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別れた旦那に会いにいく

実は大阪に行く目的の中には

全く入っていなかったのだけれど

帰阪最後の日

会いに行って来た

それも連絡もなしに

生き別れの父の「お墓を見つける」

おかんのお墓の掃除に行く

おじいちゃんのお墓詣りと

なんか「墓めぐりだったけれど」

ふと「大阪でウロウロしたくないので」ゲストハウスのある「あべの界隈」それも近鉄百貨店でぼうーとしてたんだわ

人混みには行きたくなかったのでね

時間がたんまりあってさ

元旦那の「住んでいる」千里中央まで行く

でさー^^それはあたしが22歳の時に結婚

31、2歳くらいまで

の10年余り「ともに暮らした人なんだけれどさ」

全くわからない

どこに

お家があったのか皆目見当がつかない

団地

ああ

どこもおんなじに見える

はじめ暮らしたのは大阪城が見える「マンション」そこから長居公園のある団地

そこから千里中央

セルシーが潰れてた

すっかり方向感覚を私は失う

潰れたセルシーを見て「考えて」とにかく歩いた

あは

全く違うとこに行き

それを「暇だから何回も繰り返す」

でなんかここら辺かな??思うとこに来たけど

どこもそこもおんなじ

なので「お掃除のおばさんがいたので聞く」

ああ

また違ってた___

私は「感がある方なんだけどね」

もうこんなとこにはよう住まんわ・・・と思う

別れた理由は向こうには「非がない」

私が悪い

別れた時は「彼のパンツを干してて」急に全てが嫌になったんだわ

男がいててではないんだわよ

でお金も500¥

しか持たんかったから

とりあえず友人とこに行く

10000¥借りて

実家に帰る

実家に帰ると「旦那は学校の先生」だったから

高校の先生

おかんが「もったいないから別れなさんな〜〜〜||||」

いう言葉にこれまた「バカだから」反抗して私は

家出


この年は怒涛のようだった

心も体もボロボロだった「頭も」


その後「高木と暮らし」その時には「旦那が荷物運んでくれたわ」


変???

弟も嫁が次に旦那見つけて「子供と嫁の荷物を運んだわ」

別に??へん??

まあそんな感じだったから

全くあってはなかったんだけれど

30年ぶりに??

会いに行くも

電話をその家の前でしたけど「出ない」ピンポン押す

でたー^^

でたー^^

でも

旦那は病気だから

ドア越しね

30年ぶりの再会

いや31年か?

お互い歳とったわ

コロナがあるから本当に5分くらいの面会


ドアを挟んで


その時に「旦那が」

いう

「何かあったら、ここかたずけに来て欲しい」

私「わかった」

そういう

約束した

大分に帰り

高木に

何かあったかたずけに行くの頼む

健康で生きていかないとあかんようになった私


何もないほうがいいんやけどな


でも私はここ「団地」こういうとこにはようすまんな

息苦しい



子供も育ってくれたしな


ここが好き

大分の竹田の山奥が好きだわ

会えてよかった

会いたい人に会う

見たいものを見る

自分のできる範囲でいい

「元の旦那には感謝してる」依存性の強い自分が「自立」少しはできてるみたいだし

まあ

高木くんには頼りまくってるけどな

人生は何があるかわからないけど

私は今

さをり織りが楽しい

11月は

FUFUFUで3人展を熊本でする

この

DMハガキを作ってくれたのは友人のまさりさん

noto有名人

佐藤まさりさん

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今ハマってるのは

一閑張りに

糸つむぎに

重田サユさんの「残した糸で織る」

予約で5000¥「送料込み」でおらせていただいてる

お申し込みはFB高木康子までお願いねー^^


ありがとうマフラー

「繋ぐ糸」サユさんのマフラー


糸つむぎは

今度10月1ヶ月

美々津の民で「展示即売」するよー^^

今日もありがとう

11月は

布工房ゆいさん

糸織り屋さんぱたんこ屋で

走るよー^^

では

元旦那いつまでも元気でいてなー^^

高木くんよろしくなー^^


私がnoto
赤裸々に描くのは
同じように悩んでる人の手助けになればいいかなと
思うのね
私は「依存性が高くて」お嫁さんになれば
働かなくてもいいし
楽かな
とか思ってたんよ
それがさ
ところがどっこい
すごい人でさ
まず「自立してください」
私のお金は私のお金です
愛というけれどそれは何かを考えて見てください
そういう人だったのね
それから
高木と一緒になり
学ぶこと多しの
人生です
二人に感謝です

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