いま、ここでむさぼる(2018年8月)

離乳食を進めている。ひかりさん(わたしが昨年産み落とした通称「娘」の人)は、ずいぶん色々なものを食べるようになった。実は離乳食については気が進まなかった。そんなに料理が得意なほうだと思っていないし、もともと大して好きでもないからだ。嫌いだったと言ってもいいかもしれない。

産前産後に助産院でマクロビオティックに出会い、重ね煮というものを習い、化学調味料を使わない調理法を研究し始めた。これはものすごい。どれも本当に楽しくて、だしの素やコンソメなんて全く必要なくなった。今は塩ぐらいしか必要ない。とても安くあがることも判明した。

はじめは野菜だけの重ね煮だったけれど、肉を使うことでよりグレードアップすることに成功した。野菜の重ね煮に関しても、友人たちと情報を共有することによって以前よりも面白味が増した。わたしのつくるものを喜んで食べてくれる人がいる。あの人や、この人。さいこうじゃないか、お料理。

重ね煮が面白いという事を言いたかったのではないのだけど、今日は絶対に忘れたくない一瞬があったので記録しておきたいと思ったので書いている。

わたしの家は長屋なので、主に畳だ。よく「何人で住んでいるんですか?」と聞かれるけれど、この家にはわたしとひかりさん2人だけだ。「シェアハウスだと思ってました」と今日も言われたけど違う。

長屋の中は主に畳だ。だからできればきれいに食べてほしいと考えている。チラシをひいたりなんかして、汚れるのはどうにか防止しようとしている。保育園では手づかみで食べているようだし、家ではスプーンでと思って、こちらのタイミングで与えることのほうが多かった。

保育園で働いていた時のことを思い出す。床に散らばる給食のごはんや麺、野菜のくずやどろどろの物体。制服が半ズボンだったので、膝をごはんつぶだらけにしながら雑巾で拭いて片付ける。机も椅子もべちゃべちゃ。園児が多いので最後のほうに片付ける椅子はガビガビになっていることも多かった。はじめは憂鬱であまり気持ちよくなかったけど、だんだん慣れた。

家の中はそうなってほしくない、そういう思いがどこかにあった。

今日のひかりさんは、保育園から帰ってきてから少し早めにお腹が減ったようだった。ご飯の準備をする。いつもは座卓と食事用のこども椅子で食べるのだけど特別お腹が減ったひかりさんを見ていると、食卓に行くのも遠く感じて、いつもと違うクッションマット(パズルみたいになっている)で食事を始めてみた。

ここ、という風に座り込んだので、お尻の下に生協のチラシを2~3枚ひいた。いつもは離乳食用のスプーンで食べてもらうのだけど、今日はいつもより積極的に手を伸ばしている。かぼちゃと鶏のひき肉の重ね煮。やっぱり少しの塩しか使ってないんだけど、めちゃくちゃおいしい。ほくほく。指の先で触りに来る。差し出す。ずぼっと掴む。

おかゆ、いつもより多めに用意していたもの、手を入れて掴む。ひかりさんは少しの米粒を自分の口に運んでいる。時々スプーンで運んでみる、それも食べる。ひかりさんはわたしの口に、おかゆをどうぞ、とした。ぱくっと食べた。どうしようもなく幸せな気持ちだった。涙が出てきた。

涙をごまかしながら、つられてわたしも、おかゆに手を入れてみる。どろっとしていて、掴みにくい。だけど少し掴んで、ひかりさんの口元へ運ぶ。食べている。次の瞬間、水遊びみたいに手を漬けたので、ばしゃっ、と飛び散る。いつもなら気になるのだけど、もう気にならなくなっていた。

お尻の下にひいていたチラシも、着ていた洋服も、本当にどろどろのごはんだらけ。コップの水もどんどんこぼす。コップは両方に取っ手の付いたもので、そちらへコップを向けるとあごを出してきたのだけど、片手で取っ手を持てるように補助して、もう片方の取っ手をわたしが支えた。自分のいい頃合いを見計らって、飲んでいる、満足そう。

おかゆの中から白身魚を取り出して、熱心にしゃぶり始める。音を立てて豪快に。エキスを吸っている感じがする、本能を感じる。生命エネルギーがすごい。野生のサルを見ているよう。洋服なんていらないんじゃないかって思えてくる。

目の前でこんなにもイキイキと食事するひかりさんのことを見て、やっぱりこれがええねん、ほんまはこうしたかってん、と思った。頑張らなあかんなって、素直にそう思った。

これから先、大きな決断をすることもある。大きな出会いも別れも、生も死も経験するだろう。どこへでも行こう、困ったら日本なんていつだって出てしまおう。来月の誕生日プレゼントはパスポートだ。逃亡する準備はできている。一緒に暮らす相手がいる、家族。

いいじゃん、それ。

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