わたしの話はいつも同じ
ということで、彼女は本当にすごい。
結婚していたこともあってか意見も合うし、好きなお笑いの話も合うし、理想の相手だ。
わたしがこう思えるようになったのも、今のタイミングだったからに違いない。もう少し若かったら、子がいなかったら、全然違う判断になっていたと思う。
年を重ねるとはこういうことなのだ。
素晴らしい出会いに感謝するとともに、もちろん彼女の両親や家族にも感謝する。
そしてもちろん、わたしは子の父親である彼の両親や家族にも感謝している。
ひいては、これを読んでいるあなたの両親にも感謝することにつながる。
あなたの親がいたからあなたがいて、あなたがいるから救われる人がいたり、新しい命が生まれることになったりするわけだ。
だからわたしはすべての命に対して、そういう態度でいることを心がける。わたしのことを批判しようが、しまいが、そんなことはもはやどうでもいいいのだ。
全ては導きだなぁ、と思う。
話は変わって、いまわたしは入院している。
この病院に「ひかりさん」という人が働いている。わたしよりも年齢の若い人だ。
わたしの産んだ人の1人目、つまり第1子はひかりさんという名前で、まあつまり子と同じ名前なのだ。
彼女がここへ来てくれるたんびに、ふわんと幸せな気持ちになる。
その理由は同じ名前だからということもあるのだけど、やはりこうやって人の未来は作られて行くのだということを感じるからだと思う。
もちろん別に看護師になってほしいとか、そういう話じゃない。
いま0歳と1歳の子達が、こうやって大きくなって、何者かになっていくのだな、とか、大きく成長して行くのだなと思うと泣けてくるのだ。
これは産後よく小中学生を見かけるたんびに思うことで、なんとも感慨深い。
この、子たちの成長をともに見届けられる人がまた1人増えたこと、本当に心から嬉しく思う。子の成長を共に喜べる人が、どんどん増えていく。
近々、そのパートナーのインタビューもWEBで公開される予定なので楽しみにしてほしい。
わたしの今日の連載はこれで終わり。
わたしの話はいつも、なんの話なのか、よくわからない。子の話なのか、パートナーの話なのか、広くは世界についての話なのか。
わたしの話はいつもそうだ。個人的な思いから始まって、壮大な話になって行く。
それをいつもふんふん、へえ、と、横で朗らかに笑って聞いてくれる人がいるということはそんなに悪い気分じゃない。
もちろん、わたしは結婚至上主義でも、恋愛至上主義でも、パートナー至上主義でも、カップル至上主義でもないつもりできた。
だから結果的にパートナーを見つけて、こんな感じになりました〜っていうと「話違うやん!」ってなる人もいるかもしれない。
でもわたしは、なにかの思想のために生きているわけでもなく、だれかの夢を叶えるためでもなく、わたしと子たちとその周りのよりよい環境について考え続けることがミッションなのだ。
だからこそ、今後もいろんな「話違うやん!」がいろいろあるかもしれない。
とりあえずここまでやってきた。こうなったらもっとできることは増える。1人では難しいことも、2人ならできる。
さあ次は何しよう?一緒になにかしませんか。
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