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『現代の白痴』レビュー My Chitalkaより

トゥリャーニンの長編『現代の白痴』(Идиот нашего времени:2012)を読了することはこの夏の課題。全部を読むのは非常に体力を使いますが、親切な英露バイリンガルの方がこの作品について英語でまとめて下さっていました。

My Chitalka 2014年5月30日 より

「現代という時代には、『まるで』による存在しかないかのようだ。人々は『まるで』友達がいるかのように、『まるで』家があるかのように、『まるで』国があるかのように、『まるで』生活があるかのように感じている。」

「悪魔(дьявола)の祈祷は、お金の他にどこに書かれているだろう?お金にだけ書かれているのさ。君に必要なことは、それを読めるようになることだけさ。」

『現代の白痴』は2013年のヤースナヤ・ポリャーナ賞ノミネート作品、以下トゥリャーニン紹介、中略。ドストエフスキーの傑作のひとつ、『白痴』を引用したタイトルに惹かれ、今年読みたいと思っていました。

現代の白痴、3人の主要人物の紹介

◆ソシニコフ◆
ラスコーリニコフ(小説のはじめ)と、D.カラマーゾフ(小説の最後)を混ぜたようなキャラクター。

◆ゼムスキー◆
非常に物質主義的な嫌われキャラ。はっきり言って、1次元的で深みがない。

◆ニーナ◆
小説を一貫して、男性たちに踏みにじられることを赦す、聖なる女性

ロシアの「ワイルド・ワイルド・ウェスト時代」(1990-2000初期)が舞台。実際に体験しないと物事の在り方を信じないような、正直で善良な人にとっては危険で恐ろしい時代。トゥリャーニンが自身の「全盛期」をこの時代に生きたことは明らかであり、その様子を正確に描いている。ブッシュの鶏の脚(ножки Буша)から山賊的蛮行まで、トゥリャーニンの書いたことは皆がこぞって眉を上げるほど馴染み深いものばかりだ。

主要人物らはポストソ連のワイルド・ウェストにおいて、生きる道を探らんとするジャーナリストたち。いかにお金が人間をダメにするか、賢者を野獣に変え得るかを語る作品だと思います。

以下、作品の中で面白かったこと

1.にわか成金のモラルの腐敗について、また彼らが自分の悪行に罪悪感すらもっていないことについて、ソシニコフが喚き散らす。「人は羞恥心と良心の大きさによってのみ、動物から区別される。」

2.ソシニコフによるモノローグ。大きなビジネスについて、またそれが「成功」するためには何が必要かについて、興味深い記述。

3.ゼムスキーとその義父の昼食。義父のキャラクターは大変上手く書かれており、知人の中の誰かが思い浮かぶよう。

4.ソシニコフが現代のラスコーリニコフになろうと決意する、最初のパートがすごい。全体的にこのサブプロットだけに基づいて小説が書かれていたらすごくよかったのに、と思う。

5.私にとって、ソシニコフが執拗に自分の家系図とその強力な構造を調べ始める部分が最高。「…過ぎ去りし1000年の間、いや、もっと長く2000年の間、地球全体の人々は直接の血縁関係の、必然による複雑なネットワークで、1度や2度のみならず混ぜられている。そのような完全なるミックスの量は狂ったような長さに達したはずだ。それが本当なら、ソクラテスも、モーセも、孔子も、その他それぞれの理由をもって人類に信条を広めた偉大なる人々全員が、ソシニコフ直近の何世代も前の祖先だったとも言える。」

運命に関する発想…物事が偶然ではなく、必然的意味を持って起きるという発想が小説を通してある。登場人物たちは運命的瞬間に、運命的場所で道を渡り、そこには興味深くも「デジャヴュ」的感覚がある。主要人物らは何か悪いことが自分たちの身に起こるということをほぼ自覚している。そしてその予感は正しい。

素晴らしい発想に基づいており、書かれ方も良い。3人の主要人物らにまたがる、構成のリンクの完成度は高かった(お金が人間に及ぼす有害な悪魔的影響など)。しかし、他のキャラクターやサブ構成はあまり練られていない。「罪と罰」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」を現代を舞台に一冊にまとめようと頑張ったようにも思える。ドストエフスキーの中から選ぶテーマは一つでよかった(ニーナとゼムスキーの生い立ちの記述を省いてソシニコフに焦点を絞ればよかった)。読者の注意があちこち引き付けられ過ぎる。悪い本だというつもりはさらさらないのだが、トゥリャーニンがキャラクターや一つのテーマにもっと近い視点を置き、それを豊かにできたら本当に素晴らしい作品になったように思う。

私の中での評価は3点中2点。

◆ヤースナヤ・ポリャーナ賞 概観 My Chitalka 2014年7月4日 

『現代の白痴』1990年代ロシアにおける、お金の悪魔的影響

よかったところ…現代におけるラスコーリニコフというアイディア。人類に共通する根源の書かれ方。ゼムスキーと義父の昼食シーン、殺人シーンは見事。

よくなかったところ…作者、欲張りすぎ。現代を舞台にした『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』を一気に詰め込みすぎた。結末も微妙。キャラクターやプロットがより豊かになれば、本当に素晴らしい作品になったことでしょう。

◆本文をほんの少し読んでみた

『現代の白痴』も『異教徒』同様、7つの章ごとに表題がついている。

Ⅰ ソシニコフ
Ⅱ 復讐
Ⅲ ニーナ
Ⅳ 妖怪 Оборотень
Ⅴ 誘惑 Искушение
Ⅵ 犠牲 Жертвоприношение
Ⅶ 変容(祭)Преображение

「無神論者らの理論は、科学を元に、常に同じ方法で詭弁の構築に帰着した。地球は丸い、だから神はいない。脳は神経からできている、だから神はいない。銀河が走る、だから神はいない…。無神論者らが何かを信仰しているとしても、それはあらゆる普通の異教徒ら(язычники)のように、妖怪(барабашек)か、何か高等な知能を信仰しているのだろう。しかし粘土を信仰し、その粘土が宇宙に関するすべての疑問に解答を与えてくれると思うこと…これはもうあんまりだ!」(変容章)

◆思ったこと

色々盛り込みすぎ、メインキャラクターが3人ほどというブロガーの指摘には、『異教徒』を読んで共感した。ロケーションは島と大陸で異なるが、両方ともポストソ連時代が舞台。

トゥリャーニン氏は各人物の生い立ち、サイドストーリーをやたら書きたがる。人物について些細なことに至るまで、比喩を用いながら長々と細密に書く。作者がインタビューで述べている通り、身近な人、実際にあったエピソードをモデルにしていることが起因しているのだろう。ブロガーが書いている通り、手に取るようにリアルな、実際に知り合いの中にいそうな人物描写が得意で、読者の印象に強く残る。

また科学や資本主義、宗教は作者の中で一貫したテーマであり、主要人物が「何か悪いことが起こる予感」を頻繁に持ち、それが現実になることも、『異教徒』『現代の白痴』そしてその他短編に共通するようだ。

あと、トゥリャーニン氏、男性たちに踏みにじられることを赦す、聖なる女性像が好きみたいね。

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