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開高健

今更ながら、開高作品をいくつか読んでいる。
『夏の闇』と短編集の『ロマネ・コンティ・1935年』、山口瞳氏と共著の『やってみなはれ 見とくんなはれ』、没後に、親しい人達の追悼の言葉をまとめたものなど。
今は『輝ける闇』を読んでいる途中。時系列はバラバラ。

北康利氏の『最強の二人』から入ったので、その越し方と背景が予め頭に入っていて、それから読み始めるといういわば逆算的な、変則的な読み方になっている。
それにしても、いくつかの著作を読むにつけ思うことは、なんという博学と教養に裏打ちされた作品達なのだろう…ということ。そして、品がある。ここが昨今の作家の文章と圧倒的に違うと感じる。ただ、他を寄せ付けないとかお高く止まっていて入りにくいということではない。


開高健氏、もしお元気であれば90代。第二次世界大戦を乗り越え、ベトナム戦争の取材で急死に一生を得、ライフワークの釣りと美食とお酒、女性達に囲まれて、スケールの大きなダイナミックなひとだったのだと改めて知った。
58歳という若さで逝ってしまった彼が、今健在であったならばこの現状をどう語るだろうかと思いを馳せる。
ウクライナへの軍事侵攻に対して、なんらかのアクションを起こしたのではないかと想像してみたり。

名コピーの『人間らしくやりたいナ』は、高度経済成長期にどんどん開発が進み、自然が失われる様を嘆きつつ、生まれたものだと聞く。
作家として成功するために、戦略的に早いうちに東京へ出て、それでも生涯大阪弁で通したという作家の作品に、生前に触れる機会があったなら…と少し残念に思う。
ただ、その頃であればこちらにも知識がなく、例えばヨーロッパやワインのことなども良くわからないまま、ふーんと読み過ごしていたかも知れず。
やはり、出逢うタイミングというのはあるのかも知れない。

ベトナム戦争の取材に赴いた経験が伏線となって、『夏の闇』へとつながる。
ここに出てくる「女」は実在の人物であるが、この本が出版された時点で既に故人となっていた。死因はタクシー乗車中の交通事故であったが、その前日に開高健と濃密な時間を過ごしており、所持品から連絡があって警察で彼女と対面した開高は呆然としたという。そのあたりの様子を、後年になって吉行淳之介との対談で語っているらしい。

もうひとつ後日談があって、『夏の闇』を執筆中に閉じこもっていた信州の宿で、そこの主人と他愛もない賭けをした。開高が負け、なんでも譲るというのでそれほど高そうにも見えなかったので、開高が着ている赤いネルのシャツを所望したところ、これだけは勘弁してくれと土下座せんばかりに頼まれたという。そのシャツは彼女からの贈り物だった。一緒に執筆をしていたような心持ちだったのかも知れない。

一人一人の人生にはいろんな物語を孕んでいる。



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