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無題合唱論考ー「忘れな草かな?」頷き誓うー

覚えてるよ。あの日君が言ってくれた言葉今も、
胸のとこに、真ん中らに、居座ってる「・・・愛してるよ」
ありがとう出会ってくれて、狂おしいほど今も想う。

prologue. 夕暮れの合図 

 時は、止まれと祈り願ったところで止まってくれはしないと、そんなことは最初からわかっていたはずなのに。いつから忘れてしまっていたんだろう。
 今、急に音を立てて動き出した時計の針の前で立ち尽くしながら、独りきり。
寂しくなんかないと思い込んで強がることも出来ないままで。
 でも、君が言ってくれた言葉、君の手のぬくもり、そして今のこの痛みは忘れないと歌うため、ここに筆をとることを理解されたい。

Ch. 1 この指止まれ

 無題合唱は、ぜんぶ君のせいだ。のLIVEの中でも最も重んじられる楽曲の一つであり、患いたちの精神性を規定する最も重要な楽曲と位置付けられる。その歌詞は、ぜん君。の詩を通底する「離別の苦しみ」を最も明快精緻に描き出したもので、自身の境遇と重ね合わせて涙を流したという経験は多くの患いさんの共感するところだろう。
 すでにいない君を想い続ける、またひとりぼっちになってしまった自分と、非情にも動き続ける時間。すべてが思うようにいかない現実に対して口をつくため息と、「どうして?」のつぶやき。

Ch. 2 名を付け忘れられたんだよ・・・

 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。 
 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。
 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
 さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。

創世記第3章/Wikisourceより

 ぜんぶ君のせいだ。の楽曲には、禁断の果実や地獄などといったセム系一神教(特にキリスト教的色彩が強い)的メタファーがしばしば現れる。無題合唱ではエデンの園のメタファーが現れる。具体的には「エデンの園でも名を付け忘れられたんだよ…」というフレーズである。エデンの園というのは、最初の人であるところのアダムが暮らしていた楽園である。そこでアダムの肋骨からエバを作り、蛇の言葉によって禁断の果実を食べた二人は失楽園の憂き目にあう。ここで注目すべきは、「名をつけられ」るという部分である。

また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。
 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。

創世記第2章/Wikisourceより

 このように、人(アダム)が全ての生き物に名前をつけていったが、人には名前がつかなかったのである。そうした中で二人はエデンの園を追放されるわけだが、先に引用した創世記第3章にあるように、人(アダム)が女をエバと名付けたのはエデンの園を追放された後である。二人が一つになり子供カインが産まれるのはこの後のことである。つまり、「エデンの園でも名を付け忘れられたんだよ…」というのは、君とは一緒になれなかったことを意味している。
 無題合唱では、「独りぼっちだから居場所なんてなくて」というところから始まり、最終的にはまた「君がいない」状況に至る。しかし、このことは言い換えれば、ずっと独りぼっちのままだったのに、君と出会えて、君と触れ合う中でぬくもりを知り、独りじゃない気がしてたが、実際はずっとひとりぼっちのままだった。ということにほかならない。

君と見たい景色 こんなに望んでいるのに…
どうして?どうして、神はいないの?

Ch. 3 途切れた糸?違うそうじゃない

「無題合唱」と「独唱無題」の間の期間、これが星歴13夜「Narcolepsy」と言う楽曲になるね。

GESSHI類/EsEgoより

 無題合唱と同じ世界を描いた楽曲としては、独唱無題が無題合唱の3年後を描いた作品として挙げられる。そして上記のようにこの間に星歴13夜「NarcoLepsy」という楽曲が位置する形となる。作詞家のGESSHI類さんが明言しているように、この三つの楽曲の間には確かな関係があり、そしてその歌詞の中には重要な変遷が見られる。ここでは、それを見ていきたい。

Ch. 4 君は覚えていますか?ぼくは、覚えていたくない。

 星歴13夜のNarcoLepsyは、すでにいなくなってしまった君を思う追憶の歌である。時よ止まれと泣いても無情にも動き続ける時と、次第に遠くなっていく失くしてしまった「君の手のぬくもり」の記憶。無題合唱の時点であれほど忘れたくないと叫んだ君のこと、夢の中でさえもう触れられない君のこと。その記憶が曖昧になってしまったことに気づく。

記憶手繰っても曖昧 君を想っても春紫苑…
忘れたくても無理かな…二度と
触れられないのに。

NarcoLepsy/星歴13夜

 ここで登場する花の名が春紫苑。無題合唱に「忘れな草」という花が登場するが、歌詞における忘れな草の漢字は一般的な「勿忘草」ではなく「不忘草」である。勿忘草がワスレナグサという花をさすのに対し、不忘草は全くの別種、紫苑という花をさす。つまり、「春紫苑」は「春に咲く不忘草」という意味である。不忘草の花言葉は「追憶」「君を忘れない」。春紫苑の花言葉は「追想の愛」。

Ch. 5 泣いたよ。笑った。誓ったこと、独り唄う。

 独唱無題は無題合唱の3年後を描いた作品である。
 「ダメ。」って言われた選択肢を何度反芻したところで、あの日の君が帰ってくることなんかないってことはとっくにわかってる。でも、あの日描いた君と一緒の未来を捨て去ることなんて出来はしない。
 「君が君で在るべきなの」と何度繰り返しても、君は、君は、君は、繰り返せば繰り返すほどにゲシュタルト崩壊して、思い出せなくなっていってしまう。ついには君は、「独りきり」の僕の胸の中だけにしかいない形而上の存在になってしまった。

ほら覚えてる?星が降って泣きじゃくる日。
君と僕の凍える手で、未来ごとね、掴んだんだ。

Ch.6 「うすむらさき色の…」

 この三つの楽曲の間に見られる変化において、最も重要なテーマは「忘れる」ということであり、このことこそが、これらの楽曲の世界線、「時計は止まったままだった」世界線の本質である。
 無題合唱の中では、「忘れたくない 忘れたくなんかないよ。」と叫び、不忘草と君の思い出をなぞる。そして注目すべきは最後のフレーズである。

見つけていつか散る花の名を覚えて…
どうして?どうしてなの?

無題合唱/ぜんぶ君のせいだ。

 いつか散る花の名を覚えて、という言葉は、「勿忘草」の花言葉「私を忘れないで」を想起させる。つまりこの楽曲では、「忘れたくないし忘れないでほしい」という双方向の思い、「不忘草」と「勿忘草」、ふたつの「忘れな草」が交差しているのである。
 時間軸的にこれに続くNarcoLepsyでは、すでに「君の手のぬくもり」の記憶が曖昧になってしまっている。君がいない世界に暮らす中で、夢の中でだけはあえるのではないかと夢想する。ここではもはや二つの「忘れな草」のダブルミーニングは使われず、一方通行的な追憶の「不忘草」つまり、「春紫苑」が登場するのみである。
 独唱無題になると、もはや「忘れな草」は登場しないし、それどころか「忘れる」というワードさえ現れない。その代わりにどういう言葉が出てくるかというと「覚えてる」である。絶対に忘れたくなかった「君の手のぬくもり」は、今となっては「君と僕の凍える手で未来ごと掴んだ」記憶に変容してしまっている。そして、そのように記憶を歪ませたことを自分では認識できておらず、当時のことを「覚えてる」と断言している。君との日々は色褪せ、夢の中で夢想した記憶が堆積して時計の針を凍り付かせ、ついには再びひとりぼっちのままの、「誰もいない場所に」に自らを閉じ込めてしまったのである。
 

Ch. 7 見つけていつか散る花の名を覚えて…
 

 本記事は前回のキミ君シンドロームXの続編、ぜん君。の世界線移動に関する三部作の中編として構想したものである。しかしながら、今日2022/03/16に筆をとる私が、客観冷静の思考をもって記事を書くことができる精神状態でないことは、慇懃なる患いの皆様にはご理解いただけることだろうと思う。この記事は、本来構想した内容からは大きく離れた内容にはなったが、むしろ今、気持ちを失わぬよう、忘れないように文章を書きたいと願ったのである。 
 4/3、絵空事現、君と描いた青写真、夢の中だけでなく。言葉、ぬくもり、痛み全て忘れないよう小指に結びつけて。

epilogue.  君を好きでよかった

不忘草咲く季節に出会ったあなたと
四季を通り過ぎて今、
勿忘草が咲く季節、小夜啼鳥の最後の歌。
私は草原の新芽と小さな花を見ては、あなたを思い出すことを繰り返すのでしょう。
しかし、街路を破り、秋に咲く花のことを思えば、
短くなった髪を掻きながらちゃんと思い出すことができる。
君はまたあの曲を笑いながら
一度だけでも
またいつか散る花の名を覚えて


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