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エンタメを守るこころと東京五輪

東京オリンピックが終わりましたね。
まずは参加されたすべての選手、関係者の皆様お疲れ様でした。
無事閉会を迎えたことを感謝いたします。

さて、今大会は不運にも世界的伝染病の蔓延する世代と重なってしまい、開催の是非が激しく議論されました。
私は今大会開会式から閉会式までテレビで放送されたほとんどの試合を見ることができました。
会社員をドロップアウトした現在、時間と気持ちに余裕のあった私は十分にスポーツを楽しむことができ、同時に皆様の「さまざまな意見」に触れた16日間でした。
オリンピックはただのエンタメではありません。
世界的に意義をもたらされ、世界で守られてきた特殊なイベントです。
それでもオリンピックという特殊性の魅力と、その意義を体現するべく奮闘する選手、運営その他の方々の東京2020オリンピックでの功績を振り返ります。

スポーツ観戦はエンターテイメント

普段運動をしない一般人にとってスポーツを観戦するという行為はミュージシャンのコンサートや映画鑑賞などと同様のエンターテイメントです。
わーすごい、がんばれー!と無責任に感動し応援できるのがスポーツ観戦の醍醐味でしょう。
しかしスポーツは観戦するだけで誰でも盛り上がれる、とは限りません。
特に採点競技や複雑なルールの種目はヘタをすると何が起きてるかわからないまま終わってしまいます。
例えば今大会男子団体のエペという種目で日本初の金メダルに輝いたフェンシングという競技。
スピードある突きで相手の体に剣先を触れる攻防が魅力の歴史ある競技です。
そしてそのスピードがオリンピックレベルになると本当の意味で目にも止まらぬ速さとなります。
仮に私が無音声で見ていたら何も理解できずに試合が終わる可能性が高いでしょう。
そこをカバーしてくれるのが実況、解説です。
選手の意図、現在の状況、今後の作戦などを要所要所で補ってくれるので楽しく見ることができるよう作り込まれています。
時には選手の背景にも触れ、人となりや苦労の過程を披露することで視聴者が感情移入するのに一役買ってくれます。
そしてこの実況、解説を含めた映像演出こそがオリンピックのエンタメ性を上げる重要な存在なのです。

スポーツをエンタメ化する仕組みとオリンピック


今回新競技として採用されたスケートボードはオリンピックの序盤の盛り上げに一役買いました。
それは日本人選手の活躍が光ったことも大きいですが、テレビ放送での実況解説の面白さが話題となりました。
なにしろタチの悪いことにスケートボードの選手達はとても簡単そうにくるくる板を回してすべってしまうのです。
格好良くスタイリッシュな選手の動きに呆気に取られ、一体どこをポイントに見れば楽しめるかを気づけない人もいるでしょう。
そこを軽妙なトークと言葉選びに的確な技の解説、選手の綿密な取材に基づくデータの補完もされていてそのテレビ中継は完璧なエンターテイメントでした。

オリンピック初開催、日本の地上波で実況をした人は誰もいない状況でこのクオリティを披露できた背景には、数ヶ月前からの入念な準備がありました。

gooニュースによれば、5月に実況と解説の2人が顔合わせをし、過去の試合を見ながらアテレコする形で練習を重ねたそうです。(以下リンク)

https://news.goo.ne.jp/article/jprime/sports/jprime-21592.html

そのおかげで日本では知名度の低かったスケートボードという競技を、私を含む多くの人が楽しむことができました。

反対に私が密かに楽しみにしていた馬術の試合はテレビ中継がなく実況解説なしのネット配信でした。
現場の生々しい息遣いや蹄鉄の音と映像が淡々と映し出され、競技に詳しい方にはとても臨場感のある放送だったと思います。
しかし私は残念ながら「興味がある」だけでルールを理解しておらず、観戦してわかったのは『お馬さんかわいい、かしこい』『全体的に品のある競技』ということでした。
引き合いに出して申し訳ないですが解説付きで見れればもっと楽しめたと思います。

選手がオリンピックにこだわる理由

オリンピックはそれ自体が一流の実況、解説、放送機材に演出がなされる一流のエンターテイメントコンテンツです。そのオリンピックを統括するIOCの主な収入源が放映権料だと言われていますが、その分映像を世界中に配信する仕組みが確立されています。
ここで活躍して結果を残せば必然的にテレビを通して沢山の人々の目に触れるでしょう。
競技人口を増やすことで選手層が厚くなれば世界と戦える人材も集まります。
子ども達が興味を持ってくれたり、大人のイメージ向上により練習環境の改善なども期待できます。
実際わたしは今回空手の奥深さを放送を通して知ることができましたし、女子1500メートルの田中選手の8位入賞がどれだけの快挙であるかを解説者の興奮度合いで知ることができました。

これはマイナー競技だけでなく、少子化の進む日本では人気競技の野球やサッカーだって他人事ではありません。
素晴らしい舞台に立って活躍し、その姿に憧れてもらうことこそ、彼らが人生をかけて競技に挑む本質なのです。

エンターテイメントと見るマナー

ここまでオリンピック競技のエンタメとしての価値とその演出の重要性について述べてきました。
本題です。
大会前より何かと話題の的であった開会式閉会式ですが、その出来栄えについての評判はこれまた賛否両論です。
これは事前の騒動により見る側の批判的な態度があったと分析しています。
そりゃ、私だって椎名林檎のド派手かつ洗練された演出や、野村萬斎のにっぽんらしさの表現、さらにリオのマリオのようなあっと驚くものがあったならとは思いますよ。見たかったし。
でもそれはコロナ前のお話。
残念ながら4年+1年の間に世界情勢は大きく変化しました。
セレモニーの演出に多大な予算をかけるよりももっと大切な「防疫処置」「感染対策」そして何より「開催すること」こそが大会のテーマになってしまったのです。
ちなみに広告代理店の中ぬきによる予算不足問題ですが、私は少し懐疑的です。
日本のシステム上会社間を跨ぐ多重下請けによる中抜きで現場にお金が回らない現象は電通限らずそこかしこにあるわけですが、今回はそれ以上に少ない時間と限られた手法の中で趣向を凝らし、オリンピックの理念と日本の文化、大会の意義を表現しつつ世界中の人間に楽しんでもらうという難易度の高いセレモニーを要求されていました。
そう言った意味では大変素晴らしくクオリティの高い演出だったと感じます。
特に開会式のピクトグラムは心躍りましたし、ドラクエ序曲を国家として育ったネットの民は一気にオリンピック応援モードになりました。見事作戦にやられた、私もその一人です。

しかし今回のオリンピックで何より目立ったのは開会式の前日まで開催自体を批判的に報道していた日本のテレビメディアへの不信感です。
誰がどう見ても開催せざるを得ない状況まできてなお批判する理由は何だったのでしょうか。半年前ならいざ知らず、です。
競技が始まれば選手のインタビューをこぞって放送して勇気と感動などとよくもまあ白々しい。一体どの口が言うのかと選手の皆様は内心思っているはずです。

例えば歌手のコンサートに参加する人に「今日の演出は心配だ」「開催するべきでない」「昨年の方がよかった」なんて吹き込まれたらテンション下がりますよね?
日本のテレビメディアはギリギリまで視聴者のテンションを下げるための演出に尽力しました。
これでは楽しい開会式の演出も穿った見方をする人が増えても仕方がないことです。
大会が始まってからもわかりづらいように患者数上昇がさも大会を開催した影響であるかのように報道しています。
自らはオリンピックの恩恵を受けておきながらその責任を問う日本のメディアの姿勢は大会に携わった人々への敬意に欠ける不義理な振る舞いだと感じます。

東京2020オリンピック開催についての私見

ここで私の東京2020オリンピック開催に関する意見を述べます。
今大会については、やらなくて済むならやらない方がよかったと思います。
世界的に治療法の確立していない病が流行していて特に東京に住む人々の不安は大きい状態です。まだできる状態じゃない。
しかし2013年の9月、世界に対して東京は開催させて欲しいと立候補した上で厳正な選挙で世界の総意により選ばれた開催地、それが日本であり、東京です。
開催の『権利』を得た東京にはその責任があり、IOCとの複雑な契約内容も関わり開催する以外選択肢は無かったであろう、と考えます。

そもそも。
オリンピック憲章の原則によればオリンピックはスポーツを通して平和な社会を推進する物であり、何よりスポーツは人権であると明記されています。
https://www.joc.or.jp/olympism/charter/konpon_gensoku.html

『詭弁だ、戦争は無くなっていない』

そんな声が聞こえてきそうです。しかし綺麗事も言えないようなの世界には平和は訪れないでしょう。乱暴な言い方をすればスポーツを楽しむ心の余裕もないようでは人類の平和も繁栄もあり得ないと言うことです。

選手の人生を賭けた舞台を無くしてしまえばスポーツを楽しむという文化、そしてスポーツ観戦を楽しむという文化がふたつまとめて消えてしまう可能性があり、平和とは程遠い一歩のように感じます。
この世界的な病気蔓延により各地で外出禁止、交流禁止の措置が取られました。
私たち一般市民も大変な思いをしましたし、飲食業観光業などは打撃が大きいと聞きます。
そして同様にスポーツ選手も思うように競技に打ち込むことができず、オリンピックに出場するような一流スポーツ選手であればあるほど苦しい日々を送ったことでしょう。
彼らにとってスポーツは人生そのものなのです。
彼らの人権をどうして否定できるのでしょう。
彼らのパフォーマンスを世界中に届ける、それがオリンピックです。
今の世こそ開催する意義がある、それは私にも理解できました。
もちろん今回のIOCの振る舞いの全てを肯定的に受け取ることはできませんし陰謀論を否定できない証拠もあるのでしょう。

けれどもTwitter等で散見される「選手は素晴らしかったけど大会のせいで病気が蔓延った」などの意見は本当に残念です。
「選手にはもらい泣きしたけど権力者のせいで大変なことになったね」なんてどうして言えるのでしょう。
病気が流行するのは誰のせいでもないと言うのに。
それを防ごうと、私たちが普通の生活を送れるようにと、私たちがスポーツを楽しむ心を守ろうと努力してくれる様々な立場の人々への不満があるとすれば、それは生活が脅かされている現状への不満が現れているだけです。
みんな誰かのせいにしたいですものね。

ところでオリンピックの閉会式ですが、スカパラが最高のパフォーマンスで盛り上げてくれました。しかしそれでも辛いと思う箇所がありました。
それは次回開催国フランスからの映像です。

開催に向けての希望と熱狂が感じられ、人々が「密」になって歓迎するような明るい未来を想像させる演出。

うらやましいなぁぁぁああああ!!!!!!

あの瞬間は胸がチクリと痛むような寂しさを味わったのを覚えています。

何より選手たちが一番そう思ったはずです。
開催されないよりはマシだったとはいえ、本来なら万来の拍手に囲まれる栄光の瞬間を体感できなかったのですから。せっかくの自国開催なのに。
(日本に合わせた演技構成をしてくれた海外のチームもありました。みなさんを拍手で包んで差し上げたかったですね)

願わくば閉会式で私が味わったような寂しさから他人を責めるような言葉を発信する人がいないことを期待します。
思想、宗教、派閥などにとらわれず他人を思いやれる言葉を選べる日本であることを祈ります。

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