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2ヶ月の友禁解放


 親愛なる友人に会える。

 やっと会える。


 3/6にあった以来だから、
ざっと2ヶ月。我慢してた。

 正直かなり我慢してた。

 


 爆発もしてた。本人には、
素直に、一度か二度だけ、
会いたいの我慢してるんだよ、と言った。


 今まで恋人にもこんなこと言ったことなかったから言えたことにびっくりした。

 逢いたい人に逢いたいって、
言えた試しないのに、
親愛なる友人には、友人歴6年目で
やっと言えた。


 彼は、教員だし、彼は妻子あるし、
決して簡単に会える間柄じゃない。
 最近は、遠慮してLINEもしない、
みたいな勝手に相手のご家庭を考えすぎることはしなくなったけれど、
でも、配慮はする。だって逢いたいって雰囲気醸し出てしまっただけで、
あうか?って聞いてくれる人だから。
そんなにしょっちゅう醸し出しちゃいけない。それなのに私は、彼にLINEするとどうしても逢いたくなるから。


 アルバイトだけど、3月4月は、今の仕事に邁進しすぎた。
GWという"斬られ方"がなかったら、
私はあのまま猪突猛進していた。

 インスタのストーリーでも、
Twitterでも開けば彼の名前を挙げていた。人に対して直接言ってなかっただけマシと言ったところだろう。彼のことを知ってる人に会わなかったから。


 彼氏でもないのに、
友人なのに、こんなに逢うのを
楽しみにしている相手なんだ、と
コロナになって以降すごく感じる。


 それだけ、コロナ前は彼に
会っていたということ。コロナ禍になってからあまり会わなくなり、コロナ禍で彼にお子さんが産まれてからは私から誘わなくなった。


 いや、コロナ前も2ヶ月に一度くらいだった気もするけれど、

「いつでも会える相手といつでも会える環境で会う」のとは訳が違う。


  昨年の4月以降、まずほとんど
人と約束して会うがなくなった。

  この1年ちょっとの間に、
仕事や相手から誘われて話した先輩以外でお話ししたのは、

 ・塾の仕事を辞めてから数回友人


 ・仕事前に同僚兼友人と職場に関する話をカフェでした

 ・Lくん(告白するために呼び出した)


 この3人で、あとは
全部親愛なる友人、と言っても過言ではない。


 だから、コロナになってからも、
彼にお子さんが生まれてからも、なんだかんだかなりあっている。けれど、
2〜3ヶ月に一度逢うのでも、足りないくらい、逢いたいと思っていると最近気づいてしまった。口を開けば彼の名前、LINEするたびに逢いたい、。

 ここまでなると、これはもはや、
「依存」という他ない。


 これはちょっといけない。


 結果して逢うことそれ自体が悪いのではない。また、彼との関係性が悪いのではない。(だって現に、ただの友人だから)

 私が、彼に心のどこかで依存してしまっているのがいけない。
 27歳の目標に、
「彼から自立する」を立てていたのに、もう誕生日から8ヶ月以上経っている。もうすぐ28歳なのに、標語が達成されない。


 男友達であり、かといって
恋愛に発展する可能性を持っておらず
はたまた相手もスキンシップを嫌がることなく、むしろしてくる人で、かつ互いに私がこんなにも、恥ずかしいことも辛いこともかなり曝け出している人が親愛なる友人しかいないからなのだけれど。女性友人たちを含めても、私にとって彼が圧倒的地位に君臨しているのだと思う。


 これが互いにそういう相手なら、
「親友」とでもいうのだろうか。

 でも、一方的なものだし、対等というわけでもない。だって彼がさらっとお金や時間を使ってくれるし、私は彼に依存しているし。


 だから「親愛なる友人」。



 恋愛関係にならないから、
清々しいほどいえる。彼は彼で
おしゃれや流行みたいなものにとんと疎い私に「お前ほんとダセーな」
みたいなことも言ってくるし、たまーにそれがストレスになることもあるかもしれないけれど、彼氏や他の男友達が言ってはくれないことを言うから清々しい気持ちになる。思っているけど言わないけど、めちゃくちゃ裏で言ってるとか思ってるとかの方が、イラッとせん?

 思ってるなら言いなよって思う。
「傷つけちゃいけない」とかなんとかいうわりに爪が甘いんよ。他の人から聞くとか何かのタイミングでなんかあったりしたら急に色々文句つけてくるとか。男の人多かれ少なかれそういう人多くない?私が出会ってきた人たちがそうなだけですか?


 思ってたけど言わない、なら
墓まで持ってけ!喧嘩したり別れる時にとかましてや他人に(それが男友達同士の話でも)話して本人に伝わってしまうかもしれないなら、そんなに詰めが甘いなら話さんでよな!!と思ってしまう。(ま、まあ、男性に、限らないんだけどさ。)


 その点、それなりに、
頻繁でもなく、言い方もぶっきらぼうでもなく、でも色々ぶっちゃけてくる親愛なる友人は清々しい。


 男性目線のも、友人になってから3年くらいは嫌な言い方されることもあったけれど、「嫌だ」と一度言ったら、同じことを彼はしない。


 そういうところが好き。
なんだかんだすごく優しいところも、
自分勝手じゃないところも。


生理なのって私が事前に言えて、
なおかつ顔見て身体がきついの気づいてくれて、かといってなんだかんだ色々と言葉にしてくるんじゃなくて、
生理のなかお家にお邪魔して履歴書書いてた時もお手洗いここだから行きたかったら、とか
何も言わずにハーブティー入れてくれたりとか。


そういう優しさや気遣いができる。


それに、頑張ったら頭ポンポンしてくれるし、辛い時は抱きしめてくれる。
スキンシップが多い方なのだと思う。
でも、それが嬉しい。
今まで付き合ってきた彼氏だって、
頭ポンポンも珍しいのに、
親愛なる友人で慣れてきたから、
多分だんだんその、付き合う彼氏からの愛情表現が少ないと足りなく感じるのはあると思う。表現されないとわからない。


 多くの男の人は、
「付き合ってるんだから言わなくてもわかるでしょ」とか、
「付き合うところまでで達成感得て雑になる」という人もいるけど、

 私の知ってる、相手と長い付き合いの男性は、たぶん、それなりに愛情表現を彼女の前ではきちんとするんだろうと思う人。

 他の人はわからないけれど、
親愛なる友人は、後輩かつ友人である私に対しても、私が愛を感じられるくらいには表現があるんだから、奥さんやお子さんにはかなりしているんだと思う。知らんけど。



 そういうのが想像できるような人であるところもすごくいい。

 そういう愛情表現をくれる人に、
定期的に会えるというのが、
私の精神の安定になっている。


 愛されている感覚に乏しい私が、
定期的に彼と会うことで、愛されている感覚やNAZを感じられる。



 私は彼に逢うと、
物理的にも精神的にも安全だと感じられるし、生きていて良いとか悪いとかそんなことも考えないし、
重いかもとかなんとか考えずに甘えられる。


 甘えるタイプの顔に見えないからか
でも、恋人には甘えてもいいかな…甘えたいなって気持ちが私は結構ある方で、だからいつも付き合うと恋人にだけ甘えたスイッチみたいなのが🔛になる。


 でも、これまでの恋人は、その
スイッチみたいなのに最初は驚いてしばらくすると、嬉しいと言ってきて、
でももう少し経つと、私が他の人や他のことをやっていることにも気づかないで「俺に構ってる暇あったら他のことやりなよ」って感じになったり、私が忙しくしていることに気づかなかったりそんなだった。


 それにはもちろん相手が、親愛なる友人のように気付く人ではないというのもあるけれど、私が親愛なる友人に対して表現しているほど、素直でいられないという関係性もある。スイッチの切り替えをして彼氏の前だとonにする、みたいなそんな風にしかいられない。


 親愛なる友人は
甘えたスイッチオフの時も知ってるし
社畜戦士してる時の私のモードも、
甘えたな私もわかっていて、
かつ愛情表現をしっかりする彼は、
「お前の彼氏、ちゃんと伝えないってことは、お前のこと大事じゃないってことだろ」「お前が不安になるってことは、不安にさせるような態度で、なおかつ我慢してることに気づかないような男ってことだろ」ともうずっとそんな感じだ。


 大学院生だった時からかれこれ6年目の付き合いだけど彼は、私のことを、人間性や性格などを出会って数ヶ月でそれなりにつかんだとおもう。だから学生時代から気にかけてくれる。6年目になった今は気の置けない間柄どころではないといった感じ。かといって家族感があるわけでもない、本当に唯一無二。


 以前彼に、

「あなたみたいな人だったら、
私無理したり頑張ったり、気張ったりしすぎないで恋愛できると思う」といって「あなたみたいな人紹介して」と言ったら「なかなかいないと思う」と言われた。


 そう、本人の自覚の通り、
彼みたいなタイプの人はいない。
だから、ここまで仲良くなったし
ここまで信頼しているし、ここまで
愛情があると思う。


 たぶん、彼とはどちらかだった。


今みたいにかなり親密になるか、
全く仲良くなれずに同級生にそんな人がいたとなるかのどちらかしかなかったと思う。真ん中の関係性にはならなかったと思う。


それがたまたま仲良くなる方に傾いたから、彼が傾けてくれたから、
私は彼をこんなにも信頼して、愛してやまないだけ。


意外と人見知りが激しくて、仲良くなってもなかなか腹を割らない?いや、心を開けない私、というか自分自身にも心を開いているというのか…という私は、これまでのかなり仲良い友人たちにもこんな風には仲良くなれなかった。


 相手が、都合のいい時だけ私にいい顔するのも本当は気づいていたし、
自分が構って欲しい時には私を頼るのに私が助けて欲しい時に自分が忙しいと話を聞かない友人たちもわかっていた。


 この人話聞いてないな〜、
この人話わかってないのに相槌だけ打ってるな〜っていうこともわかっていた。


 話してもあっても、別にその場は楽しいと感じていても、満たされた感じというか、会って疲れがとぶことは感じたことがなかった。むしろ、帰ったらどんなに楽しい話で盛り上がって楽しい気持ちで帰っても、疲労が目に見えていた。


 親愛なる友人には、それがない。


会ったら身体が軽くなって帰ってくる。
会ったら私が請け負う話がない。
いつも彼が聞く側というか受け取る側。
(だから対等ではないと思う気持ちもあるのだけれど)
彼は彼で、私を抱きしめてくれる対価としての彼の要望を少しだけ言ってくれるし。男女の仲だけど、エロの話も彼氏の話も真面目な進路の話もできるのは貴重だ。


 そう、エロに関する話や、
女友達に聞かれるような彼氏の話ではない話ができるのもいい。なんか、何も飾らなくても、何も考えなくてもいいのだ彼には。ただ、心の奥底に、彼の環境(妻子持ち)とかを留めておけばあとは解放したは状態であえる。


 それが心地いい。女性友人とも、
彼氏や好きな人の話はしてもエロの話をしない私にとっては、それが言えるのも心地いいのかもしれない。


 配慮はするけど遠慮はしない、
という言葉がぴったり当てはまるほど、彼には気疲れしない。他の人は一切、家族でも気疲れするのに。


 そういう親愛なる友人に逢える
限られた時間はとても貴重だ。
 我慢していたからなおさら嬉しい。


 だから、楽しんでくることにした。


#親愛なる友人

#再会

#男友達

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