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私は「大分の廃校」でさをり織りを教えています

学校が大嫌いだった

行くと「お腹が痛くなる」とにかくみんなが「黒板に向かって」座るその姿が

吐きそうでもあった

なのでよく「自分の机を窓際に寄せて」怒られていた

であんまり怒られるので飛び出して

運動場で「寝てた」

普通の子には思われなかった

それもそうだよね

誰とも話さなかったしね

息抜きは保健室

保健室の先生は優しかったからね

一応「養護教諭の資格」はある

その私がなぜか今「廃校の小学校にいる」

不思議で仕方がない

「学校嫌いだったのにね」

世の中は何が起こるか分からない


何年か前「友人の高校の先生が」自分が働く高校に「講演会にきてくれ」というのよね

私はほとんど「本も読まないし」このnotoも誤字脱字だらけなんだけど

私は頑張って「レポート用紙10枚に文字を書いたわ」

テーマは「好きな事を仕事にする」だったけれど

高校生を目の前にしたら

あがってしまって「頭は真っ白」だったのでもう「その場のその子」たちをみて

目を見て話したわ

あんまり「お行儀がいいとは言えない」コンパクトパタパタしてたりしてたなー^^

でもまだ座ってるだけマシ「素晴らしいと思う」友人の先生がいいからだわ

きっとそうよ

で私は話すのをやめて

実演

もうそれがさ

みんな喜んでさ

さをりの力やな

皆に体験してもらったよ

少しでも楽しんでくれたらいい

私がその日「話したのは」

スマホや「パソコン」なんか見ないで「街に出て行こう」だったのよ

出て歩いて出会う

出て歩いて見つける

体が動くと

何かに出会えるかも

私がこのさをりに出会ったようにね

って事

何と無くイメージはあったんよ

0からものが作りたいとは「インドに行って思ったんよ」

写真してて

思ったんは

機械を通じて何かに出会ったりはもう

嫌やった

間に挟むんがね

自分の目ん玉で

この目ん玉がシャッターやわ

0からのものつくりは「飢え」みたいなもんで

自分の内側から湧き出てきたんよ

糸を紡いだり

染めたり

織ったり

が楽しい

下手だけどね「だいたい自分が一番不器用」不器用は才能の一つやと思う

器用な人は時には可哀想でもある

時にはそのせいで

できて当たり前やから

嬉しくなかったり

喜べなかったりする

飽きたり

でも不器用だと

すぐできないと諦めたりする人もいるけれど

悔しくて

なんか負けず嫌いやったりは美徳やと思う

そのせいで

やり続ける

何か「残そうとか」「何かになろうとか思うときは」

ただひたすらそれをする

し続ける

すると必ず

何かが見えてくる

それは喜び

それさえあれば人間生きていける

生きることが楽しくなる

絶対にね

ぱたんこ屋

書を捨てて街に出ようよ


大分県竹田市の

宮砥工藝舎においでよね

いつか






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