ミュージカル刀剣乱舞に現実と空想の垣根を壊された話

先日『ミュージカル『刀剣乱舞』 江 おん すていじ ぜっぷつあー』を見た。
ミュージカル刀剣乱舞(以下刀ミュ)初のライブハウスでの上演という意欲作であり、『江派』の刀剣男士たち6振りに超特例出陣の助っ人として大典太光世・水心子正秀の2振りを加えたメンバーで繰り広げられるミュージカルだ。


……とは息巻いてみたものの、私は昨年10月に突如としてとうらぶに出戻りしてきた、ほぼ新参者もいいところの人間である。
そんな人間が、初めての刀ミュの現場であるぜっぷつあーで現実と空想の垣根をぐちゃぐちゃに溶かされた。

以下はその際に感じた衝撃を、どうしてもかたちにして残しておきたいという身勝手な動機による文章である。

感情を記述することを第一としているため、とうらぶという作品やその体系について説明不足な点や不勉強なところも多々あるかと思われる。そのため、設定や作品の前後関係になどついての明らかな間違いがあればご指摘頂ければ幸いである。



前提、及び松井江くんと篭手切江くんのこと


この項目は冗長に感じれば『本題』の項まで読み飛ばして頂いて構わない。

要約すれば、私のとうらぶに出戻りするきっかけが松井江くんで、最推し刀剣男士が篭手切江くんだとだけのいう話である。

ただし、この話の本題であるぜっぷつあーで受けた感情の説明としてここを省くことは出来ないと思ったため、詳細を記述するものとした。


審神者としての自分

私は今年でゲーム『刀剣乱舞online』を始めて9周年になるらしい。

「らしい」、というというのは、お恥ずかしながらゲームのサービス開始当初に登録するだけして、少し触っただけで飽きてしまったからに他ならない。様々なゲーム内イベントやメディアミックス、コラボが展開されている現在と違い、ほぼゲーム外での展開もなくステージをクリアしてしまったらあとは刀剣男士を愛でるだけという空気を退屈に思った、というようにその原因を自分では記憶している。

よって、自分が本丸に就任し審神者――刀剣男士たちの主になってからそれだけの年月が流れたというのは、自分の実感ではなくゲーム内での記念アナウンスによって知らされたかたちになる。

ただ飽きてしまった後も、追加実装された数珠丸恒次という刀剣男士があまりにも好みだったため鍛刀キャンペーン(PUガチャのようなもの)の際に何度か戻ってきたりもしたが、いずれも爆死したため本格的に出戻りするには至らなかった。
その際に新規入手した男士の顕現日時を鑑みると数珠丸恒次を諦めてから6年、本丸に戻っていない計算になる。

(余談であるがこの長い間本丸でじっと自分を待っていてくれていた初期刀の加州清光には本当に感謝しかない。俺のことを忘れたかと思ったと泣きついてくる彼には今でも申し訳なさを感じているし、その分戻ってきてからは出陣に近侍にと日々頑張って貰っている)

松井江くんのこと

そのような薄情な審神者が何故出戻りしてきたかというと、昨年10月頃に松井江くんという刀剣男士の存在を知ったことが第一の動機だった。
彼の外見がドストライクだったことは勿論、見た目の柔和さに反して血に執着しエキセントリックな立ち居振る舞いをするキャラだということを少し調べた範囲で知り、一気に興味が湧いてきた。ちょうど彼の本体である刀が収蔵されている佐野美術館にてコラボレーション企画をやっていたことも大きかっただろう。いま始めればそういったリアルイベントに参加できる、というウキウキ感も、背中を押してくれるきっかけになった。

そしてTwitter(X)上で「松井江くんが気になっている」とつぶやいたところ、とうらぶクラスタのフォロイーさんが親切にもゲームでの入手方法を教えてくれた。なんでも彼は『秘宝の里』という定期開催されるイベントで手に入れるか、直近ではお正月にログインボーナス交換ができるとのこと。

時は10月、ということはこの時点でお正月はあと数ヶ月。それならば彼を迎える前に準備をしておこうと6年を経て審神者に復帰することと相成った訳だ。

とはいえ2ヶ月という時間をただ待つのは長すぎる。松井江くんのことを知りたいという欲求が冷めてしまう前にそれを満たすため、ひとまずメディアミックスから触れることにした。

松井江くんが出ているのは2023年10月時点でアニメ『刀剣乱舞-花丸-』シリーズ(以下花丸)の劇場版と、上記で触れた『刀ミュ』とのこと。
(この辺りは私が調べた範囲なので、現在視聴可能な他メディアミックスで松井江くんが出ているものがあったら是非教えて下さい)

松井江くんの出ている刀ミュは配信サービスに登録すれば見放題のものも多かったが、松井江くん含む江派の刀達を中心とした刀ミュ『江 おん すていじ ~新編 里見八犬伝』(以下江おん)は円盤が発売されて間もなく見放題作品には上がっていなかった。
そのため、ひとまずdアニに登録して見放題作品の視聴と並行し、『江おん』のBlu-rayを購入することにした。劇場版に繋がる『花丸』のTVシリーズはdアニにはなかったので、レンタルDVDを借りて見た。

そして、私はその中で改めてとうらぶという存在体系の特異さを目の当たりにすることになった。

とにかく、松井江くんひとりとってもキャラクターの解釈に幅があるのだ。

勿論、刀剣男士としての根本の設定が改変されている訳ではない。その定められたパーソナリティの内を最大限に読み込んだ上で、様々な面を見せてくれる。

『花丸』では思わせぶりな言動のミステリアスなキャラ、そして同じ刀ミュでも『静かの海のパライソ』では人間に振るわれるだけの刀だった時代、己の意思ではないとはいえ殺戮の場に携えられた道具だったことに葛藤を抱く姿が描かれたのに対し、『江おん』ではやたらと周囲に瀉血を勧めたりトマトや紅ショウガなど血のように赤いものに愛着を抱くなどエキセントリックさが前面に押し出されているなど、その描かれ方に大きな差があることに驚いた。

Twitterに流れてくる情報を断片的に聞く限り、とうらぶでは「うちの本丸にいるうちの刀剣男士」という概念があり、それぞれのプレイヤーに刀剣男士のパーソナリティへの解釈の幅が委ねられていることは知っていた。

けれど公式に連なる作品でここまで異なる姿が打ち出されていること、そしてファンとして受け取る側の大多数もそれを許容しているということが私にとってはかなりの衝撃だった。
この感覚は、その後タイトルにある現実への空想の現出にも繋がっていく。

篭手切江くんのこと

そしてここまで読んで頂いた方は、冒頭で名前の出た『篭手切江』くんについての話が今に至るまで出てこなかったことに首を傾げられていることだろう。

篭手切江くんは、現在私のとうらぶ内最推しの刀剣男士である。

けれど、正直な話『花丸』と『江おん』を視聴した段階では彼の魅力にいまいちピンと来ていなかったのだ。

篭手切江くんがどういうキャラクターかを軽く説明すると、脇差の彼は歌って踊れる付喪神として『すていじ』を創り上げることを目標にしていて、その為に同じ刀工の作である江派の仲間や同じ本丸の仲間達とともに日々『れっすん』に励む、よく気がつく補佐役気質な刀剣男士である。
前出の『江おん』は彼が中心となって南総里見八犬伝を原案とした『すていじ』を作る話だ。

とうらぶに触れたことのある方ならご存じだろうが、とうらぶという作品の主軸は、歴史を改編しようと企む歴史遡行軍と、それを阻止する刀剣男士との戦いだ。
その中では篭手切江くんの夢は特異なものに見えるし、ともすれば不謹慎ともとれることもあるだろう。実際『江おん』の中でも問い詰められた彼が自分たちの本分は戦うことであると口にするシーンがある。

それでも、彼は『すていじ』を求めることをやめないのだ。その先にある光に手を伸ばし、ひたむきに進み続ける。

『江おん』を見終わってからしばらくして私は、篭手切江くんが恒常マップで手に入れられることを知った。
あまり調べすぎて実際自分の本丸に来たときの感動を失ってしまったらと、ゲーム内での情報はなるたけ調べないようにしていた為、それまで江派の刀はすべてイベントでしか入手できないと勘違いをしていたのだった。

同じく『江おん』に出演している大典太光世も恒常マップで入手できるが、彼の場合は高難度マップへ出陣する必要があり、出戻りして1ヶ月弱の審神者に周回は厳しいと判断。まずはレア刀剣男士とはいえ低難度マップでも入手可能な篭手切江くんを探すことにした。

『江おん』でストーリーの中心になっていたのは彼だったし、江派の刀達をこれからお迎えするに当たっては早めに篭手切江くんの事を知っておいた方が良いだろう。
そんな、軽い気持ちだった。

そして2-3と呼ばれるマップをひたすら周回すること3~4日、遂にうちの本丸に篭手切江くんをお迎えすることに成功。早速近侍に任命したり出陣させたりして、審神者や敵に対しての彼に触れていく。それが沼の入り口だとも知らずに。

本丸にお迎えした篭手切江くんは、『江おん』での姿とは全く違った、けれど確実にパーソナリティとしては通底していると感じる様々な面を見せてくれた。

主に対しては一線を引いたような態度ではあるが、それでも着物を見立ててくれたりとこちらを思って行動してくれているという確かな信頼。
手が綺麗だと褒められて首を傾げる姿。
部隊長に任命されて慌てる愛らしい姿。
そして戦闘時には篭手切という名前の通り「敵の腕を落として無力化する」という戦法を得意とする。

審神者や江の刀達に対しては朗らかで礼儀正しく敬語の彼が、一種冷酷なまでの口調で歴史遡行軍たちを斬り捨てていく様に、私は一気に彼へ惚れ込んでいった。

どれも、『花丸』『江おん』では見られなかった彼の一面である。
まさに松井江くんに対して得た驚きを、奇しくも今度は篭手切江くんにも繰り返すことになった。

こうして私はゲーム内の彼に触れたことで、篭手切江くんへと急速にハマっていくことになる。

本題


それから二ヶ月ほどして、私は『ミュージカル『刀剣乱舞』 江 おん すていじ ぜっぷつあー』(以下ぜっぷつあー)神奈川公演の現場に赴くことになる。
その数日前にお正月ログボでやっと念願の松井江くんをお迎えした狂喜が冷めやらぬ中、初めての現場を最大限楽しみつつ粗相がないようにと緊張しながら、私はZepp Yokohamaへと向かった。

先にも述べたがこの『ぜっぷつあー』は各地のライブハウス・Zeppで開催されたもので、1階はオールスタンディング、2階に座席と立ち見という形式になっている。劇場ホールに比べてライブハウスは収容人数が少ない。そして、刀ミュ自体が人気のコンテンツでそもそもの母数が多い。
いわずもがなチケットは激戦で、私もFC先行やゲーム内先行などを駆使し、時期・場所を勘案したうえで行ける公演へフルに申し込んだが、当選したのはこの1公演、1階スタンディングだけだった。

それと引き換えにか、当たった整理番号はかなりの良番だった。詳細は省くが、そのおかげで会場ではほぼ最前と言って良い位置を確保できたレベルだ。
そこに立った後、私は間違ってもトイレに行きたくなったり突発的な体調不良になったりしない、絶対にこの位置を動いてはいけないと緊迫した40分を過ごし、気を紛らわすためうわごとのようなつぶやきをTwitter(X)上で繰り返し、真昼のタイムラインを汚していた。

そうして、私の初めての刀ミュ現地鑑賞、初めての篭手切江くんとの現実での邂逅が始まる。

ありがちな感想で恐縮だが、生の現場は配信で見るのとは没入感がまるで違った。

前提としてぜっぷつあーは全公演がリアルタイム+見逃し配信されていて、私も現場に行くまでに3回分の公演を視聴した。

刀ミュの公演ではあるがライブハウスという場所柄からも分かるとおり歌とダンス、DJパフォーマンスがメインコンテンツで、その間に刀剣男士たちによるMCや寸劇が挟まれる。
この寸劇がまた毎回傑作で、キャラクターのイメージから逸脱せずにどれだけハジケられるか、というカオスな内容ながら各キャラの個性を強調するような楽しいものだった。そのおかげで篭手切江くんと松井江くん推しで始まった私も、最初の配信の見逃しを繰り返し視聴する頃にはすっかり箱推しになっていた。

だから今回出演しているどの刀剣男士でも、目の前に来てくれたり目線が合ったと感じたりするととても嬉しかった。

けれど、篭手切江くんの場合は違うのだ。

私の位置から見えづらい場所へ彼が遠ざかってしまうたび、たまらなく口惜しい思いになった。配信で大体の動きは把握しているつもりなのに、この振りの時には反対側の立ち位置へ行くと分かっているはずなのに。

だって、そこに居るのは篭手切江くんだったから。

演者の方を篭手切江くんそのものと感じたのとはまた違う。演者と役柄をまったく同一視するような、演劇の約束事として破ってはいけない壁はまだ守っているつもりだ。

私は舞台の上、現実にある事物から、非在の『私の本丸に居る篭手切江くん』を幻視していた。

言うなれば脚本・演技指導のもとで演者の方が表現する篭手切江くん像と、私の考える篭手切江くん像のベン図が交わるところ、その共通する認識の中に、篭手切江くんの純粋なクオリアがあった。
舞台で演じられる篭手切江くんの姿から励起され、私の考える私の本丸の篭手切江くんが現実にその質感を持って浮かび上がってくるのだ。

一階のオーディエンスには視線を、視線が合う実感が伴わないだろう二階席や配信用カメラにはファンサを絶えず振りまく。

振り付けの合間に眼鏡のずれを直す。

配信のスイッチ動画では見られないような、シームレスな動作。

その姿を知らなかった。見たことがなかった。けれどそれが、篭手切江くんが行うものとしてなんの違和感もなく受け入れられる。
存在ではなくその行為、行動が『篭手切江』なのだ。

篭手切江くんはいない。

現実の肉体を持ってはいない。

けれど、私の考える、認識する篭手切江くんは、私の知覚を借りて現実に浮かび上がる。


それをはっきりと自覚する起爆剤となったのが、この『ぜっぷつあー』だった。

しかしこれも、後からよくよく考えた末に出た結論だ。

舞台のきらめきを浴びている最中のどろどろの人間にそんな言語化が出来るはずもなく、ただ公演終了後に虚脱状態でZepp Yokohamaを後にした私は、大千秋楽のライブビューイングに向けての準備をしつつ断片的な感想をTwitter(X)につぶやき続けた。
その途上でだんだんとあの時に覚えた感情の識別ができるようになり、なんとか自分の気持ちに始末をつけたいとこの文章に書いている次第だ。


最後に


 

刀剣男士。脇差、篭手切江。


彼はいまも現実と空想の垣根を壊したまま、自分はゲーム画面の内側で微笑んでいる。

非在の彼を「いる」ことにするため、これからも私はとうらぶのゲームにログインするし舞台を見に行くだろう。

多かれ少なかれ、言語化してもせずとも、私以外の審神者もきっとそう感じているのだと信じている。様々な審神者の中にただひとりの篭手切江がいて、きっとそれぞれ違った顔で彼の主の前に現出しているのだから。


そしてお恥ずかしい話だが、私は篭手切江くんが刀ミュに初登場した『葵咲本紀』は未視聴である。

『江おん』を視聴して間もなく仕事の繁忙期が重なり時間が取りづらくなってしまったことと、『葵咲本紀』は前作までを視聴していることが前提のストーリーだと聞いていたため、間もなく開幕するぜっぷつあーの見逃し配信期限の短さも加味した結果、まずはぜっぷつあーを優先し、その後ゆっくりと過去作を見る事に決めていた。幸運なことに3月から始まる新作公演にも行けることになったため、これから少しずつ刀ミュの過去作を見ていくつもりだ。

だから、順番が違って『葵咲本紀』を先に見ていたら、そして本丸にお迎えしてゲームの彼と向き合う前に篭手切江くんの魅力に気づいていたら、もしかしたら篭手切江くんへの感情もいまとは別のかたちになっていたかもしれない。

この文章はそんな選択から生まれた混濁した感情の結晶ではあるが、ご笑覧頂けたなら幸いである。



そして最後に、刀ミュにて篭手切江を演じてくださっている田村升吾さんに最大級の感謝を捧げます。


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