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意外といるぞ パトリック・ピアースの友だち①
皆さんご存知(?)、アイルランド建国の父パトリック・ピアース。教科書などで名前は見たことがあるかもしれないが、実際にどんな人物だったかを知る方は少ないのではないだろうか。
パトリックの性格は、ひと言でいえば「内気」。幼いころから極端な無口で恥ずかしがり屋だった。学校では友だちをつくろうとせず、いつも独りぼっちで本を読んでいた。同級生の取っ組み合いやバカ騒ぎを目にすればあからさまに怯え、「いくじな
④パトリック・ピアース最愛の弟「ウィリー・ピアースの足跡」
ガバガバ歴史探究つづき。前回と同じく、パトリック・ピアースの弟ウィリー・ピアースの人生について紐解いていこう。
1910年、兄パトリックは教育に適した静かな環境を求めて、聖エンダをラスファーナムというダブリン郊外の土地に移転させる。
このころから、聖エンダに政治と関わる人間が出入りするようになった。
たとえば、バルマー・ホブソンとコンスタンツ・マルキエヴィッチら(※1)によって設立された「フ
③パトリック・ピアース最愛の弟「ウィリー・ピアースの足跡」
ガバガバ歴史探求続き。前回と同じく、パトリック・ピアースの弟ウィリー・ピアースの人生を紐解いていこう。
美術学校に通いながら、ゲール語連盟の一員としてゲール語を指導するなど、忙しい日々を送るウィリー。
そんな彼に、運命を大きく変える出来事が起こる。1908年、兄パトリックによる「聖エンダ学校」の設立だ。
聖エンダ学校は、子供たちに英語とゲール語で教育を施し、バイリンガルに育てることを目指した
②パトリック・ピアース最愛の弟「ウィリー・ピアースの足跡」
前回に引き続き、パトリック・ピアースの弟ウィリー・ピアースの人生を紐解いていこう。
ゲール語以外の学問はてんで駄目なウィリーだったが、彼の関心は芸術に向いていた。ウィリーは彫刻家の父ジェームズと、ジェームズの手伝いをしていた異母兄ヴィンセントの影響を受け、彫刻芸術に興味を持つようになった。
そして1897年、15歳の時、ウィリーは近所のメトロポリタン美術学校に入学。日中は父の経営する建築会社の
①パトリック・ピアース最愛の弟「ウィリー・ピアースの足跡」
ガバガバ歴史探求つづき。今回は、パトリック・ピアースの弟ウィリアム・ピアース、通称ウィリー・ピアースについて紹介する。
兄の影にあることを運命づけられた男
アイルランド建国の父、パトリック・ピアースの人生に最も近く寄り添い、心を通わせた人物、それが弟ウィリー・ピアースだ。
彼は偉大な芸術家になることを夢見る、内気で優しい、ごく普通の青年だった。彫刻家や俳優として活動しつつ、兄パトリックが創立
③アイルランド建国の父を育んだ者たち――パトリック・ピアースの「父と母」
前回に引き続き、パトリック・ピアースの母親マーガレット・ピアースがどのような人生を歩んだのか、かる〜く見ていこう。
1908年9月8日、長男パトリックが男の子のためのバイリンガル学校「聖エンダ」を設立すると、マーガレットや長女マギーら、ピアース家の面々も運営を手伝うようになった。
マーガレットは、母親と従姉妹のミス・ブレディと共に家庭仕事全般を受け持った。長女マギーは手伝いのほか、1910年を