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世間知らずでいいんじゃないか

「教師なんて世間知らずだよな」という言葉をよく耳にする。曰く「学校という閉ざされた空間で子どもと教師という出入りのない世界にいる」というものだ。コレは誰もが学校に通った経験があるから余計にそう言われるのだろう。
では「世間を知っている」とはどういう人たちなのか。企業と呼ばれるところで働いている人がそうなのか。そうではないと思う。彼らは彼らである枠組みの中で生きているにすぎない。東証一部上場の企業で働いている人が、不登校の現場や鰻の養殖について詳しくは無いだろう。

我々、宗教者と呼ばれる人間など特にそうだと思う。ある意味世の中から隔絶されたところに置かれている。もちろん他の仕事と兼業でやっている人もいる(私も福祉施設職員や生協、トラック乗りと兼業していた)。でも大抵は牧師でも神父でも僧侶でも、それだけで生きているのが一般的だ。

この仕事は、世間知らずでいいんじゃないのかな。いや、知ってることがあっても知らないふりをしていた方がいい。だからこそ宗教者のいる意味があると思う。なんでそんなに知識人ぶりたい牧師、学歴自慢•知識自慢に余念がない牧師が多いのだろう。なぜ名のある人物との繋がりをひけらかしたいのだろう。
何も持たない、持たされていないこの俺が、何もなく、世の中に知られることもない人と出会うところにこそ、あの十字架上の人はいると思うんだけどね。

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