「不適切にもほどがある」離脱した人。


 26.27歳頃になってくるとやたら周りから
「アラサーの仲間入りだね」なんて言われて、自分でも、アラサーだなと思ったりしていた。

 30歳になった今思うと、アラサーになった、といっている20代はまだまだ若い。

 ところでアラサーって何時ごろから言われ始めたんだろう、

 今やアラサーだけじゃなくてアラフォー、アラフィフ、60歳が近い方はアラ還なんていうし…


 と思って調べて、ああ、なんかこのドラマ聞いたことある!と思った。


 2008年に、TBS系列でやっていた天海祐希さん主演のドラマ「Around 40〜注文の多いオンナたち〜」から広まったワードらしいが、こうしたアラウンド○○、これを生み出したのは、やはり雑誌だった。今じゃ、Seventeenすら月刊誌じゃなくなったけれど、まだこの時代は女性誌はかなり盛んで時代先端だったように思う。そもそも、「アラサー」という言葉を作ったのが、主婦の友社の雑誌2005年11月創刊の『GISELe』で、具体的な年齢を言わずに年齢を伝えるために作った造語で、この当時は特に女性に対して作られ、やがて男性にも使うようになっていったそうである。


 ちなみに、調査によると、アラサーと言われる年齢に該当すると、人々が考えるのは28〜34歳とのこと。2023年にマイナビウーマンが行った結果では25歳から34歳頃をアラサーと考える人が多いらしい。


 今わたしはジャスト30歳なのでむしろアラサーというよりジャスト30って感じなのだけれど、


 確かに24歳までと25歳になった時で、
誕生日が来た時の、年齢の「○歳だ」という感じは違ったし、けれど30歳を超えた時、

 29歳から30歳になって十の位が増えた時、

いやいや20代は全然若かったわ、とすぐに感じた。今思えば、仮に「アラサー」と言われる年齢でも、25歳は全然若い。


 25歳と27歳と33歳と34歳を、

 同じ「アラサー」と考えるのは少々暴力的すぎる気がする。



 間を抜いたけれど、25歳と27歳も、
27歳と30歳も全然違った。


 だからおそらくこれから訪れる厄年の33歳、それから34歳も、今のこの30歳とは全然違うのだと思う。


 確か記憶が正しければ、
バカリズムさん原作、安藤さくらさん主演で
大ヒットしていたドラマ「ブラッシュアップライフ」のあさみたちは33歳。(安藤さくらさんが当時37歳くらい)


 働きマンの松方弘子は28歳から始まった(2007年に放送されたドラマで演じていた菅野美穂さんが30歳の時。)


 最近やっていたドラマ「いちばん好きな花」の多部未華子さん演じる潮ゆくえが34歳、今田美桜さん演じる夜々ちゃんが26歳。神尾楓珠さん演じる佐藤紅葉が27歳。


 みんな「アラサー」。


 最近のドラマは40代50代の方が多い気もするけれどこれは、おそらくテレビドラマ視聴者の年代に合わせていて、少し前までは、20、30代くらいが多かった気がする。わたしが中高生くらいのときも、学園もの以外はアラサーになる、どうしようって感じのドラマが多かった。


 ただ、前にも書いたかもしれないけれど、最近の大きな傾向としては、

 アラサーくらいの年齢の主人公のドラマでも、

例えば女性の登場人物が、
「結婚してないからどうしよう」というのは減ってきたし、結婚して仕事を辞める選択をする女性像もだいぶ減った。

ドラマ「働きマン」くらいの時はまだセリフもややセクハラじみたものもあったけれど、そういうのも減ってきた。


わたしは2話くらい観て離脱したけれど
「不適切にもほどがある」というドラマがたぶん明確で分かり易いと思う。あれはおそらく40代50代以上とかをターゲット層として作られているんだと思う。昭和からタイムスリップして?令和にきたおじさんが主人公で、正直なところ、今の"若者"(=20代前半くらい)は、平成10年代以降の生まれなので、平成の初期のわたしとも全然世界が違うわけで、昭和の最後の方の生まれ(今の30代後半から40代前半)の方と私たちでも全然見えている世界が違うから、

50代くらいのおじさんが令和の世界にきていて昭和ネタバンバン話されても、40代以上じゃないと、何もわからないのではないかと思う。そもそも、観てないからよく知らなかったけれど、1986年に、女子高生の父親だったくらいの年齢(40代?50歳くらい?)の設定らしい。ということは、今2023年でいえば本来80歳くらいの方ということ?

昔は良かったとされていたことも今はダメ?みたいな感覚で見てしまっている人が多かったように思うのも良くないと思う。正直昔だってダメだったんじゃないの?
セクハラにしてもセクハラ被害者が声を上げられなかった、声を上げなかっただけでさ。

自分の娘と思いましょう?みたいなのもあったようだけど、
自分の娘に平気でセクハラする人だっているわけだし性犯罪するひともいるわけだし、それはダメでしょ?

わたしの母も最初見たけど早々に離脱していた。わたしの母(60代前半)も、観ていてこの時代こんなだった?わたしにはこんなだった記憶はないと話していたし、結局数話観ている間の、"不適切行動、不適切言動"の数々は、観ながら「最近の子はわがまますぎるのよ」で結論づけてしまってつまらないから観るのやめたと言っていた。


 この「こんなの最近の子が言い過ぎなのよ」とか平気で言っちゃう人たちに、途中離脱されたり最後まで観てもらえなかったこと自体は失敗な方なのではとも思う。

 ちなみにこのドラマは20〜30代のあたりの離脱者が多かったと書かれている記事をいくつか観たのだけれど、

 おそらく、平成生まれの20〜30代は、この昭和では何も言われてこなかった"不適切"の数々を、学校教育課程の中で、(もちろん今の子達ほどじゃないけれどある程度は)当然のように、男の子、女の子で差別しないとか、人の嫌がることはしない、とか、それが実際に全員に身につくことはなくても教育課程の中では学んでいる層だと思う。

 わたしが小3〜小5まで通っていた横浜の小学校では、当時(2000年代初期)で、男子も女子も分け隔てなく「さん付け」だったし、当たり前に小3でも着替えは男女ちゃんと別だったし。小さい頃から「女の子なんだから」と家で言われ続けたわたしも、女の子だから○○、男の子だから○○みたいな世界はそんなに感じてなかった。


ドラマの舞台の昭和は1986年ということは
その時代を思春期以降で過ごしていたひとは今の50代以降でしょう?


 ドラマ自体、50代以降向けで作っていたのかもしれないけれど、ドラマで茶化しながら、昭和もいいところはあった、今は言い過ぎなところもある、もっと寛容になりましょうで収めたのも変だと思った。50代向けに作ったのなら、もっと、あなたたちの凝り固まった価値観は厳罰に処すくらいの作りにして欲しかったけれど、結局、作ってる宮藤官九郎さん自体が53歳だから、まあそれは考えなかったのかもしれない。


 女性が結婚をしないドラマが出てきたのは2008年前後から2012年頃だと思うのだけれど、その頃はまだ「結婚できない女」みたいな描き方で、2016年頃になると「私は結婚できないんじゃなくてしないんです」みたいな描き方になって、やっと最近少しばかりそもそも結婚がどうたらを描かないドラマが出てきたし、

男女が出てきたら、どこかで恋愛関係に発展させていたドラマが多い中で、

男女の友情が当然のように描かれるドラマもやっと本当に少しだけ出てきたと思う。

 実は、先日までやっていた、西島秀俊さんと芦田愛菜さんのドラマ「さよならマエストロ〜父とわたしのアパッシオナート」があって、わたしもこれは芦田愛菜さんが久しぶりにドラマだと思って見ていたのだけれど、

 このドラマの最終回前に有楽町でテレビ局の方にインタビューに声をかけられた。

 時間も少しあったからインタビューをお受けしたのだけれど、そのなかで、テレビ局の方に
「響(芦田愛菜さんが演じている新卒くらいの女性)と大輝(宮沢氷魚さん演じる響の父が指揮する楽団の団員)の恋の行方はどうなると思いますか?」と聞かれて私は驚いた。

 私は、あの2人は恋仲になるような相手としてドラマを観ていなかった。あまり心を開かない響にとっての、距離感のいい心地いい、何も我慢しなくても良い良き理解者の男友達ができたくらいにしか観ていなかったから。え?響は大輝を恋愛関係として好きみたいに描いてるつもりあったの?え?って。

 芦田愛菜さんの演技も宮沢氷魚さんの演技も素晴らしいと思うのでお二人を貶す意図は全くないて、お二人はきちんと演じてきていたと思うけれど、

制作者側なのか、作っているTBS陣営(取材してきた人)が、恋愛関係になる前提で描いていることをそこで知って、逆に引いてしまった。


 わたしだって親愛なる友人にもだし他の、心を開けた友人にも、男女関係なく、

 恋愛感情として好きかどうかは一度置いておいて、心を開けた相手にはあのくらいの距離感にはなるしそれは信頼しているからだし、

 別に親愛なる友人のことだって大好きだし愛してるけど、

 だからといってじゃあ別に恋仲みたいに、と言われたらいや別にそんなんじゃないです、って感じなんですけど、って。



 質問してきたテレビ局の方はだいたい40〜50代くらいかなの人。対するわたしは30歳。

 ここの10歳ちょっとの間でもかなりのジェネレーションギャップはあると思う。

 その上ジェネレーションというと、同じ年代の人を一括りにする暴力が発生するけれど、

 わたしと同い年でも、感じ方は違っただろうし、40〜50代でもやはり同い年の人と違うように観る人もいるはず。


 むしろおそらく、最近のドラマでは学園ものみたいなものでない限りは、

 年齢や年代による差を感じさせられる発言や行動があることの方が、面倒くさいなと若者には思われているような気もする。

 前述の「いちばん好きな花」でも、松下洸平さん演じる春木椿(36歳くらいの設定だったと思う)だけは「10個って結構違うよ」と年齢を気にしている発言はあったけれど、それ以外の3人はそれほど年齢がどうのは気にしていない感があった。


 36歳と26歳が全然違うわ、26歳じゃ若いわと思うのは、30歳の私からしても26歳の子達はすでに若いし、ましてや20歳の子達なんて言ったらやはり若いから、私も、福島に行った時にあった大学生の子達に「若いわ〜」っておばさんムーブしてしまったから、気持ちはわかるけれど

 むしろ多分、だからそういうおじさんムーブ、おばさんムーブが嫌な気持ちにさせるような気もする。わたしだって若い時に年上の方に「若いわあ」とか言われたらやっぱり反応に困っていたしおんなじ。今だって60歳過ぎの母に、90歳の祖母に「若くてええなあ」と言われても、はあそうですかって気持ちになるし。


 今後がどうなるかはわからないけれど、そして今30歳の私から振り返ると、18歳の時も20歳の時もさほど違わない気がしてきちゃうけれど、当時、それぞれの年齢だったわたしは確かに、18歳と19歳は違ったし、19歳と20歳も、20歳と21歳も違ったし、日記やメモにもそう書いてあったし、時間が経つほど昔のことは一括りにしてしまいがちだけれど、その歳のことを一つ一つ思い出せば全然違ったし。


 そもそも、20歳でも大人な生き方をしている子もいれば30歳でも何もできない人間もいる。


 結局年齢より、その人の生き方を見てということだろう。不適切にもほどがある、が、結果どういうふうにまとめていったのかわからないけれど、セクハラにしてもジェネギャにしても、今の世の中がどう、昔はこうとかもすべて


 個人的には、「ミステリという勿れ」の劇場版で、菅田将暉さん演じる久能整の言葉に尽きると思う。(以下)




 父に娘を預けていたゆらに、父が「私はいいんだがね、一人でふらふら出歩いて、旦那さんに負担をかけないように。お前はもう仕事を辞めたんだから家にいて、子育てや家事だけしてればいいんだ。旦那さんに楽させてもらって、さちとのんびり過ごせばいい。それが女の幸せだろう」って言った時に、ゆらは、飲み込んで「わかってます」というんだけど、聞いてた整くんが
「どうしてそう思えるんだろう。楽とかのんびりとか。女性は家事と子育てが好きだし向いてるってなぜか信じてる人がいるんですけど、じゃあ逆に男性は力があるんだから肉体を使って永遠に重労働してねって言われたら、よしおっけー、という人と、いや体が弱いんで無理ですとかそれぞれに声が上がると思うんですよ。で、実際そうやって人生を選んでいく。女性もそうだと思いませんか?というか、全人類の半分を一律でくくるのがおかしくないですか?例えば家事にしたって掃除だけは好きとか料理だけはしたくないとかあるだろうし、さらに体格がいいか、筋力があるか持病があるかで同じことをやっても疲れ方が違うかわけです」
「人によるということです。ラクかどうか、したいかどうか、それはその人にしかわからない。他の人が決めていいことじゃない。楽させてあげたい、ならわかるんです。でもそれはあなたの気持ちであって彼女の思いは違うかもしれない。例えばある人が長距離を移動するのに楽だろうと車で送ってあげたとします。あなたはそれをラクだと思う。でもその人は車酔いするから嫌だったかもしれない。歩きたかったかもしれない。でも、そう言えなかったかもしれない。他の人には決められない、人には気持ちがあるから、望みはそれぞれだから、それと」
「僕は常々思っているんですが、もし家にいて、家事と子育てをすることが本当に楽なことだったら、もっと男性がやりたがると思う。でも実際はそうじゃない。ということは、男性にとってしたくない、できないことなんです。なのになんで女性にとって楽なことだと思うんだろう」
「あなたが目の前の人がどんな顔しているかに気づいていないからです」「でも、付け加えると、女の幸せとかいうのに騙されちゃダメです。それを言い出したのは多分おじさんだと思うから。女の人から生まれた言葉じゃ、きっとない。女性をある型にはめるために編み出された呪文です。だって男の幸せって言い方はされないでしょう。片方だけなのはやっぱりおかしいんですよ。ただのおじさんの意見や感想が自然の摂理や事実みたいに言われてしまっているんです」


 不適切にもほどがあるにしても、結局、
世代によって違いはある、とか今はちょっと言いすぎてるところがある、もっと寛容に生きましょうみたいな感じ?(もしかしたら意図は違ったかもしれないけど、観ていた人たちの感想がそんなだった)にまとめてしまったとしたら、

それは違うんじゃないと思う。


 むしろ、整くんの放った、

「あなたが目の前の人がどんな顔しているかに気づいていないからです」

の言葉に全てが詰まっているんじゃない?と思う。


 セクハラ発言一つにしても

相手がどんな顔をして受け取っているか、
考えられてない発言で、自分勝手にそれを胸の内だけにおさめておけばいいのに、何が面白いと思ってるのか口にするからいけないんでしょと。


 少し前に、どこかの町長が問題発言ばかりしてメディアに取り上げられていたけれど、

結局あの人だって、昔はこのくらい大丈夫だったのにみたいな感じで最後まで反省してなさそうで、メディアはそればかり取り上げていたけれど

 問題は、そういう発言の数々を町長が今この時代にしてるから問題というよりは、

 町長じゃなかったとしても、目の前の人がどんな顔しているのか、どんな気持ちで聞いているのか、我慢しているのか、相手のことなんて考えていない、相手を蔑む言動だったことでしょう。


 不適切にもほどがある、で出てきた昭和の発言、行動の数々も

 それを相手がどんな顔をしてどんな気持ちで受け取っているのか、を考えましょうよ、


が根本問題であって、言動そのものというより、その言動を発する時に配慮しない、考えないことが根本問題でしょう?


 「アラサー」という言葉は、世間的に長く「若い20代が終わってくる時代でもう"女の良い時期"が終わってしまうよ」みたいなニュアンス?結婚や子どもを産むことなどが、みたいな感じで、特に女性に向けて使われてきたように思う。男性に向けても「アラサー」という言葉は使っていたのかもしれないけれど、わたしが女からなのかもしれないけれど、


 男性の友人は例えば長男だったりすると「お前は長男だから」「お前は跡取りだから」みたいに言われ続けて苦しんでいる人とか「長男だからしっかりしなきゃ」とか「男だから泣いたらダメだ」みたいに生きてきた人はいると思っていて、それが男性の呪縛に多い気もするけど、年齢に関してはそこまでは言われなくてまあせいぜい「いつ結婚するんだ」くらい?

 女性の場合は、多くの場合は跡取りだからとか泣くなみたいなことは言われないだろうけれど、
「女の子なんだから○○」「女のくせにでしゃばり」「女なんだから勉強なんてしなくていいから家事や気遣い」とか散々言われて20代中盤くらいになったらやれ結婚は?子どもは?みたいに当たり前に言われる。アラサーという言葉も、男性向けより女性に向けて、それも「若くなくなってきてお前の価値は減ってきた」みたいな言い方でされる気がする。


 それらに関しても、やはり、先ほどの整くんのセリフの続き、


「でも、付け加えると、女の幸せとかいうのに騙されちゃダメです。それを言い出したのは多分おじさんだと思うから。女の人から生まれた言葉じゃ、きっとない。女性をある型にはめるために編み出された呪文です。だって男の幸せって言い方はされないでしょう。片方だけなのはやっぱりおかしいんですよ。ただのおじさんの意見や感想が自然の摂理や事実みたいに言われてしまっているんです」


 が全てじゃないかと思う。


 多分、「女の幸せ」という言葉も「男はなんたら」も全部全部、昔、"社会"を形成してきたオジサンが作った言葉なんだと思う。その当時の女性は、いやでも言えないことがたくさんあったから。


私の母が、
今の子はわがまますぎる、昔はこのくらい当たり前に我慢していた、とか言えちゃうそれも、

きっとその昔オジサンが作った呪文を、何の疑問も抱かずに生きてきてそういうものだと、もう無意識に刷り込まれて、嫌にも思うこともなく生きてきてしまったからなのではないかと思う。


 知らんけど。


 アラサーという言葉が、わたしの中に、小中学生の時からあったのも結局親やテレビがそれを当たり前だと思っている社会の中で過ごしてわたしの中にもそれが刷り込まれてしまっているからなんだと思う。

 若い大学生の子達を見た時に、「若くていいねえ」と発言してしまったことも。全部。


 気をつけないと。人はそれぞれだから。アラサーって一つの言葉で、20代後半から30代前半の人を、それぞれの事情で、それぞれの性自認で、それぞれの背景を持って全然生き方も見え方も環境も異なる人たちを、一括りにする言葉は、確かに暴力的で、


 やっぱりそれも、きっと20代後半から30代前半の人が作った言葉、じゃなくて40歳以降とかの20代後半から30代前半くらいの時代について色々思った経験をした人が作った言葉だったかも、しれない。


 平成初期生まれのわたしからすると、昭和30年代の生まれの親たちは本当にありえないことが多い。

 同じように平成の最後の生まれの子達(今小学生になったくらいの子達)したら私たちは得体の知れない生き物だろうし、

 平成の三十年間だけでも、平成初期生まれの人と、平成10年前後の生まれの人たちと、平成の最後の方の生まれの人たちじゃ見えている世界や生きてきた学校生活や日本の経済状況もネット事情も何もかも違うと思う。


 もう一つそれを踏まえて言わせてもらうなら

「寛容になりましょう」「理解し合いましょう」

という結論はやはりずれていて


すべては以前からnoteに書いているけれど、

「わたしはあなたのことを理解できない」

 人は人のことを理解はしない、

 理解できない、でも否定はしない、踏み込まない

の方がよほど寛容じゃないかと思う。


 そして、その上で、生きてきた時代が、価値観が違うから、違う人生を生きてきているのだということはちゃんと頭において、

親には親のこれまでの経験から成る価値観があって、それはそれで彼ら彼女らの人生そのものであるし、わたしの価値観が凝り固まってくるのも、やはり価値観が形成される時代を平成で生きてきてその価値観が固まっていまも生きていて、それがわたしという人間性の根幹に関わっていて、

だから、もちろん、昔はこうだったのに今はおかしいとかいうのは違うけれど、


逆に、あなたは時代遅れで、あなたという人間が間違えていると、指摘しておかしいと否定してしまうのまた違うのかもしれないとやっと少し思うようになった。

これが1〜2年前、友人が言っていたことか、とわかるようになってきた。

#アラサー

#ミステリという勿れ

#不適切にもほどがある


 ちなみにこれは全然批判する意図はないんだけど、最近よく、妊婦のお母さんのお腹の子の性別がわかりました!ってジェンダーリビールケーキするの日本でも流行ってるじゃない?それ自体はいいと思うのね、
で、時々は女の子だから赤やピンク、男の子だからグリーン系とかブルー系の果物でっていうのしてないご家庭もあるから全員ではないし、別にジェンダーリビールケーキくらいはまあいいとも思うんだけど、何度も見てると何でみんな女の子だとイチゴとかで男の子だとブルーベリーみたいにするんだろ、ってなる時はある。それもたぶん、どこかで私たちの中で

女の子は赤、ピンク、黄色

男の子は青、緑、

みたいなのがあるんじゃない?


 わたしが昔、小3のとき、
初めて自転車を買ってもらう時、

本当は水色の自転車が欲しかったんだけれど売り切れてて、わたしは、買いにきた今自転車が欲しくて何週間後まで入荷をまてなかったからピンクでもいい、って言ったんだけど、その時、母にもお店の人にも「女の子だからピンクでいいね」って言われたのは、今でもその言葉が残ってる、あの時、なんでそんなこと言うんだろうって思ったんだ。

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