゃんとあんたは友達じゃないのか、なんで☆♪ちゃんと仲良くするのか、などと本当に今でも言われるくらいで、20数年間言われ続けた。


 好きな男の子に書いた手紙も、
彼氏とのLINEのやりとりも見られていたし、Twitterに至っては私のアカウントにログインして見ていた(ことに弟に言われて知った)。


 そういうことを小さい時から嫌だと言うと「親なんだから管理するのは当たり前だ」とか「子どもなんだから意見などない」とか言われたものだ。


 進路に関してだけはやりたいと言ったことを好きにやらせてくれたけれど、こういう縛り付けが嫌だった。


 特に母とは趣味も考えも価値観も今も合わなくて、母のことを好きかと言われたら好きではない。感謝はしているが好きではない。これは父に対しても。仮に結婚しても、他人の目さえ気にならないなら両親とも出席してくれなくていいと思っているくらいには。
二十代前半まではすごく反発もしていた。私が大人になって両親も私に口をたくさん出さなくなって衝突が減ってきただけ。


 でも感謝はしている。
 私自身は長生きなんてしたくないけど両親が長く生きたいなら両親には長く生きて欲しいと思うし、27年間育ててくれたことや与えてくれた環境、今の状況を考えれば、両親には好きなことをして、笑顔でいて欲しいと思う。 

 そしてそれは多分、
「ゆかまるちゃんのお母さん」
という人生ではなくて、
母自身のやりたいことをやり、
母が楽しい人生を送って欲しいという気持ちなんだろう。


 たくさんではなかったがやはり
多少は自分のやりたかったことやしてみたいことを私たち子どもに期待してきた母に、母の子どもである私、という存在ではなくて私には私の人生があって、その私の人生の中に出てくる出演者としての母なのであって、私の人生はあくまで私のものだと思うのと同じように、


たしかに私は母の子どもであるけれど
母から見たらそれは
「大人になって結婚をして子どもを産んだ」という出来事の産物で、
子どもがいるというのも母の人生の一部ではあるけれど、全体ではない。

 だから、子どものために尽くしてきた、家庭のことをやってきた母なら、
なおのこと、自分の人生の責任として、母の人生でやりたいことや好きなことや楽しいことをきちんとやって欲しいと思う。


 そうしかも、子どもたちは皆25歳を超えたし、私が一向に自立しないから自由にできないのだろうけれど、好きなことに取り組むのなら楽しくやってほしい。

 このコロナで旅行も行けないし、
趣味の範囲も限られただろうけど。

 私が自立していないし、兄弟3人は連絡を取り合うような仲じゃないから、食事会なんかもセッティングしてないけど。


 でも、せめて60歳のお祝いだから
ちゃんとお祝いしたい。かといって母は60歳になることをこと強調する父に呆れていたし、60歳という歳を好んでは無さそうだった。


 自立できていない、
 これまで27年間育ててくれた、専業主婦として子育ても家事もやってくれた
 子どもたちのやりたいことのために、進学のために家計を管理して自分は全然贅沢をしない母に、何を買うべきなのかすごく悩んだ。


 ずっと考えていても出てこなくて、
私だったらお花が嬉しいけど、花より団子派の母に、アクティブな母に何がいいのかさっぱり…


 歳をとるほどに、親へのプレゼントは何を贈ればいいのかわからない。


 母の欲しいもので少し高級なものは
弟にねだったようだし、兄が何を贈ってくるかはわからないけど兄も弟も自立しているからそれなりのものを買えると思う。


 兄弟で唯一女性の私だから買うもの、日常に使えるもので贅沢なもの、かといって高過ぎないもの。



 団子より花の私とは違って、
花より団子の母。
子どもたちの希望の進路にずっといかせてくれた。ずっと専業主婦で支えてくるためにか、母は節約節約で自分のものでも贅沢しない。


 その母にちょっとした贅沢を、
かといって働けていない私が渡しても
気が引けてしまうものでないもの、
かといって母がちゃんと使えるもの、
そう思って、結果ゴルフやヨガに行く母に、ちょっと良いシャンプー&トリートメントと、白いダリアを買った。


 60歳の誕生日ともなれば、
もっと盛大に祝いたいものだけれど、
世の中も世の中だし、私の経済状況も含めて私なりにを考えることにした。


 旅行が好きな母に、itoyaで買った
メッセージカードを添えて。


 誕生日の前日にお花を含めプレゼント買ったので、お花のためにも0時になったら渡すことに決めた。


(安心してください。母の誕生日を過ぎてから書いてます。)


 周囲の友人たちのようには、
うまくいかないけれど、
周囲の友人たちと同じようには
祝えないけど、きっと、私が自立するのが1番の親孝行だから。


 それまではとりあえずお世話になりつつも、母には趣味や日常を楽しんで欲しい。


 私は私で、自立への道をもっと
意を決して、怖くても、切り拓いて行かなければと強く思った。


 母が60歳を迎える前に、
素直になれる年齢に、
少しは落ち着いた年齢に
なっていてよかったと思う。

 27歳にしては落ち着きがないけれど、きっと数年前までの私だったら、
こんなに母のことを考えられなかったから。素直に母に感謝を表せなかったから。


 60歳なんて何にもめでたくない、
嬉しくないと最近連呼する母。

 でもきっと、天国のおじいちゃんとおばあちゃんは、お母さんが大きな病気や怪我なく元気に生きて還暦を迎えたこと嬉しく思っていると思うよ。


 60って私はもっとおばあさんなイメージがあったから、アクティブで若々しくて変わらなくて、溌剌としていて好きなことをやっているお母さんのこと、自慢ですよ。


 何かあると、喧嘩したりすると
父や弟が「お前は専業主婦だからわからないだろうけど」とか言ってたけれど、私が、キャリアウーマンになりたかったのは、確かに母のような生き方はしたくないとか、苦しそうとかそんなイメージだったけれどね。だけれども、専業主婦として30年以上、社会と断絶された空間がある中で、仕事が忙しくて全然家にいなかった父の分まで、子ども3人を立派に育て上げて、
必死に大変な時も苦しい時も一人で頑張ったお母さんが誇りですよ。
 生みの親である祖父母の介護も、
学生だった三兄弟の私たちはそんなに手伝えにいけないし、伯父さんも全然介護に来なかったし、ほとんどお母さん一人で手続きも世話もしていたよね。もう10年近く前だけれど。子育てもやっと弟が高2になって、小学校からの反抗期が続くなかで、介護もして一人で毎日車で他県なのに往復して。


 子育てがひと段落した頃に介護、
介護が終わったと思ったら娘と息子はまだ母と衝突。子どもたちが全員学生を終えたのは弟が大学を卒業した2019年。やっと終わったと思ったのに娘は仕事に就けなくて今も実家暮らしの上に何もできなくて。


 全然、思い描いた60歳ではないのでしょう。けれど、母の好きなことを、楽しいと思うことをやってほしい。
 そして、生きたいと思うまで、健康に生きて欲しい。


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