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真剣乱舞祭2018感想② ミュ本丸の三条太刀

*いつもですがいつも以上に妄想大爆発ぎみの感想です。

これは他のメディアミックスの本丸にはない、ミュ本丸の三条太刀だけに個人的に思うことなのですが。
もしかするともしかして、この西暦2205年の戦いで、依り代の刀から刀剣男士として顕現されるまで、この小狐丸と三日月宗近は本当に裏表の銘どおり二心一体の刀であったのかもしれないなって。
だからこれまでは言葉での対話は必要なかったし、互いの思考も感情もそれこそ手に取るように分かった。

そんな風に、かつて同じ刀剣に宿る二つの魂であった自分たちが異なる肉体を得て、全く違う存在になったことを先に知ったのはきっと三日月で、でも、三日月宗近は基本的に共通して言葉に重きを置かない刀なので小狐丸に何も話してはくれない。
その齟齬に、もしも、つはもので初めて小狐丸は気づいたと仮定するならば、それは小狐丸も動転するだろうなと思いました。

つはもの内で髭切は三日月と自分が似ていると称し、源氏兄弟と三条太刀は源氏主従とはまた異なるニコイチとして、なんとなく対比されるような配置にあった。
でも、源氏兄弟と三条太刀、似ているところもあるけれど、完全に非なる関係性なんですよね。

つはもののストーリーでもそうだったし、乱舞祭のなかでもそうだけれど、ミュ本丸の源氏兄弟ってわりとお互いに物申すし、意見は食い違うし、異を唱えることも多いんですよね。
兄弟だけれども、兄弟だからこそ、互いが別の物であるって認識はきちんと出来ている。
だから心まではすれ違わないし、相手の意見も聞き流しているわけじゃなくて、例えばつはもの内で箱根権現に行きたくないといった膝丸の言葉を、その心を、髭切はちゃんと覚えている。
覚えていて、心に留め置いているからこそ、薄緑の逸話を補完するような内容の源氏双騎に、髭切も出陣するのだと思うんだよね。

だからこそ、むしろ三条太刀が兄弟同士であったのならば、いっそもっとずっとあの二振りの関係は楽だったんだろうなと思う。
あれは表と裏の銘だから、二振一具でなく本当に同じ一振りの太刀に宿ったものだったから、理解しあえないことが小狐丸はあんなにも悲しかったんじゃないかなあって。

なんてことを思いはじめたきっかけは、乱舞祭のあの巴くんを待つことを決める三条太刀の会話で。
「待ちましょう。ね?」と「そうだな」のやり取り、もしかしてミュ本丸の三条太刀が対話を試みた瞬間だったのでは……?と。
あそこの場面、今までの小狐丸なら「三日月殿」とか「三日月宗近殿」って呼びかけで終わっていたような気がするんだよね。

あつかしでは無言の三日月の意思を汲み、つはものでは自分の表裏のはずのその三日月が語らないゆえに悩んだ小狐丸が、それなら自分から言葉にしていけばいいと結論づけたのならいいなって。
三日月は自分から全てを話してくれる刀ではないし、問いかけてもストレートに答えてくれるわけではない。
でも、対話を試みて仕掛ければ、それを無視するようなことは基本的に出来ない刀なので。
自分から投げかけた言葉に対する反応や返答の仕方で、彼の内面を少なからず推しはかることは出来る。言葉を交わすことは出来る。
もしも、そんなふうに小狐丸が考えはじめたとするのならば、それはとても心強いことだなあ。

なんというか、あつかし→つはもの→あつかし巴里→乱舞祭2018のメインのストーリーの裏側で、三日月と小狐丸が自分たちがもはや異なる存在であるということを認識して対話することを学ぶ流れがあったら面白いな〜って。
そんなことを思った乱舞祭でもありました。


(生観劇日:2018.11.27)
https://fusetter.com/tw/nW0b6
https://twitter.com/_pastral/status/1075666131334000640
https://twitter.com/_pastral/status/1151837798564892673





















































































































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