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占いのセールスから一番遠い記事を書いてみる

あぁ、科学でモノゴトの道理が全てがわかればどんなに楽だろう。

人はときに人知を超えた事象に悩まされるときがある。

そしてそんな時は遥か昔から占い、呪術、宗教などスピリチュアルな分野が人々を救ってきた。

占いなんてくだらない自分のことは自分で決める、と言う人も居るがこういう人ほど占いにハマる傾向がある。

自分の判断と力で進んだ結果、ある日心が根元からポッキリ折れるような失敗をする。

しかしここで挫折をしてしまえば、今までの自分の思考と行動全てを否定することになってしまう。

「運が悪かっただけですよ」

そんな時にこのような言葉をかけられたらどうだろうか。

そうだ、自分は間違ってはいなかった、運が無かっただけだ。

こう思った時点で既にスピリチュアルの世界に一歩足を踏み入れていることになる。

今まで自分の力のみを信じてきた者が、いきなり運という目に見えない不確かなものを信じるのだ。

「運」とは非常に甘美な言葉である。

特に失敗をしたときに「運が無かった」という言葉を使うだけで、それまでの自分の判断や努力、人生が否定されずに済むのだ。

宗教においての「すべては神の御心のままに」と同じようなものである。

運を気にしだした者が辿り着く先には、笑顔の占い師が待ち構えている。


占い師とは運のような不確かなものを占術を使ってあぶりだす職業である。

その方法は様々で、数を読んだり、星を読んだり、道具を使いこなしたり、見えざる者の手を借りたりと数多にも及ぶ。

そこには科学が証明する根拠だの理論だのは無い。

しかし科学ではとうてい解決できない問題へのヒントが占いによって導き出されるのは、占いを経験した人にとっては既知の事実であろう。

霊感商法がニュースになったり、テレビの過激な占い演出があったりで占いのようなスピリチュアルな世界をうさんくさいと思う人も多い。

確かに一風変わった者も居るのも事実だが、現実的なアドバイスを主とする占い師も大勢居る。

私はどちらかというと現実的な占い師タイプである。

普段から霊は視えないし、龍神様にも会ったことはない。

ヒーリングのような特別な力もなければ第6感が優れているわけでもない。
(相変わらず特別ではないけど最近少し何か掴んだ気がする)

タロットカードを使うときにいわゆる高次の存在とやらに手助けを求めることはあるが、その高次の存在が私に直接語り掛けてくるわけでもない。

ただただタロットカードがどこからかヒントを連れて帰ってくるだけである。

そして私の主とする占術はタロットではなく数秘術という数を用いた命術だ。

この数秘術についてはまた後日別の記事で書こうと思う。

これがなかなか面白い占術なのだ。


タイトルを書く前に文章を書いたので今更ながらタイトルが思いつかない。
しかしせっかくnoteに投稿するなら誰かに読んで欲しいし、あわよくばハートなどをいただきたい。
そうするとやはり目に止まるタイトルをつけるべきだが、文才溢れる化物達の生息地であるnoteでそれは難しい。
そうやってひねり出した結果が今のこのタイトルである。
このセンス、あなたはどう思う?

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