とにかく誰かのせいにしたい

ここ数年「誰かのせいにするエネルギー」についてずっと考えている。わたしもかつてそうだったし、今でもそういう部分があることに違いはない。

誰かから自分に向けられるものでもっともよくわかりやすく感じたのは、これまで数回テレビに出たときに直接送られてくるメールや、SNSなどで目にする批判のようなものに目を通すようになってからだ。

パッとみると、わたしのせいで、わたしに対して怒り狂っているように見えるのだけど、実は全然そうじゃないっぽい。

とにかく自分自身がしんどくて、助けを求めることができにくいんだなーという印象なのだ。

解決できていない問題のカケラが、わたしのことと重なって見える部分があるのだなということ。

わたしの取り上げられるメディアで、だいたいの場合は「家族は」とか「結婚は」とか「子育て」とか
、一般的な語句を使って説明するんだけど、その人たちの思っている「それ」とは違うみたいで、まずはそこに怒ってる。

そして「助けを求めている=人に迷惑をかけている」に変換されていて「人に迷惑をかけることはいけないことだ」「人に迷惑をかけて子育てするならやめるべきだ」とくる。

わたしはこれからも迷惑をかけることはあると思うし、なんなら人に助けを求めながらやって行く姿を子たちに見せていきたいと思っている。むしろそれも親として関わる上で、伝えておくべきことの1つだと思う。

この世界は信頼するに値するし、日本ならなおさら恵まれているといっても過言ではない。助けてといえるのも1つの能力だと思う。

この日本に生まれた時点で、すでに多くの犠牲の上に立っていることには間違いないのだ。

批判する人、しない人、多くの人の中に「あるべき親像」「母親像」をものすごく強く感じる。

それにならないといけない、できないと失格、じゃあ死んだほうがいい、それぐらいの強迫観念と攻撃力をもってして、SNSで叩きまくっている様子だ。

その姿は、そうでない自分自身の親を、そうなりたいけどなれない自分自身を、とことん痛めつけるが如く。

あなたの「あるべき親像」は、どんな姿ですか?

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