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もういっぱいです。

iPhoneからLINEやTwitterのアイコンが消えた。



透明だけど確かにそこにあるという場所をタップしたら開く。


容量がいっぱいなのだ。64GBじゃ足りないと購入する時話してたけど、
64GBなら安く手にはいるから、というのと、お店のお兄さんに、僕も64GBですよといわれたもあって結局それにした。


数日前から作動しなくなった。いろいろ試したけれど、
上に書いたように、アプリが画面のなかで透明になった。



Appleに電話して想像の4倍くらいの時間がたってからやっと対応の担当者の方が出てきてそこからさらに、遠隔操作などもしてもらって20分以上見てもらったけど、iCloudもiPhone本体も容量いっぱいだから消せるものを減すか、一度容量を増やしてiPhoneアップデートをするしかないってことがわかった。(私はPC をもっていないので、消すしかない)それでとにかく、iPhoneの不具合は、完全の容量不足ってことがわかった。長くかかった電話に感謝して、いざアプリの一部を減らすことにした。


こういうときタブレットをもっていてよかったと思った。このタブレット(Lenovoは、iPhoneを買うときに、セットだとお得だからと購入した。)は、


2年間通信料だけですんで、それ以外かからない。弟になんでLenovo?といわれたけど、タブレットがほしくて手に入れたというより、iPhoneをかったら予想してなかったのにタブレットがついてきたというだけなのだ。



ios づかいの私には使いづらいから、買って9ヶ月だけどほとんど使ってない、でも、ここまで書いてやはり使いづらいから、


アップデートが終わったiPhoneにnoteは移すことにした。


iPhoneのアップデートをする前に消したアプリは、


・NHK語学講座(ほとんど使ってない)
・Twitter(昨年iPhoneを無くしてiPhoneとタブレットを買った時に入れたからiPhoneとタブレットと元々どちらにもあった)
・FB(Twitter同じく)
・勤務先の給与ページ
・note

noteは、iPhoneアップデート後にiPhoneにも戻したけど、その他はそのままにすることにした。もしかしたらまた、使い勝手が悪くなってiPhoneにインストールするかもしれないけど、しばらくはそのままにしよう。


LINEは消えたら困るし、LINEはタブレット共有をしたいんだけどうまくいかなくて、下手に消えても困るから、触らない。


それ以外は、このままにしよう。


ちゃんと英語を聞こうと思って入れたNHKアプリはずっと放置してたし、Twitterは最近はすごく多い時で1日10くらいしか呟かないし、ほとんど見てるだけだし、iPhoneにあるとみちゃうし、FBの方がTwitterよりはみてるんだけどこちらもやはりあると気になるし。


これを機に、タブレットを返却するかどうか迷う2023年11月まで、できうる限りタブレットだけにしたいところ。インスタは、一度タブレットでログインしようとしたら、乗っ取りにあってすごい苦労して取り戻したからもうしない。LINEも下手に消えたら嫌だからそのまま。


NissyとEXITのFCは本当はタブレットで十分だけどまた再ログイン下とかに何かあったら困るし、TwitterとFBと使ってないもの消したらとりあえずアップデートできたから、このまま。バックアップとれなかったり、iPhoneの容量いっぱいでアップデートできてなくてデータ消えてしまった場合の方が悲しいし。無理のない範囲で。これでいこう。


それに、少しiPhoneから目を離さないと本当に視力が悪くなり過ぎている。ついに-7.75の世界まできたんだ。


昨日、新しく買っておいたカラコンつけたら、カラコン-6.50でも大丈夫と思って買っていたものだったんだけど、さすがに結構見えなかった。道を歩くのに困難がとかまではないけど-7.75で矯正視力0.8〜1.0ということは
-6.50のカラコンではわたしは0.3か0.5くらいしか見えてなかったのかも。そりゃぼやけるわけだ。


iPhoneがいっぱいにならないようにと思って写真の整理してたけど、最近は、出かける用事とか推し活がすごくてもう全然間に合わない。


それでiPhoneの容量がいっぱいになりすぎてiPhoneが過労になったから、
減らして減らして57GB まで減らしてiOS アップデートを開始した。これでもう大丈夫だと思ったけど、それでもアップデートできない。どれほどiPhoneに負担がかかっていたんだろう。

Appleサポートケアに連絡して長い時間かけてみてもらったけど、
64GBでこの写真容量は無理っていわれた。iCloudに写真を移してiPhoneから消しましょうと指示を受けたけど、iCloudはとっくに容量か満タンで空きがないし、
じゃあパソコンに繋いでiTunesでバックアップといわれたけど、私はパソコン持ってないし我が家には父の仕事用の会社貸与のパソコン以外にパソコンはない。

だから、iPadではないタブレットでも、十分に嬉しかったわけだし。


パソコンないんです、は想定外だったのか、結局かけはじめて20分ちょっとで、 

すいませんがもう方法はありません、と諦められてしまった。



それで仕方なく、互換性のあるアプリは全部タブレットに入れてiPhoneから落とした。それでやっと、タブレットをちゃんと使おうって思った。タブレットは、Lenovo TAB6。タブレットが欲しくて買ったんじゃなくてiPhone買ったら安価でついてきたってだけだからね。でもTverとか観てる。あと、LINEとインスタは共有できずにいるけど、ほかのSNSは共有した。それで、目が悪くなってきたのとiPhoneの容量がいっぱいになったのを機に、色々なものをタブレットだけにしてiPhoneからのぞいた。


おかげでiPhoneは63.9GB→59.5GBまで減ったよ。やっと動くようになったよ。こわれずにすんだよ。


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あれから2日経った。アプリとかは戻してないけれど、すぐに溜まるんだね。もう61GBを超えてしまった。


お部屋も、また随分と汚くなってしまった。元通りまでは戻ってないけれど、しばらく何も手つけられないままだったら随分荒れてきた。


モノも見つからないどころか、無くしモノ増えてしまったし。眼鏡は本当に見つからない、どうしちゃったんだろう。


なんだか、とてもいっぱいだ、私。
すごすごくいっぱいだ。


そう感じた。今日は、ベッドから起き上がれなのは17時のチャイムの後だった。


この暑さの続く気温の変化も、気圧のおかしさも天候の悪さも私の身体にすごく響いている気がするしそうなんだと思うけれど、


目に見えるように体調が悪く(嘔吐が止まらないとかさ、もう明らかに救急車送りとかさ、)ならないから、「怠けてる」ってずーっと言われる。本当に背中が疲れてるんだよ。骨バキバキなるくらい。


でも、そんなの他人にはわからないもんね。でも、iPhoneがいっぱいになったことで、いくつかアプリを消してみたら、そんなに困ってないことに気づいちゃった。TwitterとFB(どちらかといえばFB)はやっぱりまだ気になったりするけど、そんなにiPhoneに戻さないと発狂するほどじゃなくなってた。


iPhone無くした時に、写真とLINEとインスタさえ消えなければ…と思ったのは案外芯をついていた。結局のところ、他者との連絡手段やつながりで最も必要なのがLINE、そのほかでiPhoneを使う最大の用途は写真を撮ることとその写真のログになっているインスタ。それ以上にはないんだ、って。


部屋も結構探したし心当たりは全部電話したけど眼鏡は未だに見つからない。眼鏡がないという不安は、悲しさは結構心を抉っていた。すごく不安定になっていた。そして、その不安定さやバランスを崩した分を私は、親愛なる友人という存在があることでこれまでなんとか綱渡りのような時に、繋がらおちずに生きてきたんだということも実感した。


過労になる日々が始まって以降、親愛なる友人はずっと心の支えだし、私の最大の理解者だし、親愛なる友人がいるから生きている。大袈裟なことではなくて、彼がいなかったら私は死にたかったし生きているのが無理だったし大学院も修了できなかったし、今の仕事にもつけていないし。いっぱいいっぱいになったら彼を頼って甘えて寄りかかって自分から溢れ出ていっぱいになって破裂したら彼の存在でなんとかまた生き延びてきた。


でも、いっぱいいっぱいになった時彼が助けてくれるっていうのはひとつの心の支えだけれども、いっぱいいっぱいになる前にもっと整理して自分の中の容量を確保しておかないといけないんだって思った。


TwitterとかFBを他のデバイスに移して目の前のiPhoneから消したように、


友人関係も目の前の自分の生活で負担になっていることも、何かしらの形で今の自分の身体に抱え過ぎないようにしないといけないし、いっぱいいっぱいになりかけた時に、親愛なる友人に全部甘えたいというのは、やっぱりどこかで変えないといけないんだってわかってる。


だって、わたしは彼とはずっと友達で、
ずっとただの友達だし、既婚者で家庭のある彼の生活を変えてしまいたくなんかないけれど、彼以上にわたしを理解し、見守り、助けてくれる人はこれまでにも誰もいなかったし、彼ほどにわたしが心を開けた人もいなかったから、だからやっぱり彼以上に信頼している人が今のところまだ家族にすらいなくて。それでわたしは、辛くて仕方ない気持ちや身体や心を、彼に甘えたくなって彼にしか頼れないけれど、でもやっぱり彼とはそれなりに線を引かなくちゃいけないから。このままでいたら、私がいずれまわりまわって辛くなるって。ちゃんとわかってる。


それで、頭の中では、もっといろんな人に、
少しずつ頼ったり甘えたりすればいいんだってわかっているけど、多分私は、彼以外の人を信頼していないんだと思う。信用はしていても。


だから、結局わかっているけど、
この人なら頼りたいとか、甘えたいとか、
甘えても大丈夫とか、そういうのが彼以外に全然浮かばない。思い浮かばない。


頼ってもいいんだよとか、
言われても、なんか違うんだよなって思ってしまう。


iPhoneは、せっかく少し減らしたのに、
あっという間にまたパンパンに戻ってきちゃった。


 両親が祖父母の元に帰省するってことで、
私も帰省した方がいいかなとか色々考えてた。帰省した方がいいだろうなって気持ちと帰省しておきたいなって気持ちと、でも、1人になりたいなって気持ちとそれから友人との元々の約束を断らなきゃいけない面倒さと、

色々勘案して、親には返答が遅くなってやんや言われたけれど、今回は帰省しないことにした。


帰省しないという選択肢に、不安を持つようになった。それは祖父母も歳が歳だからだ。次いつ帰るかわからない、祖父母もいつまでも元気なわけじゃない。


だから、友人との約束と祖父母だけの天秤だったら後者を取りたかったけれど、5月から約束していた友人との予定を、突然帰省する日程が1週間前とかにわかって5月から決めていたその日を、その友人たちに断らなきゃいけないそのエネルギーの方が今の私には苦痛だったし、私だけが帰省しないとなると、一人の時間を持てるかもしれないという、これほど欲していたものはないというものを得られる気持ちがあった。


私は寂しがり屋だけれど、一人が好きだ。
家族とはできる限り時間を共有したくないし、友達も親愛なる友人以外だったら滅多に会いたくない。そこで親愛なる友人だけ別なのは、彼が私の心の安定剤だからだ。


結局、今までにいたどの彼氏よりも親愛なる友人のことをちゃんと好きだし愛してるんだって気づいてしまった。恋と友情は別物だけど、親愛なる友人に対して抱いている感情に、恋愛感情がないわけじゃない。


ただ理性があるから、常識観念を少しは持っているから、結婚して子どももいてずっと友人できた相手のことを何も考えず恋愛感情だと思って好きになったりしないだけだし、


私はやっぱり彼のことが"欲しい"わけじゃないから、これは恋愛感情というわけでもないんだろう。


だけど好きだし、好きには色々あって
友人としての好きには少なからず下心はあるんだろうから、恋愛対象として好きになるかどうかは知り合ったり友人として付き合ってきたなかでなその下心の割合がどうなるかによるものなんだと思う。


その下心が、ずっと低かった。でも、最近自分が完全に弱っているからか、ちょっとだけ高くなっているのがわかる。親愛なる友人と会う時、話す時、その後ろに彼の家族という存在を感じて少し辛くなる。

この人には帰る場所がある
この人には最愛の人たちがいる


そう思うと心を鷲掴みされたようなギュッとした苦しさが過ぎる。


そして気づいた。


ー 夜神くんへの未練や恋愛感情やいろいろを、親愛なる友人へすり替えてきたそれが、自分が思っている以上に成功していたんだ ー


と。


 2019年、夜神くんとうまくいかなくなって別れることを選んでそれでも忘れられなくて、辛くてずっと苦しくて、それを、親愛なる友人にずっとぶつけてきた。そのぶつけてきたなかで、夜神くんに言えなかったことを親愛なる友人に言ったし、夜神くんにしたかったことを親愛なる友人にして、そのために、私は親愛なる友人に夜神くんに対して抱いていた恋愛感情を投影した。それは、親愛なる友人にだから成功したんだ。


メロくんたちにはうまくいかなかったのは、
どんなに投影しても、恋愛対象になりうる人たちに投影してしまったら、結局何かしら戻ってくることを期待してしまうし、相手との信頼関係が構築されていない状態でそんな私になっても相手にとっては訳もわからないし重いだけだったと思う。それができる相手は私にとって親愛なる友人だけだったし、親愛なる友人は結婚していて、彼は家族を愛しているし、私は彼が家族を大切にしていて愛していて守らなければならないことを知っているし、彼は私がセンシティブなことも、傷ついた過去も、私の人間性も知っているから、私がどんな甘え方をしてもどんな当たり方をしてもどんなに何ができなくても受け止めてくれた。だから、お互いにwin-winな形で親愛なる友人に私は恋愛的な甘え方も含めて甘えてきた。


でも、私は、親愛なる友人に、友情とは少しだけ違う好きという感情を、持ち始めたところでその感情に気づいてしまった。その投影があまりにもうまくいき過ぎたんだと思う。それに気づいた。だからここで止めようと踏みとどまれたのだから、気づけてよかったけど。それでもこの日は、その感情が思った以上に沸々と湧き出ていた。



これからも、彼は私の友人であるだけだ。でも、もしそういう危うさがあるのなら、わたしは少しだけ彼に甘えたり頼ったりするその距離を意識的におかなくてはならないのだろう。


だから、一人でどうやったら抱えられるのか、少し考える必要があってそのためには、私のために、私一人で私のことを考えてあげられる余裕と時間が必要みたい。


親愛なる友人が担っていた部分を他の人にすればいいという意見もあるだろうし私もわかるが、私にとっての彼は、命の恩人でもあり、人生の師匠でもあり、盟友でもあり、先輩でもあり、かけがえのない存在で、愛しているし、彼に代わるような彼に対して私が感じているほどの信頼性は、家族に対しても誰一人にも持っていない。だから、無理なのだ。


他の人では替えが効かない。それは仮に他の人に少しずつ頼ったとしても、信用であって、信頼に少し到達しても彼に対する親愛には届かない。


でもそれは、彼が出会ってきてからこれまで
ずっと変わらず、私を支えてくれたからだしわたしに目をかけてくれるからだし、彼ほどに私という人間を理解している人がいないからだ。


たぶん、同志として、そして尊敬できる相手として、幸せであってほしいと願える相手として、好きでい続けられる相手として、


そういうふうに続く相手というのは、人生を共に生きていくのに強い繋がりがあるものだと思う。だから、彼のような相手は、強いパートナーになると思う。でも彼と私はただの友人であって、そうはならない。


それにはっきりと気づいたから、少しの苦しみが生まれたんだろう。


ただ、考え方を、見方を変えたら、

人生のパートナー、恋愛相手ではないのに、
そう思える相手がいるというのは、とても心強い。

結婚やそういう相手としてのパートナーという関係はとても強いものだけれど、


恋愛の相手より友人関係の方がずっとずっと長く程よい距離で、責任の重さに潰されることなく一緒に居続けられる。たぶん、私にとって彼のような人がパートナーになったら、私が相手にしてあげられることより相手からもたらされるものの方が多すぎることに悩むし、相手にとっても頼られる、甘えられることの方が多くて辛いと思う。


パートナーとしては、もう少しひとり立ちしていて、人間として魅力的である方がいいんだと、気づいた。


そう考えれば、恋愛対象にならないところで、友人として、ここまで愛せるほどの存在が、
今のところすぐ助けを求めたら手を差し出してくれるところにいるというのは、とてつもなくラッキーなんだと思った。


私は、とてもラッキーでハッピーなんだ。


 少なからず恋愛感情のような下心を抱いていることについて彼に真剣に話してしまったら、彼は意識的に距離を取るかもしれない。わからないけれど。それは嫌だと思って、言語化能力の低い私は、まだ彼にこの気持ちや思いを伝えていない。


 でも、ここにこうして記載しているなかで、
もちろん彼自身が魅力的だからという理由があって、彼に彼女(パートナー)がいることを知らなければ好きになっていた可能性はあるけれど、それでも多分、パートナーがいるのを知っていたからそういう対象に見てこなかったのに、突然に恋愛感情的なものが埋めいたのは、もちろん彼が魅力的で優しくて信頼できるからであるにせよ、いつからか辿れば、夜神くんへの気持ちを、決して間違うことはないからという理由で彼にすり替えてきたところから発して、それが大成功してしまったということなのだから、


それをそのまま伝えた上で、
もう少しだけ、もともとお互い、
特に何も考えずに距離が近かったところに
今私が、恋愛感情をすり替えて彼に向けることができてしまった分だけ、距離が近いことが苦しい要因になりうることは、伝えた方がいいんだろうと思った。いつまでもこの近すぎる距離もよろしくない、それは、世間的によろしくないとかもあるかもしれないけれどなにより、私自身の人生のためによろしくない。


余裕がなくなっている時には彼にダダ漏れに甘えたくなって、だから距離感の違い彼との距離感を自らコントロール効かなくなる。でも、そのままでいられないなら、それをコントロールする必要がある。


私が彼にここまで甘えて頼って、時にぶら下がるほどに悩む理由は、アドラーが言ってたようにだいたい人間関係なわけだから、少し人間関係を切ったりしてかえる必要がやっぱりあるんだと思った。


私は、友人たちが想像しているよりずっと彼ら彼女らに心を開いていない。信頼なんかしていない。


それは、親愛なる友人以外の友人に対しては一律みんなそうだ。そして家族に対しては、家族としての信頼はしているけれど、やはり心は別に開いていない。


だから、人付き合いが生まれるほどに、
その分だけ親愛なる友人に甘えたり頼ったりする時間が必要になっていた。そしてそれを遠慮すれば遠慮した分だけ苦しくなっていた。


部屋もiPhoneも自分自身も、
空き容量がないと、何も動けなくなってしまう。バグって、必要なものが動かなくなってしまう。


あんまり今の自分に必要のない人間関係や
必要かもとは思っても現状動かさない関係や
ただなんとなく昔からそこにあるからそのままの電話帳の連絡先のような人間関係も、
一旦どこかにおいて目の前の私のこの身体から移動させて消してあげなくてはならないんだろう。


 他の友人たちに会うお金があるなら、親愛なる友人に今までの恩返しがしたいし、他の友人たちと親愛なる友人と会う予定が重なるなら親愛なる友人に会いたい。


 両親の帰省の予定の決定が遅かったから、言われた時には既に私には友人と会う予定があった。でも帰りたくないわけではないし、その友人たちと会うのに気が進むわけでもなくて断れるチャンスかもなんて迷った自分もいた。実際、祖父母の年齢を考えればあと何回祖父母に会えるのかもわからないし。


けれど両親に催促されながら、結局帰省を選ばなかったのは、


帰省をしたくないというよりは、
友人たちと会う予定を大切にしたいというより


両親が帰省するなかで私だけ帰らなければ
「自分だけの、一人の時間」を確保できると思えたからで

友人たちに直前になって断って、断った時のなんやかんやを言われるのが心に疲弊するし面倒だとわかっていたからだ。



そして、私は、この友人たちに、


今回のしゃぶしゃぶのほかに
サンリオピューロランド、京都旅行と誘われているけれど


たぶん、しゃぶしゃぶにいったらもう次はその1年後とかまだ会わなくていいと思うし、
なんなら別にこの3人で会わなくてもと思うのだろうと予測がついた。(断れるかは別として。)


私は彼女たちと、そんなに時間を共有したいわけじゃない。


それは、他の友人たちに対しても思っていたりする。


親愛なる友人にだったら週何回でも逢いたいけれど他の人にはそう思わない。


その違いにやはり、私が彼に対して持っている感情や私と彼の関係性が、彼といる時にはいわゆる"友達と遊ぶ"に該当するような遊び方をしないことがあるんだろう。他の友人たちとは違うものなのだと気付かせた。


でも、そのくらい大切な彼だから、その親愛なる友人のために、私は今、他の何にお金や時間を使うより、彼のためにも、自立してちゃんと自分の力で幸せになれるようになりたい。



 男女の友情なんてないのよ!という人は、
友情というものを綺麗に描きすぎている。友情にだって下心はあるし、男女の友情にも相手との付き合いの中で確かに「(恋愛対象としての)女として見てないから」というのは、本当の部分はあっても「女として見てない」わけじゃなかったり、男性に限らず、男女共にべつに相手に対して性的な意味での下心はどこかに抱いているかもしれない。
だから、ずっと友人でいたのに突然好きになってしまうとか、そういうことが起こるんじゃない?
そういうものをすべて踏まえた上で、どの関係性が最も心地良く、どの距離感が最も付き合いやすくあるか、ということなんだろうし、理性は持っているわけだから、欲求はあったとして行動にうつしてしまうか否かの問題はあるだろうし、仮に行動に移してしまっていたとしてお互いに本当に割り切れているのか、というところが問題なんだろう。


 私は、親愛なる友人と出会って5年以上経って初めて彼を本当に(いわゆる恋愛対象としての)"異性"のような感覚で見たし、けれどその時点で彼は既婚者で子どももいて、この5年間のお互いの友人としての関係の方が大事だったし、私が抱いたこの感情は、このタイミングで突然出てきたのは、その年にやりはじめた"夜神くんへの恋愛感情を親愛なる友人へすり替えていくことで日常をなんとか生き延びる"というのがあまりにも成功しすぎた結果なのだとわかっているから、私は彼のことを本気で(欲しいという感覚で)好きになることはないし、でも、たぶん、私、彼のこと好きなんだろうなと気づいた瞬間は戸惑ってもわりとすぐに冷静になった。


夜神くんへの気持ちのすり替えを、メロくんやニアくんにしてしまおうとしていた時よりずっと苦しくない。私が彼のことを好きなのは、私が親愛なる友人のことも好きなのは、親愛なる友人もわかっていることだし。話せるし。


ちょっと私、物を無くしたり、なんだかいっぱいいっぱいになっていて何をすればいいのかわからなくなってパニック状態になっていたり、ちゃんとした休みが突然降ってきて突然疲れていたんだろうなと思う。



眼鏡が見つかるまでは、まだまだ落ち着けないけど、少し気持ちを落ち着かせようって思えたし、やっぱりこういう関係性には、他の人とは絶対にならないから、他の人じゃ替えは効かない、だからこそ、私は彼のことをもっと深く大切にして、感謝して、恩返ししていきたいし、彼にとっても良き友人であれるように、と感じた。たぶん、ずっと彼のこと、好きだから。


容量いっぱいのiPhoneは、減らしてもすぐに戻ってきたし、やっと綺麗に片付けた部屋は、触らぬ間にやっぱりあっという間に戻りつつある。


非正規雇用で短時間で、週に2〜3しか働いていないのに、それでも今の私には、いっぱいいっぱいすぎるんだよ、と心の中だけでため息をついた。


疲弊しすぎて毎日帰ってきてはぐったりして、
ご飯を食べる元気も時にはなくて。でも両親はやっぱり全然そんなこと理解できない。


この上、せっかくの夏休みもずっと両親と一緒、おまけに帰省してなんてやっぱりたまったもんじゃないや、、


院生の時も、帰省なんかしたくなかったよ。と
一人、カレンダーをみてぼやいた。



でも、ここが変わる時。だから、
今までの関係から、少しだけ踏み出して、
ひとり立ちに向かっていこう。

#親愛なる友人

#友人関係

#人間関係

#恋愛と友情

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