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【まとめ】2022年3月28日〜4月2日のはふりこと

はふりめく 165話より 2017年7月14日

精神と物質の有効な関係を保つ為の気、イデアといいますか、精神と物質を統合するものを、霊、結合エネルギーと呼んでいます。円滑な精神、すなわち五魂と体がうまく共振・共鳴・同調すると、安定したものになるわけです

はふりめく 166話より 2017年7月18日

毎日お祓いをあげています。「祓いに始まり、祓いに終わる」と白川では言うのですが、一つ一つの祓いが最小単位から出来上がっています

天津罪、国津罪にしろ、そういうものを祓うということです。基本的に、はじめの「とほかみえみため」から、それぞれの役割と意味はあるのですが、要するにそれを最小単位でもって行うということです

丁寧に一音一音を確認しながら、お祓いをあげることが大事なことになります

数と言葉というものの両方でもって、一つのマトリクスを形成して、それを最小単位として表明するということです

はふりめく 167話より 2017年7月19日

生命のデザインには顕と幽があります

神様という存在を我々は手というか、全身に迎えるわけですね。その所作が神拝作法です

神が榊に宿るわけですが、手を榊の形のようにして迎えていきます

後手(うしろで)で自分に拍手を打つのは、遠津御祖神様を自己と一体となって迎えているというわけです

感情のトレーニングがないと、結局、人間関係は上手くいきません

本当にこの手に、この身に神様を迎えた。そういう境地が出てきます

はふりめく 168話より 2017年7月20日

「豊葦原の瑞穂国」(とよあしはらのみずほのくに)というものは、豊葦原と瑞穂が重なって、ということです

日本の国というものは、葦の原っぱだったというわけですが、それは縄文時代から形造られていました

水というものは、川が流れる時に温まるということです。沼地で更に温められて、それが稲穂に一番良い生育状況になるわけです

はふりめく 169話より 2017年7月21日

最初の『祓う』という動機は、自分で積極的に願うことがあるから祓う、ということがあります。最初はそれで良いと思います

お祓いは、何回あげても真新しく感じるものです。何千回、何万回唱えても新鮮なものです

お祓いを漫然とやったらいけません。江戸時代から口祝詞(くちのりと)だといけませんよと、注意されています

自分の声は脳の中にも響かせていますが、外から耳にも聞こえてきます。声は自己客観視の最たるものです。言葉から自己を知ることが出来る、その声に自分で共振してみる。また、一緒にあげていると、みんなと自分の中で共にやろうという協調・共鳴という現象が起こるわけです

自然を見たら、全ては神だという自覚があって当たり前のことです

言語というものの最小単位が神だと言ってもいいのですが、そうしないと、最終的には人間の言語を使った文明というものは成立しません

言語を使う文明は必ず、言語を解明しないと解決しないということになります。いよいよ、そのことの始まりなのです。言霊という全てを繋ぐ働きが存在するという、その解明が今、始まったということです

祓いの詞を通じて一つ一つあげていく内に、大量の神情報に触れ、掴むことが可能になる、ということをやっているわけです

はふりめく 170話より 2017年7月24日

神代(かみしろ)は神の働きを受ける役です。それが何の神のお働きなのかを調べる役が審神者(さにわ)です

四つの魂が広がって、人間の魂も完成して、また戻ってくる為に荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)、精魂(くわしみたま)という五魂があります

一番能力を発揮する状態が出来ることを、鎮魂ということによって確認する。そういう働きがあるということです


以下URLより、最新の「はふりこと」をご覧いただけます
https://twitter.com/hafurikoto


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