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病理解剖

病理解剖についてお話ししましょう。

病理解剖とは最善の治療を行ったにもかかわらず、不幸にも命を落としてしまわれた患者さんのご遺体を解剖させていただき、肉眼的、組織学的に検索したうえで、死因の理解および治療の適切性の検証を行うものです。

病院病理医は解剖当番というのが持ち回りで決まっていて、臨床から要請があれば、昼夜休日を問わず(これは施設によって違いがあります。冷蔵保存設備を完備している施設は夜に亡くなられた場合、翌日に行うこともあります)、病理解剖を行います。もちろんご遺族の承諾が必要です。

病理解剖の承諾が行われると、病理医のもとに臨床医からの情報が渡されます。その患者さんがどのような経緯で入院したのか、入院中どのような治療が行われ、どのような経過をたどったのか、臨床的に考えている死因は何か、などが書かれた紙が渡されます。そこにはさらに、臨床医はその死の何に疑問をもち、解剖によって何を知りたいのかが記されています。この臨床上の疑問は極めて重要です。臨床の疑問に答えるためにどのような解剖を行えばよいかが決まるからです。

とはいえ、病理解剖は系統だった手技です。病気の種類によらず、基本的にはほとんどすべての臓器を取り出して網羅的に全身検索を行います。ただ、臨床からの疑問によりどの臓器にウエイトを置くかは変わります。消化管を念入りに調べてほしいと思っている場合に、心臓を入念に調べて報告をしてもあまり意味がないですよね。

もちろん、消化管が死因だと思われていた場合でも、実は心臓が原因だったという場合もあります。病理解剖の主導権は病理医にあるので、臨床情報を完全に無視することはしませんが、その情報だけにとらわれず、広い視野で解剖を行うのが大事です。

肉眼的にはまったく死因が判明しないという場合もあります。その場合に力を発揮するのが、病理医の武器である組織診断です。解剖で得られたすべての臓器を顕微鏡でくまなく検索し、病気の原因を探偵のように探っていきます。この過程は非常にスリリングな知的探求です。臨床の検査データ、肉眼所見、組織所見、さらには様々な染色を加えて、多角的に犯人を追い詰めていきます。僕も病理解剖によって、原因不明と思われていた死因を突き止めた経験があり、このときの体験はいまだに大きなモチベーションとなっています。

死因が分かれば、喜びもひとしおです。ですが、喜んでいるだけで終わるわけにはいきません。その情報を臨床医に還元する必要があります。そのときに行われるのが、CPC(臨床病理カンファレンスの英語の頭文字をとった略語)です。CPCについては、次回のお話にしましょう。

現在、世界的に病理解剖の件数は減っています。様々な理由があるでしょう。まず、経済的な問題は大きいと思います。病理解剖はほとんどの場合、病院側の全額負担で行われます。経営の効率化の観点からみて、病理解剖は圧倒的に優先順位が低いものであり、気軽に行ってはならないという空気があるかもしれません。

病理側のマンパワーの問題もあります。これもいずれトピックとして取り上げますが、病理医の偏在という問題があります。全国には1人病理医の施設がたくさんあります。たった一人の病理医が診断も切り出しも解剖も行うなんて、分身しない限り不可能です。解剖中は当然、通常業務がストップするので、解剖のときに溜まった仕事を休み返上で取り返すしかなくなります。そのような状況をみかねて臨床側が遠慮するというのもあるでしょう。

ご遺族の気持ちに配慮すると病理解剖を言い出すことができないというのもあるでしょう。苦しんで亡くなった故人をさらに解剖するなんて耐えられないというご遺族の気持ちもよくわかります。これに関しては、確かに難しい面がありますが、時には病理医もご遺族への説明に参加させていただき、病理解剖の重要性を知っていただく必要があると考えます。国によっては病理解剖率のきわめて高い国があります。そのような国のやり方を一部取り入れることも今後は考えていく必要があります。

あまりに減少する病理解剖を憂慮し、死後画像診断というシステムも脚光を浴びてきています。死後にCTを撮影し、病理解剖を行わずに死因を特定しようという試みです。これはある面では有用であり、積極的に活用すべき制度ですが、病態によっては全く歯が立たないものもあります。たとえば血液疾患です。CTであれば、外傷や臓器損傷、あるいは大きな癌などがあれば発見できるでしょうが、病変が血液中にしかない場合、現在の技術では特定することはほぼ不可能です。血液疾患のなかには、発症後数週間で命を落としてしまうような急激な進行を示すものがあります。それが死因であった場合には、解剖を行わない限り、原因の特定は不可能でしょう。死後画像診断がいかに発達しているといっても、病理解剖によってのみ発見可能な疾患があるのです。そもそも、これらのシステムは相互排他的なものではなく、両方を行い、画像病理対比を深めていくことで、医学の発展に多大な貢献ができうる可能性を秘めていると僕自身は思っています。

最後にかの有名な大河内教授の言葉で締めたいと思います。
病理解剖とは一つの生命の還らぬ死を、次の人生に蘇らせる尊い手段であって、心ある臨床医なら、死因にいささかでも疑問があれば、遺族に解剖を勧めるであろう

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