また誰かを愛すよ#3:その眼を見て
私は人の眼を見ることが,本当は好き。
眼を見ていると,その人の感情が直に伝わってくる感じがして,つい見ていたくなる。しかし,そんなことを毎回するわけにはいかない。何せ,怪しまれるから。そして,変な圧力を感じさせたくない。でも,本当は見ていたい。
ただ,最近の私は視線を落としたり,違う方向を見たまま話すことが多いような気がする。もちろん,四六時中そうしているわけではない。ちゃんと目を見て話したり,話を聞いたりする場面ではそうしている。ただ,主任と話す時は,それが出来ないでいる。資料を見ながら,パソコンを見ながら。しかし,最近になって,これは印象悪いのではないかと気づいた。
それに。
限りある時間の中で,彼の姿を見ることが出来るのは,あとどのくらいだろうか。重く聞こえるが,今の私にとっては死活問題である。感じられる身近なときめきは,主任しかいない。とんだ思い込みの1つであることは重々承知している。でも,申し訳ないが,今だけはあなたでときめきを感じさせてほしいと,当時の私はそう思っていた。
明日は彼は出勤しない日であるが,その次の日は会える。職場に行けば,ときめきが待っていることがこんなにも素晴らしいことだとは思わなかった。
ある春の日。新入職員の人たちへの研修を担当した時があった。研修が終わり,事務室に戻ると,ほのかに香る。何の香りなのか定かではないが,なんとなく桃を感じさせる香り。その香りが濃く感じられる時は,大体彼が室内に居る時だった。
「お疲れ様です」先に私から挨拶をする。彼も同じように返すと,
「そういえば,大丈夫でしたか?」と,追加で問いかけられた。
私は洗い場で手を洗いながら,私はてっきり研修のことを訊かれたのかと思い,達成感を表すために,「ちゃんと,役目を果たしました」とドヤ顔で答えた。
「いや…あの…。朝の件は?」彼は言葉をつづけた。
そこで私は,「ああ!」と思い出した。
実はこの日の早朝に,母方の祖母から電話がかかってきて,(私の母が)『外にいるから迎えに来て』と言っているが,今は迎えに行けないから,代わりに行って来てほしい,と言われた。
母親が外にいる,というのは大体,居酒屋にいることが多い。実家で一人暮らしの母は,時折,夜な夜な出かけてしまうことが度々あった。
今から出勤なんだが…。
朝から嫌気が差した。自分の母のことだが,酒の入った母と関わるのは正直気が滅入る。まず酒の匂いが嫌だし,辻褄の合わない会話に付き合わないといけないところも。典型的なアルコール依存症なのだが,素面(しらふ)の母親に治療のことを提案しても「大丈夫だから」の一点張りで,同じ事を繰り返す。
私は心理士なのに,家族のことも,自分のこともちゃんとケアできない。
この事実に向き合う度に,さらに嫌気が差した。
結局,この日の朝は,母を迎えて実家を送り届け,どうにか出勤時間に間に合うことができた。事前に主任方には事情を伝えて遅れるかもしれない旨を連絡していた。
主任は,「お母さん,破天荒ですね」と言ってきた。
破天荒…だけども。
「でも,朝からこんなの…嫌ですよね」と,一言つけてくれた。
つくづく思う。恋愛に関わってくることだが,こんな母親がいる人間と,付き合っていくというのもなかなか面倒に感じやしないか,と。ましてや,妹も弟も何らかの精神疾患持ち。何なら私も同類。でも,似たような家族事情でも,結婚している人たちはいるし,家族が精神疾患を持っているから,という理由が,必ずしも恋愛発展途上人間になってしまうことにつながるわけではないのだろう。一歩踏み出せないのは,また別のところに要因があるのだろう。
この日,定時の時間まで,あと1時間,のタイミングであった。オンライン研修の動画でも見ようと,いつも使うデスクトップパソコンではなく,インターネットも閲覧できるノートパソコンを開いた。そして,そのそばにある,相談室の固定PHSに不在着信がなかったか,ボタンをポチポチ押して確認したときだった。不在着信があったようだった。折り返すと,病棟から介入の依頼であった。私が電話のやりとりをしたので,これは私が行くことになるか,と思いながら,患者のカルテを確認していた。すると,主任もデスクに近寄って来て,「どんな人ですか?」と気にしてくれた。その患者さんの数日分のカルテを一緒に見ながら,瞬時に見立てを話してくれた。これを聞いた私は,さすがだ,と心で全力の拍手をした。長年,病院で心理士をやっている実力の差をありありと見せつけられた。
「今から行って来ますね」と私が言うと,「僕も一緒に行きましょうかね。週明けに代わりに行くかもしれないので,どんな感じの人なのか見ますね」と主任も一緒に病棟へと出向いた。月曜日は私が別の施設の勤務日にあたるので,何かあればその日は主任が行ってくれると。安心感が凄すぎる。朝からストレスを受けまくった私にとっては,身に沁みた。
ただ,ここで一つ。私に新たなストレッサーが生まれてしまった。それは,主任に面談中の様子を見られること。まさに,社交不安である。人から注目を浴びられるのが嫌。別に相手は,私を貶めてやろうとか,そんな意図は全く無いのだが。ただ,私は昔からそういう場面が苦手。だけど対人援助職に就いている。総じてアンビバレント人間な私だった。
なので,内心,『主任が一緒に来てくれるのマジで優しすぎる』という気持ちと,『マジか,見られたくない』との気持ちが格闘していた。病棟へ向かう途中,彼から雑談をしてくれたが,社交不安モードになった私の頭の中には,あんまり内容が入っていかなかった。ごめん,主任。
病棟に辿り着き,その患者さんがいる病室に向かっていく。近づくたびに,私の憂うつは強まる。そして病室に辿り着くと,ちょうど,その患者さんへ薬を持って来た看護師さんと遭遇した。「どんな感じなんですか?」と主任のほうが先に問いかけていた。看護師さんは,「私も今日初めて担当するので…」と言いつつ,知っている範囲で情報を教えてくれた。その間,私の緊張感は高まるばかりであった。
そしてついにその時はやってきた。今にも頭が爆発しそうであったが,患者さんと話を始めると,どうやら私は職業人モードに入るらしい。声色や話す素振りが変わる。最初は,目端や身体の外側で主任の存在を感じていたが,しばらく患者さんと話していると目端にも映らなくなった(もしかしたら,自ら視界に入れないように動いていたのかもしれないが)。20分程話して,病室を出た頃には,もはや主任の姿はどこにも無かった。確かこの後,別の面談が入っていたので,既にそこへ行ってしまったのだろう。しかし,どう思ったのだろうか。事務室に戻っても主任はおらず,私は患者さんとの面談記録をしてそのまま帰宅したので,それは分からないままである。患者さんの状態も考えて,面談を20分で切り上げて,気持ちのケアよりも,まずは睡眠を十分にとってもらうために眠剤調整の依頼をしてみたが,果たして良かったのだろうか。
さて,今日は眼を見て話すことは出来ていただろうか?患者さんとは出来る。しかし,主任とは,多分出来ていない。理由なんて,すぐ“ここ”にある。
私がよく覚えているのは,彼の面談の陪席をした時の眼差しである。
初めて病棟面談の陪席をした時のこと。患者さんは,自分でも身体をあまり動かせないご年配の女性であった。身体の痛みもあるとのことで,主任はVAS(ビジュアルアナログスケール:0「全く痛くない」~10「死ぬほど痛い」のように,主観的な苦痛度などを数字で表現してもらうもの)で,そのときの患者さんの状態を最初に確認したりしていた。
相手の話を聞いている時の,彼の眼,白い部分は少し赤く,全体は少し潤んでいる感じがした。たまたま,そのときの彼の眼のコンディションが悪かっただけなのか,はたまた面談中に何か思うことがあって,そうなったのか。分からない。もう1人,別の患者さんの面談を陪席したときも,眼差しに注目してみた。別に眼を見たからといって,全てわかるわけではないのだが。主任は一点を見つめるだけであったが,次の瞬間には,穏やかに言葉が出て来た。
普段,事務室でデスクに着いている時は,皆背を向けて座っているので,どんな眼差しで,どんな表情で作業しているのかは分からない。彼は昼休み中,椅子に座ったまま目を閉じて過ごす姿があるのだが,未だに,瞑想をしているのか,昼寝をしているのか,定かではない。何だかそれを見てしまうことや詮索するのは,何だか申し訳ないと感じてしまい,よく分からない。別に訊いたらいいのでは,と思うかもしれないが,変にブレーキをかけてしまう。
当時の私は,こんな想いを抱いたまま,いつまでここで働き続けることができるのだろうか,と考えることがあった。
この想いに,いつしか終わりは来るのだろうか。というより,そもそも決着という目的地など,最初から無いのかもしれない。手の届かない位置にいる,まるで推しのような存在なのかもしれない。そうだとするならば,終わりを決める必要はないし,それが私の生きる糧になっているのならば,それで良いのではないか。私は一生,彼に対して無害な存在で居続けるつもりだ。しかし,募っている想いが私をどこかでジワジワと苦しめていく感覚はあった。そして,ふとしたときに,悪魔のように襲ってくる。今日の昼までは,朗らかに過ごしていたのに,家に帰って来て一人になった途端,悲しみという雨雲が胸の内に迫って来て,現実を思い知らされる。このような葛藤を,私はいつまで応え続けられるのだろうか。不安に思うのは,それだけだ。
改めて思うことは,主任は,私の大学時代の先輩のように,一人の人として私の味方でいてくれるような存在だと感じる(勝手に私の中でそんな存在に認定してしまっているが…)。私が精神的にずたぼろになっても,死なずにいれるのは,そうした存在が居てくれるから,なのかもしれない。
でも。
だからこそ,生きている内に,私はあなたの眼をちゃんと見ていたい。貴重な存在だから。
その眼を見て,あなたが今ここで生きていることをしっかりと感じていたい。
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