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しなやかな強さが1番美しいと思う。


 ドトールにいたけれど、あまりに冷房が寒い。

 我慢していたけれど、寒くて寒くてそれが気になって何もできなくなったから我慢ならなくて逃げてきた。


 疑問なんですが、12月になんで冷房つけてるんですか?


 秋口とかなら、まあ暑さ寒さは人によりけりだからまだ、まだわかるけど、12月も中旬なのになんで冷房ガンガンなんですか?


 ここでやることやって帰ろうと思ったけれど、もう寒いことにしか意識が向かなくてやめました。


 なんなら外に出たら、外の方が一瞬暖かさを感じるのではと思うくらいの寒さだった。外の気温今15℃なんですが。


 12月の冷房は、さすがに人によりけり、じゃないと思う。


 近年は、暖冬で、昔ほど冬が寒くない。


 でも、やっぱり寒いのは苦手。


 冬の寒さより、冷房の寒さはもっと苦手。


 寒さに震えちゃう。

 福島に住んでる友人が、雪降ろしている投稿とかを見て、寒い地域に一人で暮らすのは、わたしにはやはり厳しいかもなあと思っていたけれど、暮らしたことないから、わかったようにはいえないな。


 実際、東北移住フェアに行くまで、私は福島の地域のことを、例えば、"県北"、"県南"とかいうふうにいうことすら知らなかったから。


 でも今は知っている。


 あと、上と下じゃなくて、左側、真ん中、右側で、それぞれ会津地方、中通り、浜通りとかいう区分もある。多分もっと分けようと思えば細かい分け方はいくらでもあるんだと思う。


 移住フェアに行ったのは今年が最初だったけれど、行ってみても、結局、移住に至ることは何一つ準備できなかったし、何も計画もたてられていないし、何も動かなかった。それこそ、移住体験もありますよとか、就職の相談もありますよとか色々伺ったけれど、そこまで考えられなかった。いや、そもそもまず移住するつもりなのかどうかすら考えられなかったわけだけれど。


 東北がたまたまよくやってくれるから東北の移住フェア、福島の移住フェアとかに行ったけれど、個人的には、寒さが苦手ならもしかしたら四国とか、九州とかの方がいいのかなと思う時もある。もちろんこれは気候の話のみで。


 まあ、住んでないのにわからないけれど。


 もうこれがすべてだよね。



 一刻も早く東京を出たいと、ずっと思っていた。



 東京を早く出たいと言いながら、実家を出たいと言いながら、何一つ行動できなかった気がする。



 なんで東京を出たいのか


 何がダメなのか、


 何が東京のいいところなのか

 自分は今何を享受しているのか、

 それは東京だから得られることなのか

 実家暮らしだから何も考えられてないんじゃないか


 経済的に自立しなければと言いながら働けないとは如何なることか

 経済的自立をしなければ、場所が東京だろうと地方だろうと、結局生きていけない、ってことはよくわかった。



 日本に限らないし、日本の中だって別に東京だろうと地方だろうと同じことなんだけれど、


 旅行とかちょっと1日2日行くのと、そこに定住していくのは全く違うことだと思うし、そこに生まれ住んでいることも全然違うんだと思う。



 わたしは、実家に寄生して、甘いところだけ吸って生きているけれど、


 都内住みという点に関しても同じなんじゃないかと思う。東京のいいところだけを享受していて、東京に生きていく、という場合の、大変なところを実家に住んで経済的に自立していないことで、何も引き受けていないんだなと思う。


 今までも、経済的自立をしなければ、そしてもう少し精神的に強くならなければ、恋愛はうまくいかないよなぁと思っていたけれど、さすがに29、30歳になって、経済的自立をしていないとそもそも、恋愛対象外じゃない?ってことがわかってきた。


 おそらく、今のわたしは、誰から見ても、そもそも恋愛の対象に入らない。


 おまけに精神的にも弱い。


 もちろん、精神的問題は、持病の原因もあるし、過労になって以降の自分というのもあるし、元々の私自身の性格とかもあるから、一概にそれがダメなんだと否定ばかりするわけじゃないんだけれど、でも精神的に強いことは、大切だとおもう。


 それこそ、繊細である人を否定することはしないつもりだし、わたしも友人たちに、この20年ほど、「あなたは繊細すぎて触れられない」と言われる場面が幾度となくあった。


 最近は、繊細さんが、SNSなどを通して、その繊細さを表に出している人が、増えた気もする。昔より。


 で、他人の繊細さに関しては、別に否定もしないし、したくないし、どうでもいいんだけれど、こと自分のことに関して考えると、


 繊細さは、わたしの人生、これまでの人生、これからの人生、自立、恋愛など全てを鑑みた時に、


 マイナスなことを引き起こしてきた気がする。


 繊細さ、自体がいけないのではなくて、


 繊細さを自分できちんと扱えるように、ならなくてはいけないと思っていて、


 繊細であるということは、時に脆過ぎるということだと思うし、わたしの場合は、繊細さというよりは脆さ、が、日常の全面に出ている。そして、その脆さがゆえに、不幸なことに巻き込まれたり、悲しみを享受しすぎたり、苦しいことを抱えすぎたり、心を病んだり、身体が動かなくなったり、進路を絶たれたり、今も働けていないし自立もできていなくて結局、大人になれていない。


 わたしとしては、精神的に強いこと、
 辛いことやきついことをしなやかに受けられる葦のような強さが必要だ。


 人間は、ただの葦ではなくて、考える葦でなければならない。

 パスカルの言う通りだ。そして、その前に、まず葦のようにしなやかであるべきだとわたしも思う


 人のことにかまって、自分のやるべきことを棚上げしすぎて、自分の睡眠時間を極限まで削って過労になるような院生で、


 その前から、そもそも小さい頃から断るのが苦手で、街でキャッチに捕まれば断れなくて嫌と言えないから1時間も話を聞くなんてザラだったし、友人にも家族にも、嫌だが言えない人間だった。


 それは必死に卒業した。今もやっぱり店員さんに話しかけられたり街で知らない人に話しかけられると無視できない時もあるけれど、前みたいにキャッチの人に捕まって何時間も話してしまうようなことはないし、家族には今でも言いたいことを言えないけれど、親愛なる友人には言えるようになった。


 少し、しなやかになってきたんだこれでも。


 でも、やっぱり弱い。

 親愛なる友人が、わたしの欠点について、


 脆さ、だと言ったのは、炯眼だと思う。


 しなやかに、強く生きている女の方が、

 綺麗だとわたしは最近よく思う。


 若い頃は、か弱ければ可愛いかもしれないけど、一人でも生きていけて、自分にきちんと芯を持っていて、人の言葉をきちんと受け取るけどしなやかに流せて、風に逆らうことはないけれど、風が吹いてそれに靡いてもしなやかに起き上がる、


 自分という人間がしっかりしていて、どっしりしていて精神的に安定していて、自分でちゃんと自分を幸せにできて、

 別にあなたなんかいなくてもわたしは幸せだけどあなたがいたら、もっと幸せかな、と思えて、

 ダメな男やダメな人が近くにいたらそっと離れられてしまうような強さがあるような女の方が美しいと30歳ともなると思う。


 本当に強い人間は、たぶん、

 どこに住むとかどこで生きるとか関係なく

 どこに至って生きていけるんだと思う。

(もちろん、これは、毎日十何時間の残業があるようなブラック企業でも、とかそういう意味じゃなくてね)


 東京で生きていけないから地方、とか海外とか


 逆に地方で生きていけないから東京に、とか


 そういうんじゃなくて、多分、


 どこでだって生きていけるような強さってのは結構大切な力だなと。


 別にどこでだって生きていけるんだけどね、


 って言いながら好きなところで生きている人は素敵だよね。


 別に結婚しなくてもよかったんだけどね、って言いながら一生を共にすると決めた人と生きていこうと決めて、共に歩もうとする人とか

 別に働きたくないんだけどさ、と文句言いながらもちゃんと仕事してちゃんとやるべきことやって生きている人とかさ。


 働きたくないでござる、とかいいながら、ちゃんと働いて結婚して、子ども育ててる親愛なる友人とか。


 この世の中を生きていくのには、やっぱり


 強さとしなやかさが必要だと思うんだ。


 昔から人の何倍も繊細な人というのはいたわけだけれど、


 そういう人は、これまで、傷つきながらただ必死にガムシャラに生きて、でもダメになっちゃう人もいて傷ついて命を落とす人、傷ついて立ち上がれない人もたくさんいたんだと思う。


 今みたいに、繊細さんなんて枠、ここ数年になるまでなかったからさ、


 「そんなこと言ってたら生きていけないよ」とか


「そんなんみんなおんなじだ」とか、言われてきたんだよ。


 それでダメになっちゃった人もいて、一方でそれでも生きていかなきゃいけないから、強くなって生きてきた人がたくさんいると思う。


 最近は、繊細さん、って名前を誰かがつけて、HSPという言葉も広まったけれど、


HSP過ぎる人は、基本的にはSNSできないと私は思うんだよね。わたしの友人もそうだから。人の目に触れることはなるべく避けて、悪意や人の意見が入らないようにしている。


 で、別にそういう繊細を否定するわけじゃないけれど、

 友人たちに散々、「あなたは繊細すぎて時々本当に触れられない」と言われ続けてきたわたしは、


 30になって

 繊細さは、もちろん仕方のないことだからそれって人の気質みたいなものだからね、

 でも、それを受け止めた上で、しなやかに他人を変えようとせず、他人に何かを求めるのではなくて、自分が生きていける、自分が生きやすい方法を考えるべきだと思うんだよね。


 そう、最近の、繊細さんの投稿の中に、抱いていた1番の違和感って、

 その人が繊細であること、ではなくて、

 それはどうでもよくて、

 その繊細さによって、他人の行動を変えようとする人なんだ。


 わたしは繊細なんだからそんな言い方しないで、とか

 あなたのこんな行動、わたしは傷つきます、
とかね。


 他人を変えようとするのは間違えてるよ。


 繊細なのは、あなたにとって、弱点でもある。


 でもだから、そういう繊細さを持っているなら、それはでも仕方のないことだからさ、

 それを生かして繊細だから気付けることで世の中の人を幸せにするとかさ、


 繊細だったら、多分、強く見える、ずけずけ言ってしまう人の弱さだってきっと気付けるはずだからさ、ずけずけ言っちゃう人の性格とかどういう人か、わかった上で返すしかないよね。


 まあ、わたしは、繊細すぎたことで良かったことより、もっと強かったらいい方向に進んだのに、とかあの人とうまくやっていけたはずなのにとか、そういうことが人生において多かったから、


 友人がいうように、わたしが繊細なのだとしたら、繊細であることはわたしにとっては欠点なんだけれどね。




 私は、どこでだって生きていけるんだけどね、


 別に結婚しなくてもよかったんだけどね、


 別にこの仕事じゃなくてもいいんだけどね、

 って言いながらちゃんとどこでだって"わたしらしく''生きていて、お互いに大切にしあいながら人生を共に生きていて、ちゃんと自分の人生の中で自立していて、自立した上で、誰かの人生を共に背負って一緒に生きて、その上、大切な誰かをもうけて、その子のために生きる人生を送る友人たちの強さが

 本当に素敵で眩しくて羨ましくて、

 わたしはそういう人生を歩みたかったのになと思う。



いや、まだ30だろ、30歳ならこれからしたいなら就職も結婚も子ども授かることもまだできる、って言ってくれる人もいるし、その通りだと思う。


まあでも、こういうことにもっと早く気づきたかった。


他人のことでいっぱいにしてしまって自分の健康損なって過労で倒れてしまう前に、


心を壊してしまう前に


身体を壊してしまう前に


脆くならないように若いうちにもっと強く生きていけるようになりたかったなと


私は思うんだよね。


でも、まだ30だから、少しずつでも強くなりたいと思うようになった。


強くなろうと決めたのに、今だって、冬だからか、常時落ち込んでるけれど。


 一刻も早く東京を出たいと、ずっと思っていた。


 今も思っている。でも、おそらくそのために必要なのは、どこでだって生きていける、何があったってちゃんと自分のことを自分でコントロールして、目の前の幸せをちゃんと掴んで、やるべきことはやりつつ、東京で生きていけるようになって、


 別に、どこにいてもいいんだけどね、

 って言いながら好きなところを選べる強さを持つことなんだと思う。


 私にはその強さがまだ足りないなって。


 何かの記事か、ドラマだかに昔出てきたけれど、


 田舎で田んぼに入って、泥まみれになりながら、笑って生きているような人ってのは、東京にいた時も高いヒール履いてかつかつ歩きながら、バリキャリだったような人、だったりするんだと思うよ。



おんなじように、


 本当の意味で繊細な人ってのはむしろ、他人から見たら強い人なんじゃないかなと思う。


 前に、noteに書いたけれど


他人に「わたし傷つきやすいのに、傷つけてくる人がいるんです!」
 ってインスタというツールにかけているのなら、繊細じゃないんじゃない?


って書いたけれど、


 繊細さは、悪いことじゃないとわたしはおもうけれど、


 繊細さを武器に使うのはよくないと思う。


 ほら、図書館戦争で、堂上教官がさ、


「正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない お前が使っているのはどっちだ」


って言ったじゃない?


 これはすごく正しいことだと思っていて、それからこの考え方?この理論って何にでも通じると思う。


 繊細は悪いことじゃない、でも繊細さを武器にする奴は正しくない。



 そういうことじゃない?って。


 まあ、それにしてもわたしは、やっぱり、

 しなやかで強い、考える葦になりたいと思うけれどね。


 繊細であることは悪ではないし、繊細だからこそ気付けることとか、それを世の中に活かせればそれは強みだと思う。でもそのためにやっぱり繊細さを自分の繊細だけで終わらせない強さが必要でしょう。


 大人になっても、友人失うこともあるし、失恋だってあるし、仕事失うことも、明日を生きるお金がないことも、周りの友人はうまいこと生きてるのに自分は何も持っていなくて惨めになることも、突然病気や怪我でできなくなることとか、自分はすごく頑張っても、世情とか他人の何かとかでやりたいことができなくて諦めなきゃいけないとかもたくさんあって、


 長く生きれば生きるほど、幸せなこともある反面、

 傷つく場面とか、傷つける場面とか、失敗だって、当たり前だけど増える。


 繊細だと、そういうことがあるたびに、傷ついて立ち直れなくなるんだよね。それは自分のことでももちろんだけど、他人が失敗したとか、他者がうまく生きられないとかでも自分が苦しくなっちゃうこともある。


 でも、生きていくなら強さが必要なんだなって、30になるとすごくおもう。そして、繊細過ぎることは、時にその脆さは生きていく時に弱点にしかならなきゃんだという時にもたくさん出会して、


 あ、もっと強く生きなければ、あのことはちゃんと自分で処理しなければ、とかいうこともたくさん出てくる。


 で、目の前をちゃんと生きるために、強くなる必要に駆られて、強くなっていく。気づいたら。


 逆に、強くなれずにいると、わたしみたいにただ自立できない、何もできない大人になっちゃう。


 ちゃんと、もっと若いころから、経験した時に、ただ傷ついて終わるんじゃなくて、もちろん時には友人の力を借りるのはいいと思うんだけど、でも、自分の力で何度でも起き上がる経験をもっと積むべきだったと私は思う。


 自分はなんてダメな人間なんだって塞ぎ込んだ経験を繰り返したけれど、

失敗するたびに落ち込んで立ち上がれなくなっていってしまったけれど、


小さい頃から親の言葉とか親の考えにすごい影響されて生きてきだけれど、


自分はこういうキャラだから

とかそういうものに振り回されてきたけれど


もっと若い頃に、失敗するたびに何度だって立ち上がる強さを、間違えても失敗しても、何度でもやり直して自分の力で自分の気持ちややる気や日常をコントロールして、わたしはわたしの人生を自分で動かしていけるんだって経験をしておけばよかったって思う。


だから、繊細な若い子たちに、

その繊細さ自体は、悪いことじゃない
でも、ただ繊細なだけなら強みにもならない。


強くなる必要はないけれど、


しなやかに起き上がれる強さほど

美しいものはないんだよ、


って言いたくなるけど


こういうのを本当に言ってしまうのは


説教くさいのでnoteで若い時の自分に


そして今のわたしに、自分で言い聞かせる。


#繊細

#しなやかな強さ


そして、繊細さを、武器にしてしまっている人がいるのなら、


 しなやかな強さほど実は美しいものはないと


 私は思う、と伝えたい。これも、説教くさいからなかなか言えないけど。


 わたしはとりあえず、弱くても、しなやかな葦になりたい。もう30歳だからね。

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