夢がかなった話
ぱたんこ屋は長く大分で「卓上の織り機の教室をしていました
本当に長く17年くらいだったろうか
はじめは「大分のトキワ」という「百貨店」にて
展示会のイベントに出ていて
教えてほしい
教えてほしいという声があり
城崎の「アンナの家」で教え始めた
その頃あたしは「大分から遠い」清川村で田舎暮らしをしていて
汽車にのり「小さい子どもの手を引き」1時間40分はかかったであろう
城崎まで行っていた
その声に従い「オープンしたら」
40人くらいの人が集まり・・・・・・盲点だった。。。こんなにもみんな機織りしたかったんや・・・・
その後人数制限もして「落ち着いてくれた」のだけれど
その頃の生徒さんには「悪いととしたな」。。。。
教えきらんかった
ごめんなさい・・・
だって3部屋使って教えて・・・・
目が回る忙しさやってんよー
卓上の織り機で教えていて、それは持ち運びできるサイズでコンパクトやった
京都の金の羊の先生おすすめで「激安」多分10000¥くらいだったと思う
もうそれは「廃盤」になってもたけど・・・
機織り教室は「アンナの家」の
「おばちゃん」と「おばちゃんが自分でそう言うてたので」
おばちゃんとずっと言うてるけど
今から思えば「おばちゃんは」若かったのかもしれん・・・・
でそこから
アンナの家が「移転」して「緒方にアンナの家」ができて
あははー^^これは「おばちゃんの」逃避行やったんやけど^^
いわゆる「更年期障害」っていうてた
頭の上に「黒い雲」だ浮かんでるんよ。。。。
って「おばちゃんは言うてた」
その後「その雲はどこかに行って」おばちゃんは楽園を見つけはった
イエーイ^^
教室は点々と開催場所が変わったんやけど
生徒さんは「ついてきてくれはった」感謝やー^^
あたしはそこから「緒方で2回」教室が変わって
大分の「彩花」というとこでも「教室」をオープンさせて頂いた
そこのオーナーは今や「薬膳の先生」
薬膳の先生やでー^^
アンナさんは「黒川温泉」で「ゲストハウス陽だまりの家」したはる
人生はわからん
で
あたしはずーと「脚付きの織り機」さをりの織りを「させてあげたくて」仕方ない・・・
生徒さんたちに「卓上の織り機でない「織物」さをり織り
をしてほしくってね
そう思ったとき「清川の山奥」御嶽山の頂上に住んでたあたしは「竹田に」住むことになる
竹田に住んで「探したんよね」で
美しい此処「竹田の奥に」住んだんですが
神原渓谷という「素晴らしく美しい渓谷」の近く
でも此処では人が呼べん
人を呼びたい
町中だー町中に探そう。。。
そう思ったあたしは遂に見つける
町中に見つけたー^^
のでありました
で「いよいよ契約のその時」が来て
ガガーン「突然」断られる・・・
なんでー^^「町おこしやん」町中で機織り「パタパタ」してたら楽しいやん
なんでー^^と「打ちひしがられる」・・・・傲慢やったんやな・・・
誰も「町おこしなんてしてほしくなかったのにね」^^
であれーって思ってから「また探す」
見つかる^^
でも
そこも「契約」のときにだめになる・・・・・
なんでー^^なんでー^^
こうなってきたら「3度目」や
絶対ー^^
いいとこ見つかる気がして仕方がない
この楽天な気持ちになってきたら
見つかったのが「此処」宮砥工藝舎
廃校の小学校
自宅近くー^^
あたしは田舎暮らしやのに「車も乗らん」バイクのみ
それが
今まで見てきたとこより「一番広かった」
神さんは見てはるわーって
おもった
おかげで此処でもう10年教室オープンできてる
無理できてない^^
もし「竹田の町中でオープン」してたら
2,3年もしないうちに「挫折」してたかもね・・・
助けられてるな
あたい
ラッキーやなあたし
で本当にすごいのは「此処」なんと「あたしは」さをりの織り機
みんなもらいものや、預かりもの・・・
なんでそうなったのか
もう必死で「イメージしたんよ」何がどれだけほしいか具体的に紙に書いたんよそうしたら「降りてきた」
ほんまやで
本気度「神さんは見てはる」
見てはるでー^^
これあたしの「本当のラッキーな話」
引き寄せてしもたわー^^
生きててよかった
ほんまに「感謝やわ」
今も毎日が楽しくて仕方がない
場を与えて頂いて、そこで楽しく生きていけてることに感謝しかない
ありがとうー^^
宮砥工藝舎に「さをり織り」ならいに来てな
待ってます
大分県竹田市次倉4459−1
2階
090−2280−8556
あたしにとって、さをり織り
教えること・さをり織りで作品作ることは「天職」やねん
ありがたいな
ありがたい
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