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第1話・高校入学初日から、要約筆記が始まった

 198X年、田舎の高校受験を経て、私は普通科の公立高校に入学することができました。喜んで登校した入学式後のオリエンテーションで、最初に担任の先生が自己紹介を行いました。先生は英語の教師でした。
 続いて生徒たちが、教室窓側の席から順番に自己紹介をしました。このとき先生は、私の隣の生徒をパスして、挨拶を後回しにしました。

 生徒の自己紹介が終わった後、先生は隣の生徒を教壇に案内してから
このように言いました。
『A君は聴覚に障がいがあるが、みんなで協力して支えてほしい』

 次にA君が自己紹介をしましたが、私にはモゴモゴとこもった音に聞こえて、何を話していたのか分からず、名前も聞き取れませんでした。このような声は、これまでに聴いた事がありませんでした。

 彼の紹介に続いて、英語の授業が始まりました。
 このとき担任の先生が私に
『p君(仮名の私)、すまないけど、A君の隣で、ちょっと教科書の場所を指さしてくれないかな?』
 確かこのように言われたので、私は戻ってきたA君の机に、自分の机を横付けしました。
 それを見届けた先生は、高校生活最初の授業を始めました。

 聴覚に障害を持つ生徒が、普通科高校に入学した統合教育
(インテグレーション)が、この日から始まりました。

つづく‥‥‥‥


※※※※ 当時を振り返ってみた解説 ※※※※

 私の要約筆記(ノートテイク)はここから始まったのですが、これが卒業するまで続くとは、この時思っていませんでした。
 高校在籍中の3年間、耳が聞こえない同級生と、私はどのように接すれば良いのか?、同じ環境に居る方はどのように接しているのか?
 この二つのことを、私は当時、だれでも良いので教えてもらいたかったです。

 当時、家族に話しても何も分からず、何処に相談をすれば良いのか分からず。スマホもネットもない昭和の時代、手話が禁止されている事くらいしか知る事ができませんでした。

 今では図書館で調べる、市役所の福祉課に聞いてみる、手話・要約筆記サークルを探すなど、いろいろな手立てがあるのですが、田舎の中学を卒業したばかりの子供には、これらのことは分かりませんでした。

 それから30とX年が過ぎましたが、今でもときどき『あ、こうしておけばよかったのに‥‥』と、今でも残念に思ったり、突然良いアイデアが浮かんだりする事が度々あり、これを忘れないように、noteに記録できればと思いました。

 パソコンとインターネット、noteとYouTubeを作ってくれた皆様に感謝!
 読んでいただき、ありがとうございました。

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