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呪いの言葉

実るほど頭を垂れる百合の花

素敵な言葉だとは思う。美しく大きな花を咲かせても、それを前面に押し出すことなく謙虚に咲かせる百合の花のように、出世や躍進、活躍をするほど、ふんぞりかえることなく、謙虚にすべきであるという意味のこの言葉。同義として、「実るほど頭が下がる稲穂かな」もありますね。

そんな、曾祖母が愛したこの言葉を母も愛している。だから僕にも何度も言い聞かせてきた。この言葉は美しいと思う。だって、初めて聞いたとき、当時幼稚園生くらいであった僕もその言葉が素敵だと思い、そうあるべきだと思ったから。

 おかげで、頑張って努力してそれが実ったとしても、それを言いふらすことなく「いえ、そんなことないです…」と返す子供になった。塾に行く友達よりも誰よりも僕が学年トップになった時も、中学生の時に陸上部で、どうにか都大会に出場することができた時もそうだった。周囲の人が全くできなかったことを自分が成し遂げた時でさえ、心の中でどんなにうれしくて絶叫しても、「そんなことないですよー」と微笑み返した。だって自分が嬉しくて、ほめてもらいたくて母に告げれば、母は「実るほど…」と何度も繰り返したから。

今は思う。

ダメなの?


 ほめてあげることで内的報酬としてその行動が繰り返されるようになると実証されていると心理学で学んだ。また、努力してやってきて、何なら何もしなくてもけなされるようなこの世の中だ。むしろ自分の成果を声を大にして発信してようやく昇進などの見返りが返ってくるこの世の中である。

 もちろん、それに居丈高になっている人にはこの言葉はとてもふさわしい言葉である。しかし、ふんぞりかえってすらない、ただ喜びを共有したいだけの時にこの言葉はふさわしいのだろうか。

 「最速昇進して、大変だけど慣れてきたよ。大学生のころに精神的にダメになってしまい迷惑かけた僕だけど、今は本当にメンタルにも強くなって、頑張ってるよ。」

安心してほしい、と思い母にそう告げた際に返ってきたのは、「実るほど頭を下げる百合の花」だった。

僕にはもうこの言葉は呪いの言葉にしか見えなかった。

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