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《GTO》 間違えないように生きてきましたが。

誰だ!誰だ!誰だーーーー!(科学忍者隊。懐かしい…)


もとい


なんか・・・とても深遠なテーマですね。

「間違えた」


なぜそう思ったかというと、、、

これです。


「間違えないように注意して生きよう」


いつも僕の人生を動かしていた、コレ。

と思ったからです。

〜 〜 〜


「しまった❗️また間違えた❗️」

これは上司からミスを指摘された時に、僕が良く思っていた事です。

数年前にGTOはつくづく思ったことがありました。

俺は

◯◯し忘れないようにしないと…

とか

ここで電話しておかないと…

とか

そろそろ、この資料を作って置かないと…

とか。


そうしないと、、

◯◯さんから「ダメなヤツ」と思われてしまう。

とか

「いい加減なヤツ」と思われてしまう。

とか

自分が他人からどう見られているか?にしか興味がなくて、

いつも何かに追われた感覚で生きていたし、

行動する要因の95%は、コレでしたね。


特に避けたいのが


間違いを指摘されること。


上司だったり
妻だったり
辛口に見えた仲間からだったり

その人達から、何か改まった雰囲気で言われる

「GTOさん」

「話があります」

こんな声をかけられたり、
メッセージが届いたり、

特に上司からの不在着信が残っていたりすると

なんか…めっちゃドキッ(辛い方の)してしまっていたんですよね。


その上司からの着信に
かけ直した時

その声が低めだったり
しただけで、


妻からの

「あのさぁ…(しばらく無言)」

と、

僅かな無言時間が
あるだけで

あれ?俺、また何かやってしまったのか?

何やろ?あれかな?これかな?

とにかくも

何か間違いをやったんじゃなかろうか

というドキッとした不安感。


内容が、ハッキリするまでのドキドキ感って、何なんでしょうね


でも、これが、いつもいつも押し寄せてきていました。


つまりは

GTOは、日常の、ありとあらゆるシーンで、このドキッとした不安感から逃げる為に行動して生きていたんだなぁ、、。

いや、むしろ…人生、ほとんど、それしかやってない。

…振り返って思いました。


ぶっちゃけ言うと

怒られないことが「正解」

怒られたら「間違い」

さらには

自分の中には「間違い」とか「正解」とか、決める権利が無い。

そういう世界観。


こうやって
自分の今までを書きつらねると、、、

笑えてきます。


だって、何も無いから。

極端に言えば


人生にあったものは

しまった❗️間違えた❗️

これをしない様に生きる。


これ以外は何もする事が無かった(笑)


これがわかった事に大感謝です。


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