前置詞コロナ


コロナが蔓延して、
3月末から4月頭に、
緊急事態宣言が出るのでは…と
言われ、
ついに4/7に緊急事態宣言が出て
4/9から5/31まで
緊急事態宣言は続いた。


5月に入った頃からか、
6月になってからか、
確かそのあたりから

コロナに前置詞がつくようになった。



withコロナ


afterコロナ


そして、8月頃からついに

Beforeコロナ

という言葉までも、


私たちは当たり前に
受け取るようになった。


画像1

(https://www.ganbari.com/school_blog/blog/1010/)
(2020/9/5閲覧)



 withコロナ、afterコロナが
使われはじめた時、

 この言葉が
どのように使われているのか

 とても気になった。


 それで、前置詞+コロナが
どれだけ使われているのか

 少しググってみた。

上の3つを含めて以下のような感じだ。



ポストコロナ


ビフォアコロナ


アフターコロナ


ビヨンドコロナ


ウィズコロナ



 なんとなく、“ビフォア”と
“ウィズ”と、“アフター”は

使われ方が違うだろうなと
わかるけれど、


“ビヨンドコロナ”
“アフターコロナ"
“ポストコロナ”


使っている人は、
どう使い分けているのだろうか…


 事前に1つ書いておくが、
ポストコロナの、ポストだけは、
前置詞ではない。



 もっというとポスト(post)は
英語ではなくラテン語で、
英語でいうなればafterに近い言葉
である。

 ラテン語のポストには、
「以後、後」という意味がある。

 語源から見ればわかりやすいだろう。


ー 英語の「post」は、
「あるところに置く」「配置する」
「立てる」といった意味のラテン語
「ponere」の過去分詞男性形が、フランス語「poste」を経て16世紀に英語化し、女性形になって「郵便」の「post」になった。
 「支柱」や「杭」、「地位」や「役職」の意味の「ポスト」も、「郵便」の意味の「post」と同源。「後の」「次の」を意味する「ポスト」もつづりは「post」だが、この意味の「post(ポスト)」は「うしろ」「あと」を意味するラテン語「post」が語源である。ー

参照



 この最後の、5行が、
今使っているポスト。

  前置詞ではなく、接頭辞。


 接頭辞というのは、
単語にくっついて意味を付与する。

 接頭辞のpost- は、

 「(空間的にまたは時間的に)
後の、後方の」という意味を添える。

 使い方としては、
postponeやpostwarのpost-
と同じだ。

Before=(決められたある時、過去のある時からみて)前(前置詞)

と考えると、どこを起点にしてるかわからないけど、日本に「コロナ」という言葉がくる前をビフォアコロナ

としているのだろう。



 さて、

ビヨンドコロナ

アフターコロナ

ポストコロナ

それぞれどう使われているのか、
文脈を見てみたい。



①ビヨンドコロナ

 
「ビヨンドコロナ」は
レイヤーズ・コンサルティングの方が
述べたようだ。

ー「Beyondコロナ」は
当社独自の表現です。
一般的には新常態への適応を意味するWithコロナなどが使われていますが、当社では、適応にとどまらず大胆に変革する視点を持つべきだという意味を込め「Beyondコロナ」としています。ー

 と記事で述べられていた。


beyond(前置詞)

beyondという言葉のイメージは

こうである。

画像2

(画像リンク貼り)


 時間、場所、限界点、範囲など、
何かを超えた向こう側のイメージ。

Beyondコロナ=コロナというものを池みたいなイメージで捉えた時に、コロナという言葉が出てくる前の場所からコロナという状態を超えていくイメージがビヨンドコロナ?

つまり、“ビヨンドコロナ”といった場合、現在の、コロナウィルスの感染が
未だ止まらない状況がおさまり、
新規感染者がなくなった社会

を想定しているように見える。


 もしくは、
インフルエンザのように
一定時間経って、ワクチンが普及し
病魔に怯えなくて済む世界
かもしれない。

 いずれにしても、
ビヨンドコロナといった場合、
コロナの感染は、収束へ向かう方向が
見えてきた状態になった時
のことだろう。

接触のwith前置詞が、
コロナへの適応を目的としている言葉というものに対して、

beyondコロナでは、
適応にとどまらず、大胆に変革すべき、
という意味を込めている



②アフターコロナ

 アフターコロナの使われ方が
私は最も曖昧だと感じた。

 アフターコロナといった場合、
それをほぼwithコロナや
ビヨンドコロナと
同義で使っていたり、
ポストコロナと同義で
使われていたりする。

 営業ラボというページでは、
アフターコロナを

「アフターコロナとは厳密にいうと
ワクチンなどがある状況で、
ウィズコロナの後に到来するもの」
としていた。

After(前置詞)

画像3

 この場合、コロナウィルスの状況下を
「ある出来事」という一点に捉えて
それの後の世界
(コロナは完全に終わったイメージ)

 もしくは、
その出来事の後についてくる世界
(どちらにせよ、これはwithとは
異なり、コロナウィルスの蔓延が
ある程度過去になっている、
どこかを基準とした、その後、
のイメージがある)

そういう意味では、ビヨンドコロナ
と少し近い気がするが、


 違いを考えるなら、

ビヨンドは今から、
その後まで考えた立体的な時間
であるのに対し、

アフターは、
収束点以降を示していて、
今の“コロナ下”は含まれていない
感覚がある。

withコロナとの違いは、
withが接触をイメージするのに対し
afterといっているので
やはりwith とも
その状況下なのか、
という違いがあるのだろう。

withコロナは、もうそのまま、

コロナウイルス等の感染症は、消えることなく私たちの日常に、常に、まさに“付帯“して”くっついて”いるよ、という意味として、コロナが蔓延するこの世の中で、その状況が続くとしてどう一緒に生きていく

となる。



おそらく、一般的に判別が難しいのは、
ポストなんだろうなと思っていて、




③ポストコロナ


 先にも述べたように、
post-は接頭語で、「後に」
という意味合いで、
もともとはラテン語の意味としての
after に該当する言葉である。

pre-の対義としての接頭辞。

コロナで当たり前になった世界。


 そういう意味で、
「〜の向こう側」
「〜の次」ととると、
ちょうどbeyondやafter、with
の意味合いをどれも含んだものに見える。

postwarとか

ポスト資本主義とか、
ポスト構造主義とか。


 ポスト○○といえば、
ポスト構造主義という言葉が
わかりやすい例となる気がするが

ポスト構造主義といった場合、
構造主義(実存主義の後に現れた、
規則や関係の構造分析を重視する考え)の考え方があまりに我々の
思考形式や感じ方に浸透
しすぎて無意識化となり、
改めて構造主義についての本などを
読まずともその思想を勉強せずとも、
その発想の仕方が我々に自明のもの
となっている時代

のことをいう。



 そういう意味で
ポストコロナをとると、

「もはやコロナや
その他感染症がいつ蔓延しても
おかしくない、そしてそれらと
共存していることを無意識のうちに
皆が当たり前のように享受して、
それを前提に働いたり生きたり
している」

「もうコロナがある世界が当たり前になってしまっていちいちそれについて考えなくなるほどになった世界」

というのが、ポストコロナ

ということになる。




 ウィズコロナの間に、働き方は
随分と変化した。

 自宅からのリモートワークは
当たり前になり、web会議システムの
zoomなど当然のように使われ、
 生活でも、
タッチレス(非接触)で使えるものが
当たり前になり、
消毒だって、入店だって、体温計だって
非接触になった。



 ソーシャルディスタンスも、
マナー、常識となっていて、
私たちはもはや
(中には気にせずという人もいるが)
電車で座席をひと席間隔開けて座るのも
レストランやカフェで
対面で座らないことも
無意識にしている。

 お店に入ったら体温を測られ、
消毒されることも。

 今まで、全く当たり前でなかった
日常生活や生活様式を、
このコロナの中で私たちはもう
戻れないほどに日常化させた。

 そのような中で、働き方も
ずいぶんと変わり、コロナが終わっても
リモートワークでできることは
リモートとなったし、

 今まで硬直していた、
従来的な、昔ながらの慣習を続けていた企業も、新しい働き方を導入せざるを
得なくなった。



 在宅勤務、
 業務効率の向上、
 生産性向上
 成果重視、
 
 といったものが着目され、
従業員、社員一人ひとりの生活が、
働くことと繋がれた。

 働くと生きるを、
切り離したような感覚だった人たちも

 生きる、の中に働くという概念が
入り混じるようになったと思う。

 そう考えると、
私たちの生活は、
with コロナにありながら、

after コロナの生活も考える

ポストコロナ時代になっている

そんな状況にいるのかもしれない。



 コロナによる死者数、感染者数を
未だ毎日ニュースできくと、
早くに収まって欲しい、
と願わずにはいられない。

 一方で、コロナの下での生活が
もう当たり前に、常識になりつつある。

 東京の緊急事態宣言から解除までの、
4/7〜5/31までのたった2ヶ月弱で

 私たちはすっかり、もう、
リモートワークも、非接触も、
消毒も、除菌もマスク生活も無意識に
なった。

 そして、この、

前置詞+コロナ

接頭辞+コロナという言葉も

なんの違和感もなく
享受するようになった。


 もはや、Beforeコロナ

コロナによるこのような世界に

至る前には

戻れない。



もう私たちは、

マスクを当たり前のようにするし、
消毒せずにはいられないし、
距離を取るのも当たり前になったし
熱を測られるのも座席をひと席空けて
座るのも日常と化した。

コロナが収束したら、なんて
思うけれど、収束したとしても、
ソーシャルディスタンスも、
三密も、
消毒も
国民の多くの無意識の行動になって
人と人との距離もそれを前提にしているかもしれないし、

前にも書いたけど働き方だって、
もう“Beforeコロナ”には、
戻れない人がたくさんいるだろう。

戻りたくない人も。




 このような記事は、
他にも書いている人がいて、
前置詞コロナの使い分けについて
記載している人はいるのだが書いてみることにした。


 

 もしかしたらこれから、
英語の授業の前置詞は

 前置詞+コロナで
行われるのかもしれないな

なんて思いながら……。


 私たちは、もはや、

 ポストコロナ時代に生きている。


そう思った。


 書いた後に、noteに
同じような記事を
やはり書いている方を
みつけた。

U Tokyoとあるので、東大の方だろう。

 その方の説明も
とても分かりやすかったので
勝手ながら紹介させていただきたい。


#前置詞コロナ

#ポストコロナ


https://note.com/translocal/n/ndc289f88a654



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