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第2回〈発達障害とは何…?1〉

はじめに書きます。今回は長めです。

先日、母と話していたら母が「本当の発達障害らしくて」と言いました。私は、この言葉に母の人間性というか、知識のなさというか、認識の薄さを感じました。おそらく“本当の発達障害って何?”と突っ込んでも何も響かないだろうな…と。

発達障害、は一段と分かりづらいかもしれないけれど、身体の不自由ですら世の中の人の認識って、私も含めとても薄いというか甘いなと思う時があります。耳に関してとか。その区分や違いは、その人のアイデンティティにも関わるし、コミュニティも異なることがある、と。全員とは言わないのだけれど、特に平均すると私の両親の前後くらいの歳から上の人で特別それを知っている必要のない人はほとんどそういう認識がないなぁと思っていて、それはその人たちが生きてきた“若い頃の時代”などには良くも悪くもそういう区分がなかっただけかもしれないけれど。

少なくとも、今の世の中は、障害にかかわらず、多様性、個性、様々な生き方をする人たちに対して、「それが多様性だ」とか「個性だ」なんて意識すらなく“普通の道”、“普通の生き方”から“はずれる”人に許容があると思う。もちろん、私も同年代の友人にすら数え切れないほど色々言われてきたけど。

大学院に行きたくて、そのために、内定とってこいと言われたから必死に就活した大学3〜4年、就活は大学1年からかんがえていたし、大学3年の5月からインターンだの就活の練習だの色々してたから「なんでそんな焦ってんのww」って友人にも揶揄されたり、それで内定4つ取ってきたちゃんと逃げではなく意志を持って進学したいから大学院受験させてください、と親に頼み、その後卒論を1.5ヶ月で書き上げるのに必死だった時も、卒論のない友人に「なんで今までやってないの?春夏何してたんww」と言われ、院に入れば、覚悟してたけど「学生は暇そうで本当いいよねえ」の嵐にあいながら(実際、給与ない代わりに責任も自己責任だけだから楽といえば楽よ)、以前にも書いたから書かないけど私は死にそうな2年間を生きた。

相談できる相手も、助けてと言えそうな相手も、研究室の先輩同期くらいで、他の友人には言えずに恋愛の話だの仕事の話を聞いていた。多分理解してくれていると認識できた友人が、無職の今、相談を持ちかけられる数少ない友人たちなのだと思う。

話は初めに戻るけど、母のタイプのような人たちはもしかしたら耳のdisabilityの区別もつかないと思うし、発達障害というのもASDとかADHDとかその違いすらわからなくてついてないもので、グレーゾーンなんてわからないんじゃないかな。特別支援学校の名称ができて11年、インクルーシブ教育という方向に、社会が動いてきているような気もするけれど、母ばかり例にとって申し訳ないかもしれんけど、そういう考えのままの人には、インクルーシブ教育をきちんと理解するって難しい気もしている。インクルーシブ教育は、“誰か”から、「障害を見つけ出す」ということをしない。それを理解した上で、特別支援って何なのかって考えていくことも大切だと思う。

まぁそんな中で私も25年と2.8ヶ月生きてきたんだけど今の選択も迷ってます。今振り返ればADHDっぽさは幼稚園・小学校の時からあって、でもそれは今振り返ったからわかることで、私が発達障害という名前を知ったのも大学1年の時で、私はもしかしてそういう特性はどこかもっているしれないとなんとなく思ったのも大学3、4年の時で、それからさらに3年かけて自己受容してきた。大学でWAIS-ⅢやWISCなどもしたけれど、病院へいって診断をつけてもらい、それを持って働く、 というつもりは私にはなかった。

大学の教職課程で一通り学び、またおそらくそうだろうと思ってからいくつも自分で書籍を読み、3〜4年かけて自己理解していくなかで、とてもイラっとするのが、母が何か失敗したり、してがしてしまうたびに言う「やだ、ゆかみたい」だった。よく思い出せば幼少期からこれを聞いていて嫌だと思っていた。だけど大学カウンセラーさんが、私の特性を母に伝えてから母はこの言葉の他に「わたしも発達障害かも〜笑」という。私はそれが本当にゆるせなくていつも、今すぐ生きてる全ての人に謝って、というし、それ本当に嫌だと思ってるから言うのやめてというけれど全然伝わっていない気もする。その度に、まだ世の中の認識もこんなもんかと思う。

一方で、ある高校生の相談にのっていたとき、おそらく彼女も私と似た特性はどこかあるかもしれないと思いつつ、それを簡単に行動の非をゆるしてもらうための免罪符のように持ち出されることに苛立っていた。母へのイライラも彼女への憎しみも共通してそういうことなのだと思う。

「本当の発達障害」「嘘の発達障害」などない。「発達障害あるから私にはできないから仕方ないじゃん、あなたが私の問題を処理して」というのも違うと思う。大切なのは、名称ではなくてどういう特性があり、何に困って本人はどうしていくのか、周りとはどう関わるのかなのではないかなと。その点に関しては身体の不自由でも同じだと。名前がつくことは適切な対応への近道になるけれど、同時に名前が付けられることでcategorizeされ、その特徴と対処法が明示され、マニュアル化されていくことのようにも思える。でも本当は、人はひとりひとり、違っていてマニュアル化された社会の中でその個々の持つ凸凹が目立ちやすい人が出てくるってだけなんじゃないかなと思う。周囲の考え方と本人の考え方で(この双方が、必要で片方ではないのだけど)、環境はかえられる。読んだ本に出てくる例の親御さんは皆、「うちの子全然ご飯を食べないから拒食なのではないか心配できたんです」「うちの子ADHDの診断を受けたんですが、私たちはどうサポートすればいいですか」と、
もう既に受容できているところからはじまっていて、少し羨ましいなと思うこともあった。名前や診断名がどうとかじゃないけれど、親に、友人に、時に教員に「あなたはおかしい」「そんなことでは生きていけない」、「みんなはできているのに」「お前に能力なんかない」と言われ続けることはその人の心を歪めてしまうよ。私はたまたま教職課程を履修してたまたま就活することになってLITALICOをはじめとする企業や団体に出会い、そこで働く人たちと出会い、また(もう6年も経ったから言っちゃうけど、苦しくて自殺しようとしたけど怖くてできなくてたまたまたどり着いた)大学の学生相談室と出会い、自己理解・自己受容をして、正しい知識を身につけ、色々苦労も悔しい思いも辛い思いもしながら25年間、周りに助けられて色々とやってこられた。私はこれまで言い訳に、免罪符にしてこなかった。

大切なのは、その人が何の障害を持ってるとかではなくて、社会と、他者と、どう関わり、どう生きていけるのかで、そのためには第一にその人自身(自己)が、次に温かい他者が必要だと思う。詳しく言わないし、別にどれもほぼないようなもんだからあれだけど、私には身体の麻痺、世の中では精神障害にされるてんかん、そして診断を受ける選択はまだしていないけれど、WISCやWAIS-Ⅲをもとにしたカウンセラー判断ではADHD(発達障害)もある。
でも、多分私の親愛なる友人たちの多くは、私にそれがあるなんて念頭においていちいち付き合っていないと思う。日常茶飯事、物忘れ、異常なほどの忘れ物、パニック、落ち着きなさ、多動性があるから相当イライラしながら「本当にあんたって人は…」と言いながらも済ましてくれていて、それは友人の寛大さと多分私自身のキャラクター的なものに助けられているのだと思う。今まで、ピアノとリコーダー以外は、命に関わることと人に多大な迷惑をかけること以外では今まで左手と左脚がちょっとあれだからやらないとか、ADHDっぽさを免罪符に自分のハードルを下げたことはない。
年々顕著になるこの特性をもって今後、どう生きていくか考えた時、母みたいにただ理解せず、自己認識もせず勝手な時だけ免罪符に使っていくのではなく、自分はどのような苦手を持っているのか、どんな人間なのか、きちんと理解することが必要で、それは実は、どんな人でも必要なことではないのかな…と思った一件でした。
#発達障害

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