子どもに何を求める?

指導するのはなぜ?

子どもに指導を一つもしないことは不可能に近いと思います。少なくとも自分は無理です。

さて、それではなぜ指導をするのか。

ルールを破ったから。

望ましくない行動をしたから。

誰かを傷つけたから。

などなどあると思う。では、この基準は誰が決めるのか。その多くは教員自身ではないでしょうか。その基準は子どもたちにとってどうなのか。納得のできているものなのでしょうか。先生か言っているからと思考停止的に受け入れているのでしょうか。

ここに悩んでしまうことは子どもたちに指導していく上で障壁になってしまう可能性があります。今まさに自分はここで悩んでいます。

クラスという社会の中で生活をしていく上で、守るべき一線はあると思う。

Aさんにはここまでなら言っても平気。

Bさんにはここまでしても大丈夫。

Cさんにこのことを言うと傷つく。

などなど、クラスメイトそれぞれに踏み越えられない心の一線がある。これらの全員分を把握し、いい感じの距離を取りながら気持ちよく過ごしていくのは至難の業です。少なくとも低学年にとってはかなり難しいです。

その一線をある意味で平均化して、規制するものがクラスのルールとなったり、教師の指導の基準となっていると考えられます。

我々教師は子どもたちの気持ちを汲み取り、気持ちよく過ごせるための秩序を教室にもたらす存在とも言えます。

たくさんの子どもたちの様々な感情に触れながら、生活していくのは大変です。基準の作り方は人それぞれ。センスとも言えるかもしれません。

どんなクラスにしていきたいか、教師がクラスの中でどのように過ごしたいか、様々な側面から基準を設定し、1年間の学級経営をしています。

この基準を引き間違えると、教師も子どもも苦しい1年を過ごすことになるでしょう。子どもに寄り添いすぎても苦しいです。教師のペースで進めすぎると子どもは苦しいです。

絶妙のラインを引き、お互いが納得して過ごせる教室こそ、安心感のある教室といえるのかもしれません。

なかなか抽象的なことを書いてしまいましたが、今の自分にとってとても大事な思考回路だったので、アウトプットをしました。全くとりとめのない文章となりましたがお許しくださいませ。


まとめ

・指導はお互いの納得感が必須。

・教師の独りよがりの指導は禁物。


月曜日からお疲れさまでした。明日も頑張りましょう。

あー、所見進めねば。

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