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【まとめ】2022年1月24日〜1月29日のはふりこと

はふりめく 110話より 2017年5月1日

大祓の中で『大船の舳艫(ともべ)の綱を解放ち 大海原へ押放つ如く』とあるように、大海原に出ていくという場面になっています

(祝殿には)剣、鏡、玉という三種の神器が置いてあるわけですが、そういう器の教えのところが神の造化の船出なのです

白川学館は、この三種の神器の意味と使用法の研究所ということになっています

この四種の祓いの中に、三種の神器の精神が全て説かれているわけです

知識と文化を精神伝承として伝えることが出来るということが、稀有な、人間として大切な権能といいますか、その働きというものを鏡によって知らされているのです

玉は自分自身そのものという意味です

剣は映った後の五十音、言霊百神を用いて現実を切り開いていくということです

はふりめく 111話より 2017年5月2日

白川のご修行というものは後ろからお祓いをかけてもらうということがあります。白川は、審神者(さにわ)が受ける人の後ろからお祓いをかけます

背筋を伸ばしていくと背中がまっすぐになりますが、出来るだけ背中を意識してお祓いをあげていくということは、健康にも非常に大事なことになります

お祓いも、自分のお祓いを『底津海津見神 底筒男命 中津海津見神 中筒男命 上津玉積神 上筒男命』というようにかけていくということです

はふりめく 112話より 2017年5月8日

私は、守破離(しゅはり)に「環」を加えています。戻ってくるという意味です。守破離環という、循環してくるということがお祓いであります

沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)ではないですが、宇宙を映す鏡と地を映す鏡の両方を携えて見なければいけませんし、一方では等身大の鏡と言いますか、自分自身が過大、過小ではなく正確に、そのままに映る平面鏡で自分自身を等身大で見るということが大切なのではないかと思います

皆様それぞれの持っているミッション、役割をしっかりと受け止めて、一つ一つ丁寧に実現していくことが大切です

はふりめく 113話より 2017年5月9日

苦行というものは、あまり役に立たないということが昔からわかっていたのではないのかと

自分以外の人や物というものが自分よりも優れていれば、それは全て神ということは、日本神道の伝統でもあるわけです

神を迎えるということは、自分以上の能力を持つ存在ということで、その存在の迎え方があるわけです。その神を迎える方法が分かり、迎えられれば、能力を発揮することが出来ます

神様を迎える方法論と言った時、誰でも均等に迎えられないといけない。ちゃんと手続きを踏んで、システム科学という呼び方を現代ではしていますが、神を迎えられるということが、イコール能力の開発に繋がるという時が来たということです

一人ひとりの魂というものはみんな同じなのですね。宇宙はある面では一人なのです。みんなは一人一人、一つ一つ違うのだけれども、同じなのです。それが平等観というところに入るわけです

一人ひとりの魂が違うものとして混ぜてしまうと、「まじものせる罪」となります

霊というものの働きを祓わなければいけません

神と我とが一体となることによって得た能力は本当に強い。多神教でもありますから、それぞれの働きの神を迎えればいいのですね。知恵を得るのであれば久久能智神(くくのちのかみ)、正しい結論を得ようということであれば八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)など

霊は憑依されるばかりではなく、自分が憑依することが起こることが、また大きな問題です。祓いというものは、まさにその問題を解決する方法です

はふりめく 114話より 2017年5月11日

アナログ的にお祓いをしていると、その時その時の最適解が出てくるわけです

要するに、問いがあって答えがあるわけです

人が何気なく言ったことであったり、本などを読んで解答が得られるということがあります

神を迎えるということは、何もワーッと凄いエネルギーが降ってきて、光に満ちた状態になる、ということだけではなくて、自分が今必要な最適解を得る為の問いであって、答えがあるということでもあります

自分自身に問いがないと、なかなか(答えは)帰ってきません

自己が他者と同じような命の存在であることを自覚したり、創造者としての神という存在に、自分を合わせていく階梯ということが、一つの悟りですね

我々は自分以外の存在、地球、あるいは宇宙にある存在をどのように把握するかということが、一つの悟りといいますか、悟りを掴んでいるということになります

自己自身の主体としての主張は当然のことながら、宇宙という存在と、自分というものの主体を平等に見る、存在を平等に見ることが出来るかどうかが、生きる上での一つの指標になります

はふりめく 115話より 2017年5月5日

白川では第十種と言って、呼吸を与えられた時から命だという捉え方があります

心豊かな子どもに育てるということが大事なことです。それは情緒を大事にするということですから、芸術や音楽を大切にするということです

情操、感情を豊かにしていくということが伝統、文化にありますから、それを学んで頂くということが非常に大事なところではないのかと思います


以下URLより、最新の「はふりこと」をご覧いただけますhttps://twitter.com/hafurikoto


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