はじめること、継続すること

 どんな物事でも、
大抵のことは、


はじめること  と

継続すること  が

難しいのではないか


 ふとそう思った。

 これは考えてみれば自明のことで
まさに

“needless to say”

“not menthion”もしくは、

“It goes without saying that...”

(どれも「いうまでもない」の意)

といったところだが、


 実際、大人になって、

日常の様々なことや過去を振り返って、

とても思うようになった。



 私は、とにかく

続けることができない


 面倒くさがりや


 飽きっぽい


そして、

異常なほどに忘れっぽい

 すべての原因は、この忘れっぽさに
まず起因しているので、

忘れっぽさの例から出す。

 最近は、命に関わるし、と、
目につくところに置いて、習慣化させたので薬を飲み忘れることがないが

 発作を起こして意識を失うのを
防ぐための薬をおよそ
12時間ごとに飲まなくてはならない


にもかかわらず、

まず、薬を飲むことを忘れる。

 それから薬を飲んだかの記憶も、
直後であってもない。


 だから、飲んだと認識していて
飲んでいなかったということはざら。

 さらに、薬を飲んだかどうかは、
日付ごとにわけたピルケースのなかの
薬の残りで確認しているので

 飲んだかどうかを覚えていられる
ようになったのではなく、

 ピルケースに今日の分が、
0錠か、1錠残っているか、
2錠残っているか
(朝夜1錠服用のため)
で、朝飲んだかどうか、夜飲んだか
を確認しているだけだ。

 薬を毎日飲みはじめてから、
2年半経った今でも、だ。


 忘れっぽい話はしようと思えば
1万でも話が出てきそうだが、

もうひとつだけいうと、
 大学生の後半になってからか、
意識的に訓練するようになったので
最近は、今日が何月何日何曜日
だったのか全く検討つかない、
というほどではなくなったのだが、

 物心ついたときから大学院生まで
ずっと、今日が何月何日何曜日なのか、

特に何日か、何曜日か、は

手帳や携帯をみない限り
全く認識できなかった。

 習い事やクラブ活動をしていたことで
多少、何曜日くらいは、
荷物を見れば思い出せたかもしれないが
それもほとんどない、

 今は何月何日何曜だろうと、
そんなことを覚えている必要がない生活
(仕事の日は携帯で確認すればいいし、仕事のない日は何も予定はない)を
送っているから、それを
認識できないことが重要ではないが

小学生から大学院生までの私には、
手帳は必須アイテムで、
大学の時は特に
手帳がなければ次の授業がわからない
というほどであった。


 忘れっぽさの話はいくらでも出せるのだが、ここでひとつだけ、逆に言うと
これは他の人はあまり
記憶に留めないことなのに、
周りの他の人に比べて覚えている、
ということもある。


 例えば、CM。

 一度認識したCMは、
流れた瞬間、台詞を反復してしまうほど記憶している。

 

 例えば、他人の誕生日。

 手帳に誕生日を書いたりなどして、
一度でも、記録したり
認識した人の誕生日は
 1月から誰が何月何日誕生日だった、
とおおよそ空で言える。


 例えば、

誰とどこでどんなふうに

出会ったか

 これは全てではないが、

おおよその方、特に就職活動中などに
出会った方は、

 どのイベントで出会ったとか、
何で一緒になって話をした、
というのを記憶している。

 就活をしていた大学3年の頃の、
この記憶は結構あって、
私が話しかけた方や
話しかけられて色々と話した方は、

 その後時間が空いて、
別のイベントでたまたま出会っても、
何月の何のイベントで、
お会いしましたよね?
なんて話しかけて、
相手に、えっと……

と言われたりもする。


 友人との出会いなどでも、

こういうことはある。



 初めてあったの、何月何日で、
なんの話している時にたまたま、
あなたが私の友人のところに来て、
とか
 この時、友人がたまたま呼んで、
来たのがあなたで、どこのバーで、
話しましたよね、みたいなのとか。

 とにかく、いわゆる

“覚えていなくても

いいこと”は、

本当によく覚えている。



 それにもかかわらず、

毎日飲む薬は飲み忘れるし、

飲んだかどうかも記憶がないし、

朝何を食べたか、夜何を食べたかは

30分か1時間もすれば忘れるし、

1時間前にたてた目標は忘れるし、

よしやるぞ!とたてた計画も1分後には
崩していく、

計画クラッシャーでもある。

 (この計画の立てられなさが、
英語学習ができない理由でもある。)

そう、計画を立てたこと、や

よし、やるぞ!と思ったことすら


本当に文字通り、

三歩もあるけば

忘れるのだ。


 昔は、
中高生や大学生の頃だが、

ダイエットしよう!なんて思い立ったら

細かくトレーニングメニューや
食事について書いたりしたものだが

3日坊主どころか、1日坊主、
半日坊主。

 しまいにはご飯を食べたか
どうかの記憶すらない。

 誰かと一緒に、こんな企画やろうね!
なんて言っても、
相手主導で進められないと
私待ちをしていたら何も進まない。

 1分前に自分が言ったことは、
全く覚えていなかったりするし、
一度に、複数のことを言われたら
1つまたは全く覚えていられない。

 さらに、同時に複数のことを
やらねばならないとなると頭が
パニックを起こし思考を停止する。

 ここまで読んで、勘の鋭い方は

なんとなくわかったと思うが


 私はとにかく、

ワーキングメモリ(作業記憶)

が少ないのだと思う。




 実は先にも薬を飲み忘れるなどは
書いたが、あまりの忙しさや疲労
などにより生活が狂いはじめた
大学2年生あたりからは、

 生活の当たり前のことすら、
 生活習慣すら、習慣化しなくなった。

例えば、お風呂に入ること、
シャワーを浴びること。

例えば、歯を磨くこと。

(当然、寝落ちして次の日を迎えたとか寝ずに徹夜したとか、そんなことが
なければ少なくともシャワーは、
入ったりするし、歯磨きもするし、
矯正をはじめてからは特に、
寝落ちしそうでも、はっと目覚めて
歯磨き!!となるのだが、
習慣化したわけではないので、
冬で、本当に動きたくなくて、
家から一歩も出なくて翌日も
出ない日はお風呂もシャワーすらも
入らないで終わってしまうこともある)

 食事も1日3食という概念がない。

 とにかく、そういう小さな、
世の中の、おおよその、人が

 やっていてもやっていなくても
当たり前だろうな、と認識している
それをまず当たり前と認識できない。


 つまり、ご飯にしろ、シャワーにしろ
寝るにしろ、

 私にとっては日常ではなく、
わざわざ考えて起こす行動であり、
 面倒なのだ。


 そういう次元で、

 飽きっぽい

 面倒くさがり

 忘れっぽい


 だが、一方で、

一度はじめたら

時間も寝食も忘れてしまう。



 例えば勉強。

 以前にも書いたが、

過集中の傾向があり
(ここ1年ほどは精神的な問題で、
集中という言葉が使えないほど、
何事にも集中できないが)

 大学院生の時は、

一度机に向かって作業しはじめたら、
3〜4時間立たないのもざらだったし、

今でも(まさに今このnoteだって)
書きはじめたらそれが3時だろうと
4時になろうと書き終えるのをやめない。


例えば動画鑑賞。

動画を観はじめて、気づいたら30時間、とか
そして、そこから寝て
お昼過ぎ、夕方頃まで8時間9時間
という昼夜逆転になる。

 過集中は、時間を忘れる
だけではなく、
自分のやるべきことを
放置してしまうことにも影響する。


 自分のやるべきことを

放置してしまう


というのも、また一つの特性だ。
 優先順位がつけられない、
さらに、仮に順位をつけても、または
他人につけてもらっても、
先に書いた計画崩れと同様、
計画というものを守れない。


 それでも実は、
 小学校から大学院まで、
課題の期限を守れなかったことは
あまりない。

むしろ、学校の宿題や夏休みの宿題は
早々に終わらせるタイプだった。


 課題も、時間を見つけて早々に
やって、課題提出日になるのを
待っている、

そういうタイプだった。

 矛盾したようなこの特性と行動、


 実は、行動は小さい頃からの
努力と意識で身につけたものだ。

 私は人より何をするにも
時間がかかる。

それこそ、小学生のとき、
食パン1枚を咀嚼できなくて
何十分もかけても食べきれないで
学校に行くことになるので、
おにぎりにしてもらう、

とか、

幼稚園生のとき、みんながもう次のことをしているときに未だにまえのことが終わらないから机に残ってやっているとか。

 小学校に入学した後は、おはじきに
苦労した。

 周りのみんなが、先生に言われて
おはじきを使って足し算をしているとき、
私は、みんながなにをしているのか、
おはじきでなにすればいいのか、全く理解できなかった。

 だから、周りの人が解き終わったり
先生が答えを言ってからそれを見て
おはじきをそのように並べ、
よくわからないまま、先生が
みんなできてますねー?
というまでに、完成させていた。

そういう経験もあって
周りの人と比べて、出来ないんだ、
というのは、4歳5歳頃から
もう自覚があった。

だから、人より努力をし、
人より時間をかけてでも、
はやめにやる。

他の人が1時間で終わるものを
3倍かかるのなら、3倍努力する。

これを小さい頃から、
完全とは言わないがそれなりに
徹底してきた。

 小学生のときは、
1年の時から宿題がおわるまでは
遊びにいかなかったし、
 塾に通っていた時は、
真夜中、明け方になるまで起きてでも
塾の宿題をやったし、
 わからないところは、先生に何度も質問して次の授業までに、
追いつけるようにしたり、
母が買ってきてくれた問題集で、
塾では先に進んでいるけど、
自分はもっと前に戻って勉強しなおしたり…とにかくやってきたと思う。

 まぁ、そんなこんなで、
もともと

 ワーキングメモリの容量

みたいなものが極端に

少ないのだと思う。



 さらに加えると、この3月に、

私は、お金がなかったので、

精神科に行って躁鬱の診断を

出してもらうことはしなかったが、

メンタルクリニックには行った。

波形をはかってもらって、

鬱症状が出ている。

おそらく躁鬱だろうと言われたが

それもお金がないので、

通った方がいいと言う医師の言葉に

「お金がないので遠慮します」と

返した。


 抑うつ的の最初の兆候は、

2017年頃からで、自覚して

かなりきているなと思い始めたのは

2019年10月頃。

そこからさらに半年ほど経って

もうこのままいけば、

私はご飯すら食べられなくなる、


と自覚してやっと行ったのだ。

 

 もともと、

ワーキングメモリの

容量がおそらく少なく、

忘れっぽく

いろんなことを次から次に

頭が情報としてキャッチ

してしまって、集中できない

のに加え、

 抑うつ的な状態が

しばらく続いていて

(自覚しているだけで2年半ほど)、

それを性格でカバー

してきただけで、

このご時世では、

性格でカバーも、

できなくなってきた

といったところだ。



  さて、私自身の特性紹介は、
この辺りにしてまとめると、

忘れっぽく、

記憶容量も少なく

飽きっぽく

面倒くさがりで

習慣や予定という概念がなく

集中力もなく、

でも過集中はあり、

一度はじめると時間を忘れる

時間の観念がなく、

情報を取り込むのは得意だが、

その情報をとどめたり、整理したり

出力することはとても苦手で、

なおかつ気持ちは抑うつ的状態が

数年続いている。

さらに付け加えると、

 時間という観念では過集中の癖が
あるのだが、

 物事という指標にたつと、
とにかく興味関心が次々にうつって
しまうくせがある。

 性格上、負けず嫌いなので、
なんでもかんでも
物事を途中で投げ出すことはないのだが
過集中状態にならない限り、
一つのことを続ける、
習慣として何かを続ける
ということができないし、
そもそも、
ご飯を食べるとかいうレベルだって、
習慣として、何も考えなくても
時間になったらご飯を食べる

というようなことができない。

 ゆえに、何かをやっていたとして、
それを毎日続ける、ということ自体が
ほとんどない。



 それが私にとって楽しみなこと、
だったり、
 記録しているようなことだと、
記録したいから今日もやろう…
となるのだが…

 少し話はそれるが、
 記録で一つ思い出した。

 私はどうやら、
記録するということが
好きらしい。

 最も最近は日記なんか書かなくなったけれど、多分それは、
SNSなど別の方法で
毎日更新しているからという、
記録媒体が変わっただけのことで
何かを書くということがとても好きらしい。

 その昔中高生のころ、
太ったのが気になるとかで、
ダイエットしよう!なんて思った時
ちょうど

「レコーディングダイエット」

なるものがはやった。

レコーディングダイエットというのは、
毎日、食べたものを記録して、
自分がいかに何を摂取しすぎているとか、
そういうのを振り返って改善していく
ことで、食べ過ぎを防止するためのもの、だと思うのだが…

 実践した私はしばらくして気づいた。

 食べたものを記録する
レコーディングダイエット。

 記録するのが大好きな私は、
食べたいと思っていなくても、
手帳の空白をとにかく埋めたくて、
たくさん食べ、ダイエットとは?
というほど、むしろ記録することで
食べる量が増えていった。

 次に予定。先にも書いたように
手帳の空白を見るととにかく真っ黒に
埋めたい。予定というものが、
何も書かれていない日は
無理やりでも予定を作りたい。

 そんな感じだった大学生の私は、
学業、アルバイト、家族の用事や介護、友人との予定と入っているなかに、

 人に誘われてその時間の予定が
「空白」であれば一度も断らなかった。

就職活動をはじめたら、
分刻みで予定をいれ、
大学の授業でいけない、
アルバイトの時間、など
物理的要因がない限り
各所に就職活動予定を組み込んだ。

 そんなこんなで、とにかく、
空白を埋めたい、記録したい、
という私は、

 インプットするだけする、
取り込むだけ取り込む、
のは大の得意だったが

 それを整理したり排除したり、
自分自身の身体に無理がないように、
ときちんと“バッファ”をとったり、
そういうことができなかった。

(今も大の苦手だが、
自覚しているため
少しは改善した。だが、今でも
忙しさが重なると、自身では
コントロールできなくなって
インプット過多になりすぎて、
予定をつめすぎて、急に意識を失う
というほどである。)


 インプットするだけするが、
飽きるのもはやい。

 だから、継続することはできないし
先にも書いたように、
そもそも、習慣という観念が
わたしにはないらしい。

そしてさらに、

新しい環境、

新しいこと、

経験したことのない、想像つかないこと

に手を出すのが、異常に苦手だ。

 今までにやったことのないこと、
というものは想像ができないから
踏み出せない。

 しかもそれが手を出したら、
ある程度の期間は続けるであろうというもの、

 例えば就職して働くこと。

 そういうものは、

 これまで学生としての生活しか
していないから、
働くということが仕事の生活が
どのようなものか想像ができない。
 はじめは失敗するものだ、
といわれても、これまで人並み以上に
やらないとできなかった、
だから、私は、他人と同じペースで
同じくらいの量を、期限を決められて
やらなければならない、

という状況になると想像したとき、

そこに、
成功イメージや、楽しい想像が、

一マイクロミリも描けない。

ゼロだ。皆無だ。

 新しい環境、
 新しい仕事、
 新しい地位、

誰だって初めては、

失敗するかもしれないし、
叱られるものだと思うよ、


 と何十回、何百回言われても、

わたし以外の周りのすべての人は、

自分とは違ってなんだかんだできちんと
できる人なんだ、

と思うのだ。

 そして、それらがどこから来るのか、
考えると結局、

 これまで、
周りの人と同じペースで、
同じように進めたことが一度もない

という体験からだ。



 一度たりともない。

 仮に同じペースで
きちんとついてきていると客観的に
見えているものがあるなら、

 それは事前にものすごい準備を
したりしている。

 小学生の時の宿題、
 中高生の時の課題、
 予習復習、
 大学に入ってからの課題、
 アルバイトでの仕事、
 大学院時代の勉強、
 試験、
 就職活動、
 中高時代のクラブ活動

どれ一つとっても、
時間をかけて、
寝る時間を削っても、
人より成長が遅くても、
休む時間を削っても
必死に食らいついてきて、
なんとか、及第点をとってきた、

もしくは、周囲の優しい先生や友人、
親兄弟が手取り足取り手伝ってくれて
なんとかここまでやってきた、

というだけなのだ。



 もう二十数年そうやって、
生きてきた人間にとって、

 今のこの、
加速度的に変化するスピードが
上がっていく世の中で、
周りの同世代と同じスピードで、
同じようなクオリティで、
同じように仕事を遂行して
いかねばならない、
周りと協調して業務を遂行するために、
他者に迷惑をかけないよう
仕事を進めるためには、

仕事をする時間の3倍くらいの時間は
ずっと緊張して意識を常に集中させ、
神経をすり減らさねばできない。

 だが、先にも書いたように、
そもそもワーキングメモリの容量が
少ない。

その上、

気持ち的にも波が激しく大きく、

一定の精神で、数時間いることが、
難しい。

さらにいうと、

過集中になりすぎると、

文字通り、寝食忘れて、
一つのことをやり続けるのだが、

基本的には、
じっとしていることが
できない。

数分どころか、数秒でも同じところに
意識を集中することができない。

ご飯を食べることも、

シャワーを浴びることも

寝ることすら、

飽きてしまうのだ。


 飽きっぽい。


 そして、だからこそ、

 面倒くさがりなのだ。

 ご飯食べるの面倒だな、

 寝るのか…
そのためには、その前に
お風呂入って、着替えて、歯磨きして
ベッドに行って、準備しなきゃな

面倒だな


というくらい面倒くさがり。

さらにそれでやっとベッドに入ったかと思うと、何か考え事をしていたことに
急に意識が集中しだして、

スマホを片手にメモをはじめる。
または本を読みはじめる。
動画を見始める。

こういうことをはじめてしまえば、

もうあとは、集中が切れるところまで
エンドレスで、太陽がのぼっても、
すっかり朝が来ても
いやもっと眠さに抗えなくなるまで
やることを止めなくなる。

  

 飽き性と過集中という、
2つの特性を持ち合わせる
わたしにとっては、


 どうも、

新しいことをはじめる、

それも、
今まで経験したことないから
想像ができない新しいこと、
をはじめる


それから、

 それが、他の多くの人が
無意識に日常化できる、
例えば生理現象だとしても、
継続させるということが、
習慣化するということが
とてつもなく苦手だ。


 少し、不浄な話だが、
実は意識的にお手洗いにいくこと、
お水を飲むことを続けているから、
近年は、水分だって1日に、
飲み物として少なくとも1Lくらいは
飲むようになったが、大学生頃までは
ペットボトルやコップで飲む水分量は
多くて500mlくらい、少ない日は200ml。

お手洗いも、今は意識的に
お水を飲むから、1日に4回以上は
いくようになったが、
意識していなかった頃は、
朝起きた時とお風呂の前、の
1日2回くらいだったし、

 これまた、とてつもなく不浄だが、
いわゆる排便にいたっては、
中高生の頃の1番頻度が少なかった頃は
週に1回、というくらいであった。

水分をとる、
排泄をする

という一見生理現象的なことですら

意識的にやらねば毎日することなんて
ない、

そのくらい、

習慣というものがなかった。

その上、

 
 
新しい物事をはじめることには
 ビクビクしてしまうし、

何かを毎日、継続することもできない。

 それは、わたし自身が
他人より異常なほど苦手、

であったから、

 わたしにできないこと、

だと思っていたのだが、


 最近、
(さすがに生理現象が起こらないレベル
ではなくとも)

案外、他の人にとっても

 新しいことをはじめること、
 何かを続けること、


というのは、
難しいことなのではないか、
と思えるようになったのだ。


 だれかが、

 したい人、10000人

 はじめる人  100人

 続ける人 1人。


と言っていた。


 いつかやりたい、
 
 やってみたい、


と思う人は多くいても、

そこから物事を始める、

とにかく手を出してみる、やってみる

というところまでいけるのはそのうち

100分の1。


 そして始めたとしても、それを
ずっと、本当にずっと

続けられる人は、さらに100分の1。


したいと言った人の中で、

実際にやってみて、
さらにそれを続けている割合は

1万分の1。


 何かを続けることは、
わたし以外の人にも

案外、簡単、ではないのかもしれない。

 最近は、物事を考える
容量が頭に残っていないので、

 うまく
まとまらなくなってしまったが、

つまりこういうことなのだろう。



 結局、物事は、

 それが何であれ、

はじめる

ということと、

 続ける、継続する

 ということが難しいのだろう。


 飽き性で忘れっぽくて、
いろんなところに関心の散りやすい私は
英検の勉強の途中でいろいろなことに
手を出して様々なことが、
やりっぱなしになっている。


一方、同じ時期に英検の勉強を
一緒に始めた友人は、
一発で英検1級をとり、
すぐに転職して
英語トレーナーになってもう1年になる。

 コロナの期間、継続ができない私が

継続しているのは、

毎日4〜6km以上、
できれば7〜10km以上は
必ず歩くことだ。

 実はそれだって、4kmごとに
歩いてる途中で歩くことに飽きている
のだが…。

 新しいことに次々関心が、
うつってしまう私だが

 新環境や
想像のできないことに
手を出す足を踏み出すのは
異常に苦手で、
失敗する意識が強いと、
過呼吸やパニックを起こすほどだ。

 新卒で3日目に仕事を辞めてきて
しまったのには、
 本当に説明できないほど複雑に
さまざまな事情が重なり
合っているのだが

ゴールや終わりの見えないものは
手をつけられない。

完璧さや智徳の模範たらんとするもの
だと失敗してはいけない
意識が極端に強い。

このようにすれば、
この仕事・この業務は遂行できて…
と段階的な遂行の方法が明確でないと
何をすればいいのかわからない

さらに、
予定が崩れる、非常が起こりやすい
という環境はストレスフル

一方で、人に決められたペースで
仕事をこなさなければならない状況
が続くと、
不眠不休ででもやってしまう

模範や例が頭に浮かんでいないと
どうすればいいかわからない、

成功イメージや過去にやったことのある
ことでないとイメージがつかないから
踏み出せない。


 挙げればキリがないほど、
それこそ親や友人に、

いやみんなそれでも、やってるんだよ

当たり前だよ

と言われることでも、

たったそれだけの、

それらが理由で、パニックや予期不安を
引き起こしてしまう。


 そういう意味で、私は
周りの同世代と比較しても、

 物事に対する不安は、
強く持っているのだと思うが、

以前に、不安というものは、

前面にそれが現れるかどうか、

の違いだけで、
誰もが持っているものだろう、

と記事で書いたように、

 きっとどんな人だって、

物事を

はじめること、と

継続すること、

はとても難しいのだと思う。



 だから、何かに

挑戦する人、

楽しむ人、

続けている人、

コツコツ積み重ねる人、

踏み出した人、


を応援したい。


 やりたいというのは、誰でもできる。

 そこから一歩踏み出した人。

それがどんな踏み出し方でも、

どんな形でも。

 そのことに踏み出したことのない人が

 その人と同じことに挑戦していない

 外野の人が批判するのは簡単だけれど

 踏み出した人にしかわからない景色は

きっとあるだろうし、

 そこから本気になって

 続けられる人が、

 どれだけいるのか。


結局のところ、

一流、


と言われる人たちは、


あきらめず、堕落せず、


コツコツ積み重ねられる人なんだろう。



#継続すること
#はじめること

 継続の苦手な私が、
私自身の中で、
比較的長く継続していることを
あげてみた。

 ・今の仕事(現在1年11か月)

 ・毎日欠かさずウォーキング16日間
(ウォーキングでこんなに続いたことなど一度もない。だいたい長くて3日)

 ・note更新15ヶ月。

たったこれだけだ。


たったこれだけだった。


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