見出し画像

なんの人?

ずんちゃんてお芝居の人なんだろうか ショースターなんだろうか ダンスの人なんだろうか

twitterでふと流れてきたブログに

“某組にショースターを、と声高く言われることがあるが、わたしは今の某組が好きだ”

というようなことが書いてあって、ふと考えた。

ちなみにわたしはそのブログを読むまで某組にショースターを、という声があるらしいということさえ知らなかったし、先日の公演をめちゃくちゃ楽しんだので、ショースターがいるとかいないとかそういうことではなく今の某組最高と思ってます。

タカラジェンヌを語るとき、あの方はお芝居の人、あの方はダンスの人、なんてそれぞれの持ち味をいかしてジャンル分けされることがある。

これがずんちゃんになると、果たしてみんな何て言ってるんだろうか。お芝居、ダンス、ショー…。

いや、全部じゃない!?

じゃあオールマイティかと言われるとなんかそれも違う。オールマイティって、全部うまいことやりこなすニュアンス。ずんちゃんは要領の人ではない(賢さという意味で要領と効率を両立させていそうではあるが)。ひたむきさをかんじることが度々ある。ご本人はなんのこと?とおとぼけになるかもしれないけれど。

わたしは個人的に、ずんちゃんのショーが大好きで、大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで大好きなんですけど、それと同じくらいお芝居に心奪われている方の声もめちゃくちゃ聞く。

当然私も、演じているのがずんちゃんだったからこそ、カルトワインのシエロとカミロのこと、ホンジュラスのこと、フリオとの関係のこと、またはアギラールのこと、虚勢のこと、孤独のこと、野心のこと、こんなに考えることはなかったんじゃないかなと思う。

余談ですがやっぱりわたしはアギラールがすんごく好きです。

まだ書き上げてないアギラール強火のnoteがあるので書き上げたいと思ってます。
でもその中身はアギラールからみた景色の話なので、当然対ジョルジュの話でして、なんていうかタイミング(汗)ジョルジュの話だからっ 真風さんのことじゃないからっ(汗)

アギラールがサン・ジョルディの祭りに引っ張り出されたシーンが忘れられない。
あの2分くらいの間にアギラールがみたであろう満たされた気持ち。そして直後、キャサリン奪還に気づき全て罠だと知った激昂。

共感性羞恥みたいな言葉が有るとしたら、毎回わたしもそれを味わった。屈辱的だった。誰がアギラールに寄り添ったことがあったんだよ… 今またなみだが出てきたわ

…………………てゆうか何の話でしたか

そう、ずんちゃんのショーが大好きな私ですが、ことお芝居の話になればずんちゃんの演じる人物に芯の奥まで引っ張られる。

瞳の奥に暗い光があり、それは何、その心を知りたい教えて…とずんちゃんの描く人物像の深みへと連れて行かされる。

たぶんこれはずんちゃんだからこそ、起きる現象。

だから、冒頭の書き始め、ずんちゃんはなんの人かって問はやっぱり愚問なんだよね。
というか、なんだっていいじゃん!
全部だよ💢💢💢💢

お芝居に引き込まれ、ショーで狂わされる。
決してライトにやりこなすんじゃなく深ーいところで掴んで離さない。

宝塚をどのスタンスでみるかによって見たいものが違うのかもしれないけど、私にとってずんちゃんはずんちゃん。ずんちゃんの魅力にトリコになってる。そんな自分が好きだし、幸せ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?