届かないラブレター。あとがき

どうもこんばんは、佐藤健です。嘘です。

この前は「届かないラブレター」などというものを書いてしまいまして恥ずかしいことこの上ないねころという生き物です。よろしくおねがいします。ラブレター一連の記事が、今までのnoteで一番閲覧数の伸びがよくて笑っています。

ということで、「届かないラブレター」の後日談というかすこしお話しますね。

と言いながらその前に。まず、僕はnoteに記事を書くというのは、「自分の頭の整理」と「伝える練習」という意味づけをしています。どうしても頭の中で悩んでいるだけだと、全然まとまらないし、何が悩みだったかがわからなくなってしまいます。そんなときに、外ではTwitter、家ではnoteを利用して書いてみたりしています。

また、「伝える練習」というのは、読めばわかると思うんですが僕の記事は本筋と実際に書いたことの比が逆転しており、それを修正したいからです。それがnoteだけならまだしも、いつも。例えば、普段会話しているとき、こういう奴いません? 普段静かだけど、話し出すと結構しゃべる人。でも話を聞いていても伝えたいことが何なのかわからないしそもそも内容が薄い、そして最終的に結論やオチがない人。

それ、僕です。だから、まず書いてみて、そして暇なときに要約するようにしています。いつかスパッと要点を抑えてスパッとしゃべれる人になりたいと思って書いています。全然できないけど。

そんな感じで、この一連のラブレターの記事も自分の頭の整理と、伝える練習という意味合いを強くもっています。自分のことを話すのが恥ずかしくて、その擁護のためだけにこの文を加えました。それだけのために、なぜこんなにも文章を必要とするのか。課題ですねー。


さて、本題です。書く前、僕は彼女への気持ちを抑えきれずとりあえずnoteにおこしました。普段は1記事を3日くらいはかけて書くんですが、今回は一日で5記事続けて書いてやりました。完全に勢いで書いたんですが、それだけ彼女への思いというか、エネルギーがあったんですよね。

ですが、書いてみるとあら不思議。結構彼女への気持ちというのは落ち着き、冷静さを取り戻すことができました。実はラブレター5を書き始めるくらいにはだいぶ落ち着いていて、(最初の彼女への思いというのはただの憧れで、それから彼女のことを知って惹かれていたんだなあ)ということは、書いてみて改めて知ることとなりました。ずっと好きなんだと勘違いしていた。

また、最近彼女と会う機会がぐっと増えたので、思いは募り、僕は彼女に甘えていたなあと思いました。寂しいとか好きという感情の前に、甘えられる対象がいなくなってしまうことが悲しくて、好きといってどうにか離れないように謀ったのかなという風にも感じ、少し反省しています。

だから改めて、彼女への思いというのが何なのか、捉えなおそうと考えています。

また、落ち着いたのにはもう一つ訳があります。というのも、彼女は大学入学からなんだかんだずっと関わりがあった数少ない人だったので、「彼女」という切り口から大学生活を見直すことができるという副産物を得たんですよね。(当時私はこんなことが嬉しかったり悲しかったりしたんだなあ)と書き終わってから思いました。

そうやって、彼女への思いだけでなく大学生活を見直すことで自分の中で収まりがついたというか、うまく消化できるようになりました。とてもすっきりしています。彼女への気持ちも、大学への思いも。

 さて、これからの彼女とのお話ですが、彼女に会う機会というのは卒業式くらいです。本当はその前にコーヒーの用事があるにはあるんですが、お互い忙しくなりそうで行けるかわからなくなってしまいました。泣きそうです。(東京コーヒーフェスティバルというイベントです。http://tokyocoffeefestival.co/ ) 代わりにこの記事読んでくれた人が行ってくればいい。

もちろん、最高の会合についてもこれからもやっていこうと話していますが、都合が合うのかどうかは神のみぞ知る、わかりません。だからちゃんと会える機会というのは卒業式のみです。ゆっくりは話せないだろうけど、彼女と写真撮れたらいいなとひそかに願っております。

そんなわけで、「この記事自体が何を言いたいんだ」というものになってしまった気がしますが、僕の頭の中の整理はまただいぶ進みました。あと、彼女とのこれからが僕自身も楽しみで仕方ない。これだけでも書いた意味がありますかね。オチはないけど。

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