ケイン・コスギである必要性

自己肯定感が低い人は審査ポイントが多すぎる。

話を聞くと「あの人に比べて、〇〇も✖️✖️も▲▲も負けてる。◆◆なら勝てるかと思ったらそれも負けてた」みたいに勝手に多種目競技にして総合点で負けてる。

しかも、相手の良いところが目についた上で競うもんだから、勝手に相手の得意競技に参入して負けて落ち込んでいる。

そんな人たちに「でもオレから観るとその人とあなたでは◎◎の点ではあなたが勝ってるよ?」と言ってあげたところで「いや、それは大したことじゃないから…そこ勝ってもどうしようもないから…」とか言ってくる。

いや、そしたらお前が比べてるそいつからしても「そんな〇〇や✖️✖️や▲▲なんて誰かと比べて勝った負けたなんてすることじゃないから、大したことじゃないから」って言うわ!って思う。

小学生のころ、よくPSの筋肉番付のゲームを友達と遊んでいた。使用できるキャラは隠しキャラも合わせて14〜5人いたかな…?
筋肉番付のゲームではストラックアウトやモンスターボックス、ショットガンタッチなど往年の名物競技で競い合い、総合優勝を目指すゲームで、当然キャラクターごとに得意・苦手がある。

正直、ケイン・コスギがオールラウンダーすぎて、ケイン使っとけばだいたい勝てる。ケイン・コスギは芸能人スポーツマンNo. 1決定戦の象徴のような人物なので人気もあり、みんなケインの取り合いだった。

しかし、私は中山雅史を好んで使用していた。

中山雅史といえばサッカー元日本代表の天才ストライカー、誰もが憧れたスーパースターである。
ゲーム内では当然キックターゲットが一番得意で、他にも瞬発力が問われるショットガンタッチも得意だった気がする。

しかし、パワー系の競技やストラックアウトは苦手とするので、総合優勝のためには得意競技で好成績を残す必要がある。
でも、それで良いじゃない?キックターゲットで好成績ならそれでさ。
ひとつでもトップの種目があるってすごいことなんだから。

ちなみに現実の中山選手はキックターゲットが苦手だった。そういうキック精度とかの人じゃないので。ゴールへの嗅覚と執念の人なので。

さて、話を戻すと、自己肯定感の低い人はスポーツマンNo. 1決定戦のケイン・コスギに憧れて、その理想からほど遠い自分を嘆いているように見える。

果たして、スポーツマンNo.1決定戦に参戦する必要性はあるのか?また、ケイン・コスギである必要性はあるのか?

「あなたはケイン・コスギより裁縫が上手ですよ?」
「いや、裁縫なんてスポーツマンNo. 1決定戦の競技にないですから…」

自己肯定感低い人との会話のイメージってこんな感じ。

誰かと比べて自分の価値を測る前に、もっとちゃんと自分を見つめ直して、自分だけが知っている自分の価値を見出してあげてほしい。

もし自分で自分を見つめ直しても価値が見つからなかったら私に貴方のこれまでを話してほしい。絶対に価値見つけられる自信がある。

みんな、だいたい素敵なところあるから。

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