透明病#3

※思い付きの創作です。

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僕のように、ゆっくりと消えていく症例はまだ報告されていない。他の人は皆、突然体が薄くなり、3秒から30秒ほどの時間で消えてしまうそうだ。透明病の近くにいた人がいうには、体が薄くなることに気づいたときには、別れの言葉でさえとっさにいう時間がないそうだ。
しかしなぜか、僕はそうじゃない。薄くなり始めてから半年以上がたっているが、まだ僕は生きているのだ。
だから僕は、他の人にはできなかったぶん、時間をかけてここに別れを綴ることにする。

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今日もパソコンにそんなことを記録しながら、コーヒーをすする。そして何度も自分の体をさわって、存在を確かめた。自分の指ごしにみえるキーボードの文字は、未だによく間違えるtとyの場所を確認するのに便利だが、自分はまだ生きているのだろうかと焦燥感をかきたてられてならない。

いつも通り職場に向かう。今日で最後だというのに、透明の僕は感受性も薄くなったのか、万感たる思いなどはなく極めていつも通りだった。電車ではもう、誰もが透明であることに気づき、驚いてしまうため通っていない。フルフェイスのマスクを被り、手先までしっかりと手袋で覆い、できるだけ肌を見せないスタイルでバイクにまたがる。

「おう細田、今日も…うん触れるぞ、触れる。おはよう。」
こいつはとてもわかりやすかった。毎日顔を合わせる時に自分がどれほど透明かを、外で会う人がどんな顔をするかを、教えてくれる。
「おはよう、今日のうちにいっぱい触っとけ」
「…うん、いやそうだけど言われるとなんか嫌だな」
「プレミアだぞ」
「それは確かにそうだ、透明人間に触れた男だからな!」
少し表情は曇らせつつも、冗談にしてくれるこいつのおかげで、明るくもいられたし、おかげで今日、職場をやめる決心もついた。

最後の朝礼を終え、僕は一人一人に引き継ぎと別れの挨拶をした。もう僕の表情は確認しづらいのだが、それでも何とか表情を読み取って、皆会話をしてくれた。

思えば僕は透明になる前から、透明だった。小さい頃から影は薄く、なにか主張をしてもうやむやにされた経験が多い。「細田くんはいい人だから」と先生にもよく言われたが、それは(どうでも)いい人であると気づいていたし、中学校にあがるころには僕は、自分は透明であることを受け入れていた。だから周りは吠えられるのに自分だけ犬に吠えられなかった時も、面接で自動ドアが自分だけ開かなくて遅刻扱いになった時も、観光バスに忘れられ北京の街に一人置いていかれた時も、自分は透明だからと諦めた。

人生最後の業務も終わり、上司にお礼を述べたあと、いつも通り僕は会社を出た。この繁忙期、残業続きのなかわざわざ見送ってもらうのも忍びないので、あくまでもいつも通り、僕は会社をあとにした。

信号待ちの時、なじみのスーパーが見えた。さすがにもうあのスーパーにも通えていない。日に日に薄くなる僕を見て、レジのお姉ちゃんはずいぶんと親しく話してくれたが、一言一言に気を遣う彼女の姿は、僕には申し訳なかった。だから毎日丁寧に仕事をこなす彼女に、僕は丁寧にお礼を言ったあと、スーパーに通うことをやめた。

家についたら、Amazonから送られてきた缶詰をつまみに、今日はパソコンに文字を打った。退職記念に久々にビールを飲んだからか、キーボードを叩く手は饒舌だった。饒手?

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これまで多くのことを書いてきたが、僕が長い時間をかけて透明になっているのには、理由があったと思う。

透明病になる前の僕は、毎日いるかいないかも気にされず、ただただ目の前の業務をこなすだけだった。朝起きてまずコーヒーを飲み、仕事をし、帰りはスーパーで夕飯を買い、明日に備えて眠りにつく。それはもう何年も続くルーティンで、存在が薄かった故に友達に飲み会に誘われたりするでもなく、全く同じ行動を毎日続けてきた。
だからそこに感想を抱くこともなく、本当にロボットのように生きてきた。

しかしそれが、透明病になって変わった。

同僚は最初こそ面白がって声をかけてきたが、それから毎日今日はどうだ透明ネタは増えたかとたわいもない冗談を話してくるようになった。
僕が物理的に見えないため、職場で人とぶつかることが増えた。そうすると皆自然と僕を気にするようになった。
スーパーではレジのお姉ちゃんが色々と気を遣ってくれるようになった。
他にも、休日に電車に乗れば、少年が物珍しそうに話しかけてきたりするし、恐怖なのだろうが犬も吠えてくるようになった。
こちらの声が初めて届くようになったし、周りも僕を気にかけてくれるようになり、初めて社会との繋がりを感じた。

ながい時間をかけて、透明病は僕を一人の人間として浮き立たせてくれた。

だから僕は思う。透明になって消えるまでの時間は、今まで関わってきた人々に感謝を捧げる時間なのではないかと。当たり前に感謝する時間なのではないかと。

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シャワーを浴びながら、僕は続きを考えた。
僕は透明だと思う度に、実は自分が傷ついていたようだ。寂しかったようだ。
そんなこと今まで思いもしなかったし、だから感謝だなんて言葉が思い浮かんだのも、今は小恥ずかしくてならない。

おっと。そう思いながらシャワーを浴びていたら、シャワーヘッドを落としてしまった。そんなに動揺するほど恥ずかしかったのか。

さっきまで両手で持っていたシャワーヘッドは、もう持ち上げることはできなかった。瞬間、僕は両手が全く見えないことに気づく。鏡を見る。水蒸気が写るばかりで、もうそこに人の影は見えなかった。

そうか。こんなにも突然なのか。僕は人知れず消えるのか。
そう思った瞬間、恐怖を感じた。
嫌だ。もう少しここにいたい。人と話したい。

それは僕が初めて体感した思いだった。もっと同僚と仲良くすれば良かった。職場でもっと気さくに関わっておけば良かった。自分は透明だからとすかしてる場合じゃなかった。寂しかったのに理由をつけて、関わらなかったのは僕だ。自分で自分を透明になるよう仕向けていた。

ダムが決壊したように、様々な思いが止めどなく流れ始め、僕は唯一の社会との繋がりをもつためパソコンをつけた。
もう起動ボタンを押すのもままならない。見えない指を何回も何回も押しつけやっと開いた画面に、どうにか自分の足跡を残したかった。もうなんでもいい。いつか部屋を片付ける人が気づけばいい。そんな思いで、体を通り抜けるキーボードを何度も何度も叩き、どうにか4文字を打ち込んだ。あと1文字。あと1文字でいいから押させてくれ。頼む。もうそれだけでいい。

そうして最後、僕はuの一文字を打ち込めただろうか。それはもう、透明になった僕には分からなかった。

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