見出し画像

#6 ずっと一緒に働いてるから、俺がどんな思いで貯めた50万かわかるよな?

フジイさんのエッセイ連載「どう生きたいかなんて考えたことがなかった」(全8回)。フジイさんは子ども時代に母から虐待を受け、一方ではアルコールに溺れる母をケアするヤングケアラーでもありました。母とは共依存の関係になり、いつも顔色を窺うように。「私がどう生きたいか」を考えられなかった、と振り返ります。

第6回は、精神疾患でアルコールに溺れる母親、無関心な父、ヤングケアラー、虐待、親の離婚とさまざまな経験をした子ども時代を時代を振り返り、してもらいたかったことをつづります。

※本作品には、一部虐待描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。

「福祉は申請主義。基本的にこちらから申し出なければ動いてはくれない。何をどう利用できるのか知らない方のほうが多い」

ドラマ『リエゾン こどものこころ診療所』(テレビ朝日系)の第5話、「ヤングケアラー」がテーマの回でのセリフだ。

Twitterでは、共感する多くの声が挙がった。私自身、頷くだけでは物足りないほど共感した。

どんなに困窮していても、自分が動かなければ救いの手は差し伸べられない。福祉の申請以前に、福祉の選択にすらたどり着けない人も大勢いる。

親に頼れない子どもが自ら助けを求めるのは難しい

暗い場所に、膝を抱えて、顔を膝にうずめてうずくまっている子どもの銅像がある。
Photo by K. Mitch Hodge on Unsplash

精神疾患でアルコールに溺れる母親、無関心な父、ヤングケアラー、虐待、親の離婚...…幼少期、いろいろな要素が複雑に絡み合った環境で育った。

周りに頼れる大人がいない子どもに、何かできることはあるのだろうか。何かの折にふと振り返っては、答えが出ずに悶々とする。

大人になった今でも、どうするべきだったかわからない。

学校の先生に相談すればよかった?「24時間子供SOSダイヤル」に電話すればよかった?

そんなことできなかった。あのときは、苦しみながらも母が「悪者」にされるのが怖かったのだ。家のことを他人にバラすことでまた暴力を振るわれる可能性があったし、母との間に二度と埋めることのできない溝ができてしまうと思い込んでいた。

何より、家で母親が酒を飲んでずっと寝ていることも、暴力を振るわれることも、小学生に酒を買いに行かせることも、他の家とそこまでの差があるとは思っていなかった。

親に頼れない子どもが自ら助けを求めることは、難しい。

肩の荷をおろし、安心できる居場所がほしかった

令和3年度、児童相談所での児童虐待相談件数は20万件を超えた。過去最高件数だという。

認知されているだけでも20万件。

傷やアザがあったり、服が汚れていたり、お風呂に入っている様子がなかったり、目に見える問題があれば虐待は発見されやすいが、一見して家庭に問題があることがわからない子どももいる。表面化していない虐待を含めたら一体どれほどの件数になるのだろうか。

周囲の大人に認知されない、自ら助けを求めることのできない子どもはどう生きているんだろう。

周囲の大人たちが気付かなければ、子どもたちの苦しみはないものになってしまう。

虐待と言ってもさまざまなケースがあり、どんな支援が必要か一概には言えないけれど、あのときの私が一番ほしかったものはなんだろうか。

部屋の中で椅子に座っている母親と赤ちゃん。母親は離乳食のスプーンとアヒルのおもちゃを、左右の手にそれぞれ持ち、赤ちゃんは両手を伸ばしている。
Photo by Tanaphong Toochinda on Unsplash

まず、否定も肯定もしないで、話を聞いてほしかった。母に殴られてつらいこと、家ではいつも緊張していること、笑顔がなくなっていく兄が心配なこと、一人では抱え切れないことを誰かに話したかった。

でも「あなたのお母さんはヒドイね」と否定されるのも、「お母さんも大変なのかもしれないから優しくしてあげようね」と肯定されるのも、嫌だった。子どもながらに「ジドウソウダンジョ」の存在は知っていたから、そういった措置を講じられるのも恐怖だった。ただ、肩の荷をおろし、安心できる居場所がほしかっただけなのだ。

問題を抱える多くの子どもは孤立している。大人に打ち明けても、状況が好転する未来は想像できない。それどころか良くないことが起こるとしか思えず、事実をひた隠しにしてしまうことも少なくない。事実、私はそうだった。何度か教師や周囲の大人から「困っていることない?」と聞かれることはあったが、「大丈夫です」と答えていた。

たいていの大人は、それ以上深入りしてこない。急を要するケースでない限り、そこで諦めてしまう。子どもは大事にならなかったことに安心する一方で、少しずつ諦めていく。

50万円を手渡され、「母親から離れた方がいい」と言われて

大学生3年生のころ、バイトしていた飲食店のオーナーから「母親から離れた方がいい」と助言されたことがある。自身の親子関係を他人に話すのも、意見をもらうのもこれが初めてのことだった。そういう選択肢を考えていいのかと、心の隅にずっと残っていた言葉だ。

隠し続けていた家庭環境のことを、「バイト先のオーナー」という、関係性が近しくない他人に話さざるを得なくなった理由がある。

大学の学費を払うことができず、オーナーから50万円を借金したからだった。事情を話すこと、借用書を書くこと、教育ローンの申請をして50万円を返済することを条件にお金を借りたのだった。

奨学金は生活費や酒代に補填されることも多く、自分のアルバイトだけではまかなえなかった。「今日中に学費を納めなければ除籍になります」と電話で言われた当日、もうどうすることもできず、私はあきらめて、ふらふらとアルバイトしていた飲食店まで歩いた。

開店の準備中だったオーナーに、「大学を辞めるのでシフト多めに入れてください」と伝えた。

オーナーに「なんで辞めるの?」と聞かれ、「学費を納められない」と事情を話した。借金をするつもりなんて毛頭なかったが、話を聞いてほしい気持ちは少しだけあったのかもしれない。

オーナーは黙って話を聞いたあと、「ちょっと待ってて」と言い、店を出て行った。戻ってくると、厚みのある封筒を私に差し出した。「ずっと一緒に働いてるから、俺がどんな思いで貯めた50万かわかるよな?」と言いながら。

Photo by Brigitte Tohm on Unsplash

想像していなかった展開に混乱しつつも、黙って頷いた。小さな個人店を、一人で切り盛りしていたオーナーの年齢は、今の私と同じ30代前半だった。一介のアルバイトに、ポンと出せる金額ではないことは重々承知している。

ありがとうございます、と絞り出した声はちゃんと届いていただろうか。

ありがたさと恥ずかしさと、情けなさと、申し訳なさと、いろんな感情でぐちゃぐちゃになりながら、50万円を握りしめて銀行に走った。

後日、兄に保証人を頼み教育ローンを申請、借金を返済した。そのときオーナーは、私が捺印した借用書を破りながら、「親と離れた方がいい、人生奪われちゃうよ」と言ったのだった。

「孤立」は心を蝕む

自分の身の上を話す経験を多くしてこなかったため、33歳になった今でも、過去のことを口に出すと手が震える。恐怖を感じているわけでも、悲しみがぶり返しているわけでもないと思うのだが、気付くと手が震えてしまう。

ただ、初めて夫に打ち明けたとき、自分の過去を共有できたからか、肩がフッと軽くなったことを覚えている。

「なんだ、話を聞いてもらうだけでもこんなに楽になるのか」と、大きな発見をした気持ちになった。話す相手は夫でも友達でも上司でも専門家でも、誰でもいい。心理的安全性を持って話ができる人間関係は救いになる。

このエッセイを書くにあたり編集者さんにも話したし、先日初めて行った精神科の臨床心理士にも話した。相変わらず手は震えるけれど、話すごとに震えが小さくなってきている気がする。

「孤立」は、心理的な不安、恐怖を増幅させ、心を蝕む。
大人が子どもにできることは、孤立させないことだと思う。子ども自身が身近にどんな支援があるのかを知り、気軽にアクセスできるようになることが必要だ。

たとえば、さいたま市には子どもたちの居場所づくりや学習支援をしている団体がある。NPO法人「さいたまユースサポートネット」もその一つだ。

元教員の青砥あおとやすし氏が代表をつとめ、無料の学習塾や誰でも参加できる交流の場の運営という形で、貧困や不登校、家庭に問題を抱える子どもたちを支えている。

社会福祉士などの専門家や、教員を目指す大学生のボランティアなどがいるらしい。こういった大人たちと関わるのは、子どもたちにとって大切なことだと思う。

私は高校3年生のとき大学に行くことを決めたが、経済的に塾に通うことができず、学校の図書館で毎日勉強していた。

休日や大型連休は往復1時間かかる近所の図書館に歩いて通った。図書館の閉館後や休館日は自宅で勉強するしかなく、母が酒を飲みながらテレビを見ている横で、耳栓をして勉強した。

無料の学習支援をしているNPOがあることを学生時代は知らなかったが、誰かに相談していたら紹介してもらえていたのかもな、とふと考える。

自分が動かなければ、救いの手が差し伸べられないのが今の日本だ。だが振り返ると、恥を忍んで自分の思いを吐き出したとき、新たな道筋が見えてきたのも確かだった。

フジイさんの似顔絵イラスト

フジイ
フリーライター。30歳を過ぎて脱サラ、文章を書き始めました。
Twitter: @fuji19900211

編集:遠藤光太(parquet)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?