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小説家為人―クズネツォフ-トゥリャーニン氏 インタビュー 2008年②―

アレクサンドル・ヴラディーミロヴィチ・クズネツォフ-トゥリャーニン(Александр Владимирович Кузнецов-Тулянин) インタビュー

1963年トゥーラ出身の作家、ジャーナリスト。’90~’00年代のソ連・ロシアによる実効支配下の国後島漁村を舞台とした民俗小説『異教徒』(ロシア語原題 ”Язычник” )を2003年に発表、2006年に出版。ロシア国内にて複数の著名な文学賞にノミネートされる。

以下、«Терра – Книжный клуб» (№ 3/4_2008) ロシア語原文
より一部抜粋、要約しました。

長編『異教徒』と短編集『楽園から来た人』について

Q. 長編小説の題名『異教徒』の由来は?

A. 実際のところ、現代人というのは異教徒なんです。ただ、現代人が自分の心を覆う迷信の多くを認識していないだけでね。例えば占星術だとか、魔術、星状体、科学の全能性やその他くだらないものを信じているんです。新しく出現した異教の神話に他ならぬものですね。その神話は、大きなことを言って全能であるかのようなふりをしていますが、人間に足場の感覚を与えることはできないのです。足元の基盤なくては、善良な人間でさえも、苦悩と破滅を運命づけられている。

Q. 『異教徒』を象徴小説と名付けていらっしゃいますね。この小説が象徴するものは何なのですか?

A. まず、本作品が象徴するのは精神を奪われた人間です。いくら見てくれは強そうで、抗議的、暴力的であっても、自分を見つけられないのです。別の観点から見れば、人間と自然(大洋)の関係を象徴するとも言えます。人間は、世界から自らを切り離そうと如何にもがこうと、結局は永遠に自然の脇芽に過ぎないのです。

他の見方としては、本小説を当時この国で起きた状況の象徴、あるいは1つの世界が転覆したときに私に生じた状況の象徴と捉えることができます。巨大な帝国が転覆し、待ちに待ったにも関わらず、その代わりには何も生まれなかった。総じて、長い時間をかけようと、良いものは何も予見できないんです。

Q. 新しい短編集の作品は何について書かれているんですか?

A. テーマは作品により異なります。評論家のヴァレンチン・クルバトフ氏に短編集を読んでいただき、良い感想をいただきました。ただ、クルバトフ氏は短編『惨禍(Ужас, ужас)』は載せないほうがいいとのご意見でした。彼の言葉を借りれば、本作品は出版のモラルに反するとのことです。

でも私はそうは思いませんね。惨禍的状況の描写というのは、心身耗弱状態で犯してしまった殺人も、犯罪を隠し通そうとする登場人物の恥ずべき行為も、全体として見た彼の狂気も…これらは皆人間の究極形態の1つなのです。しかし悲しいことに、私たち『異教徒の時代』において、このような状況は珍しくないことなのです。殺人を生きる術にする、映画の悪役のような人は書かれていません。どこにでもいる平凡な人の、落ち着かない精神が常に、不信仰の漠然とした空間にぶら下がっているのです。その人は次のような借用に従って犯罪行為をなしたという点で、その他大勢の平凡な現代人とは異なるのです。『まあ、隣人を殺して、まあ、偶然を装って犯罪を隠して…後悔するためには、馬鹿にならなくてはならない…』

短編は、私の友人のうち1人が「深くキリスト教的である」と言ってくれた文章とともに本に収録されています。そういった文章は皆、私自身の本質の一部分でもあります。

Q. 現代文学はお好きですか?

A. 一様にはお答えできませんね。例えば、アナトーリー・キム氏、ユーリー・カザコフ氏、アンドレイ・ビトフ氏の作品の中で好きなものはいくつかありますよ。去りし10年の文学と作家ですね。現代の雑誌も読みますし、面白い作家たちも見つけるのですが、どの作家の作品が心に残ったかと言われると答えに困りますね。部分的に、このことは私がかなり読書に小うるさくなったことを物語っていますね。本当に良い作品というのは稀にしか生まれませんからね。


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