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素直さについて

このエントリは本当は年末に書こうと思っていたテーマなんですけど、結局お蔵入りにしていたやつです。少し手を加えて出します。


社会人もそろそろ3年目になろうというところで(ぼくの会社は1月で年度が切り替わるので、年次でいえばもう3年目になったのだけれど)、ある程度会社の人っぽい考え方だとか、会社の人っぽい物言いができるようになったなと思っている。良いことか悪いことかはさておいて、新しいものの考え方を身につけて、ぼくという人間の在り方が変化しているのは事実だ。会社の人っぽい物言いということで、今回は素直さについての話。
MVVだとかクレド(行動指針)だとかは、労働者を都合よく動かすための言葉でしかないと思っているが、一個だけ"これは本物だな"と腑に落ちるものがあって、それが"素直"ということ。あまりそのまま書いてしまうとGoogle検索でカタカタとやるだけでぼくの勤め先が割れてしまうので細かくは書けないんだけれど、素直さが何かというものの説明が結構独特だったりする。素直というのは、「素の心で真っ直ぐに受け入れる」ことであって、これができると「客観的」に物事を捉えることができるようになり、「謙虚」になることができるという感じのことを言っていた。
素直さの行きつく先が、「客観的」で「謙虚」なのはなんだか変だけれど、そういえば大学の頃に似たような話をする教授がいたなあと思い出す。その人はルドルフ・シュタイナーのファンで、専門の研究は別にあるんだけれど、講義の雑談で嬉しそうに神秘学の話をする人だった。その人が好き勝手やる講義を3年生のときにとっていて、シュタイナーの話を嬉しそうにしていた。シュタイナーというのは神秘学者なのだけれど、自分がスピリチュアルの人間だということは人生の後半までひた隠しにして、それまでは自然科学の研究や哲学の研究を本格的にやったりしていたそうで、教授は"近代科学の中に身を潜めていた""でも魂は売り渡さなかった"みたいな言い方をしていたと思う。なるほど確かに、シュタイナーは若い頃から神秘学の志は持っていたけれど、だからといって近代科学の考えを跳ね除けなかったわけだ。
仕事に完全に自分の魂を売り渡すことは勿論したくないけれど、相手の言ってくることを素直にきくっていうのは、人間的に余裕のある仕草だなと。別に相手の言うことを素直に聞いてあげたところでぼくという人間の軸がブレるわけでもないし、一回だけだったら素直にきいて騙されてあげても良いと思う。
仕事以外でも、素直でありたいなと思う瞬間はたくさんある。ぼくは革命家としての才能はなさそうだとこの二十数年間でわかってしまったから、素直な人として生きていった方がどうやらお得みたいだ。捻くれた偏屈な人間として仕上がってきてしまったけれど、少しずつ素直になっていけたらな、と思う。自分は何がして欲しくてこんな態度を取っているのか、せめて自分ではわかっておきたい。自分が好きなものを自分で理解してあげたいし、自分がどう生きたいかについても素直でありたい。他の人が好きなものについても素直に受け入れてみたいし、まだまだ人として変わっていけるところは沢山ありそうな気がしている。

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