【朗読】デジタルの中に見る”美”の価値〜4月23日 はふりめく〜
講 話:一般社団法人 白川学館代表理事 七沢賢治 要約編集:Parole編集部 文責 大野靖志
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Q. 最近の『はふりめく』では宇宙、神といった世界を科学的に説明してくださっているが、そのような世界を他の方法で表現することはできるのか。そのあたりの点についてお伺いしたい。
A.
19世紀の日本に科学や哲学が入ってきた時、西周(にし あまね)はそれらを日本の学問のなかにどう取り入れていくかということを検討していたことがあった。欧米には「リベラルアーツ」といって、数学、科学、哲学、文学といった分野のほか、音楽や美術などの芸術も含めて、高度な教養を総合的に修得するための学問が成立していた。そうした西洋的な学問の系譜がある中で、日本に合ったかたちで新しい学問をどう組み込んでいくかということは、当時、きわめて重要な課題であっただろう。
ただ、その中でも音楽や美術は、他の学問と比べても、やや違った景色のものとしてあったのではないかと思う。
歴史を振り返ってみれば、東洋、とりわけ日本においては、西洋に先んじて自然というものがごく当たり前に絵画のなかに描かれてきた。一方の西洋では、もともと神話の世界にあったものが哲学、また倫理・道徳となり芸術へと昇華したといった背景もある。
そのように考えると、人間が美しいものや心地よく感じられるものに価値を置くというのは当然のことで、それは「人類の遺産」と呼べるほどに尊きものであると思う。
そうした中で我々は、たとえば「和音」といって、皆で祓いをあげているうちに、声と声が調和して重なり合うことで、最高の響きになるということを随分と研究してきたし、ここ電子祝殿ということでいえば、一流の建築家とアーティストのもと、細部の設計に美的にも配慮して完成したものである。さらに電子祝殿の内部には、隕鉄という稀少な材によってできた最高峰の御神体もある。
ではなぜ、我々がこのようなことに取り組んでいるのかというと、科学として整然としているということが、美しい、心地よいといった感覚につながると考えているからである。さらにそのような境地は最終的に、真理の世界へーー神の創造意志といったところに至ると考えている。すなわち宇宙の根源神である造化三神の創造意志のなかには予め、「美」というものが組み込まれていたのだと。
数学者であった岡潔も「数学とは情緒である」という言葉を残しているように、数理の世界で洗練され、高度に高められたものは、やはり情緒にも訴えかけてくるものなのであろう。
そのような意味でも、先般、数学界で受理された望月教授の『IUT理論』は、科学の分野から自然、人文、社会というものをアナロジーで見ることができるようになったということで、これは非常に大きな成果であると思う。
現代の社会では、デジタルがある面ではアナログの中で感じられる美しさや心地よさといったものを目指し、またそれを再現していくということが重要な部分になろうかと思う。要するに、その時代に合った美の基準や心地よさというものがあるということを考えれば、今はデジタルナレッジを中心とした社会の中で、デジタルの中に"美"を感じられることが、ひとつのテーマであると考えられるのだ。美は品位、品格という言葉に置き換えられることもできよう。
そして、この地球に生きる人々が、そのような品位ある装置や機器に触れることで「足りたる=満足する」といった境地に至ることができれば、世界のあらゆる問題は解決へと向かうだろう。
・・・・・・・・・・
【七沢賢治プロフィール】
1947年 山梨県甲府市生まれ。早稲田大学卒業。大正大学大学院文学研究科博士課程修了。伝統医療研究、哲学研究、知識の模式化を土台とした情報処理システムの開発者、宗教学研究者。
言語エネルギーのデジタル化による次世代システムの開発に携わる一方、平安中期より幕末まで白川伯王家によって執り行われた宮中祭祀や神祇文化継承のための研究機関である一般社団法人白川学館を再建。現在、同学館代表理事、株式会社ラボラトリオ 代表取締役などを務めている。
『なぜ、日本人はうまくいくのか? 日本語と日本文化に内在された知識模式化技術』(文芸社)、『神道から観たヘブライ研究三部書』(小笠原孝次著/七沢賢治監修)、『龍宮の乙姫と浦島太郎』(小笠原孝次・七沢賢治共著)など、監修書・著書多数。
A.
19世紀の日本に科学や哲学が入ってきた時、西周(にし あまね)はそれらを日本の学問のなかにどう取り入れていくかということを検討していたことがあった。欧米には「リベラルアーツ」といって、数学、科学、哲学、文学といった分野のほか、音楽や美術などの芸術も含めて、高度な教養を総合的に修得するための学問が成立していた。そうした西洋的な学問の系譜がある中で、日本に合ったかたちで新しい学問をどう組み込んでいくかということは、当時、きわめて重要な課題であっただろう。
ただ、その中でも音楽や美術は、他の学問と比べても、やや違った景色のものとしてあったのではないかと思う。
歴史を振り返ってみれば、東洋、とりわけ日本においては、西洋に先んじて自然というものがごく当たり前に絵画のなかに描かれてきた。一方の西洋では、もともと神話の世界にあったものが哲学、また倫理・道徳となり芸術へと昇華したといった背景もある。
そのように考えると、人間が美しいものや心地よく感じられるものに価値を置くというのは当然のことで、それは「人類の遺産」と呼べるほどに尊きものであると思う。
そうした中で我々は、たとえば「和音」といって、皆で祓いをあげているうちに、声と声が調和して重なり合うことで、最高の響きになるということを随分と研究してきたし、ここ電子祝殿ということでいえば、一流の建築家とアーティストのもと、細部の設計に美的にも配慮して完成したものである。さらに電子祝殿の内部には、隕鉄という稀少な材によってできた最高峰の御神体もある。
ではなぜ、我々がこのようなことに取り組んでいるのかというと、科学として整然としているということが、美しい、心地よいといった感覚につながると考えているからである。さらにそのような境地は最終的に、真理の世界へーー神の創造意志といったところに至ると考えている。すなわち宇宙の根源神である造化三神の創造意志のなかには予め、「美」というものが組み込まれていたのだと。
数学者であった岡潔も「数学とは情緒である」という言葉を残しているように、数理の世界で洗練され、高度に高められたものは、やはり情緒にも訴えかけてくるものなのであろう。
そのような意味でも、先般、数学界で受理された望月教授の『IUT理論』は、科学の分野から自然、人文、社会というものをアナロジーで見ることができるようになったということで、これは非常に大きな成果であると思う。
現代の社会では、デジタルがある面ではアナログの中で感じられる美しさや心地よさといったものを目指し、またそれを再現していくということが重要な部分になろうかと思う。要するに、その時代に合った美の基準や心地よさというものがあるということを考えれば、今はデジタルナレッジを中心とした社会の中で、デジタルの中に"美"を感じられることが、ひとつのテーマであると考えられるのだ。美は品位、品格という言葉に置き換えられることもできよう。
そして、この地球に生きる人々が、そのような品位ある装置や機器に触れることで「足りたる=満足する」といった境地に至ることができれば、世界のあらゆる問題は解決へと向かうだろう。
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【七沢賢治プロフィール】
1947年 山梨県甲府市生まれ。早稲田大学卒業。大正大学大学院文学研究科博士課程修了。伝統医療研究、哲学研究、知識の模式化を土台とした情報処理システムの開発者、宗教学研究者。
言語エネルギーのデジタル化による次世代システムの開発に携わる一方、平安中期より幕末まで白川伯王家によって執り行われた宮中祭祀や神祇文化継承のための研究機関である一般社団法人白川学館を再建。現在、同学館代表理事、株式会社ラボラトリオ 代表取締役などを務めている。
『なぜ、日本人はうまくいくのか? 日本語と日本文化に内在された知識模式化技術』(文芸社)、『神道から観たヘブライ研究三部書』(小笠原孝次著/七沢賢治監修)、『龍宮の乙姫と浦島太郎』(小笠原孝次・七沢賢治共著)など、監修書・著書多数。
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