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日本という、このすばらしい国 その14

執筆:ラボラトリオ研究員 杉山 彰

古墳時代、飛鳥時代、奈良時代になると、こんどは中国大陸ばかりではなく、朝鮮半島や、東南アジアや、ポリネシア諸島などから、さらに多くの人たちが難民として、漂流民として、さらには招聘したかたちで、渡来してきました。漢人、満人、百済人、新羅人、高句麗人、ポリネシア人、そして遠くはシルクロードの西の玄関口からペルシャ人、トルコ人、景教徒人(ユダヤ人)まで渡来してきました。

日本書紀において、5世紀の後半に渡来してきた人たちを「今来(いまき)」と呼び、5世紀以前に渡来してきた人たちを「古渡(こわたり)」と区別して記述している箇所が多々あります。唐の首都である長安が国際都市としてそうであったように、陸のシルクロードや海のシルクロードを介して集まってきた、ありとあらゆる民族が海を渡って日本列島に渡来してきたのです。

もちろん、文化文明をあらわす数々の書物や宗教や芸術品も一緒に持ち込まれました。奈良の正倉院に残されている数々の宝物を見れば、その事実はあきらかです。渡来人の流入は、その後、飽和状態になり、だんだん減少していきましたが、書物などの輸入は引き続き盛んに行われていました。史実によれば、日本からは様々な工芸品や貴金属が大量に輸出されていましたが、日本に輸入されるものの大部分は書物などの芸術品(書や絵画や陶磁器や掛け軸)であり、宋銭などの貨幣でした。

中国大陸から伝来した漢字を我が国の「話し言葉」と融合させ、「ひらがな」や「カタカナ」を発明し、独自の文明文化として消化していった日本という国は、平安時代の頃には優雅な貴族社会を築き上げ、和歌や日記や小説などを書き著し、写本し、頒布しあっていた、いわば「知識社会」そのものともいえる国家を形成していました。岸俊男氏の編集による「日本の古代14(ことばと文字)」をご覧になれば、「知識社会」であり「漢字文明文化社会」であった日本の古代社会の実態は、驚くべきものがあります。

そして遣唐使が廃止(西暦894年)されたあたりから、人種のるつぼと化していった日本列島は、徐々に飽和しはじめます。平安時代から室町時代鎌倉時代、そして戦国時代を経て徳川幕府の鎖国に至り、飽和、過飽和の状態遷移を経て、やがて明治時代を迎えます。明治時代にいたって、時代そのものが相転移したと言えるのです。要するに、私たち日本人は、本来は、単一民族国家でも単一言語国家でもないのです。

縄文の時代から、それこそ世界中の民族を受け入れ、そして世界中の文化文明を取りこんできた民族です。いわば大混血民族といえます。漢字という難解な文字を取りこみ、「ひらがな」や「カタカナ」という独自の文字を発明しました。そしてその文字の発明により、我が国の独特の文明文化が芽生え、花開き、結実したのではないでしょうか。

では、その基底にあったものは何でしょうか? それは日本列島という四方八方を海に囲まれ、高温多湿なモンスーン気候の中で春夏秋冬の四季に恵まれ、照葉樹林や落葉広葉樹林が混在する「森」をいたわり、そして同時に地震や台風や豪雨や洪水、さらには火山爆発という自然災害と背中合わせの脅威に身をさらされていたことにより培われた、自然を畏れ、そして同時に自然を敬う文明文化ではなかったのでしょうか。その文明文化を「神道」というか、「多神教」というか、という議論は棚上げにしたいと思います。本シリーズで論じることはおいておきます。

そうではなく、むしろ私たち日本人が、単一民族国家であり、単一言語国家であるとする思い違いこそが大きな問題である、という問題提起をしたいと思っています。21世紀社会は、知識社会であると同時に、インターネット社会を基盤とする地球規模の国際社会を築き上げていくことが不可欠になろうとしています。

言うまでもなくインターネット社会はPeer to Peer社会であり、一つのPeer(個)が全体のPeer(個)であり、全体のPeer(個)が一つのPeer(個)として成立する「部分と全体」の共生共存社会です。グローカリゼーション社会とも呼ばれています。"グローカリゼーション"とは、グローバルとローカルを組み合わせた造語で、多民族、多文化、多言語、多宗教であることを肯定し、そのうえで共生共存社会を構築していこうとする考え方です。縄文人が渡来してきた難民の人たちのすべてを受け入れ、拒絶するのではなく活力として取りこんでいき、結果的に、さまざまな異文化も含め、新しい血を日本列島の風土に溶け込ませていった生き方が参考にできるのではないかという気がします。(つづく)

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【杉山 彰(すぎやま あきら)プロフィール】

◎立命館大学 産業社会学部卒
 1974年、(株)タイムにコピーライターとして入社。
 以後(株)タイムに10年間勤務した後、杉山彰事務所を主宰。
 1990年、株式会社 JCN研究所を設立
 1993年、株式会社CSK関連会社 
 日本レジホンシステムズ(ナレッジモデリング株式会社の前身)と
 マーケティング顧問契約を締結
 ※この時期に、七沢先生との知遇を得て、現在に至る。
 1995年、松下電器産業(株)開発本部・映像音響情報研究所の
 コンセプトメーカーとして顧問契約(技術支援業務契約)を締結。
 2010年、株式会社 JCN研究所を休眠、現在に至る。

◎〈作成論文&レポート〉
 ・「マトリックス・マネージメント」
 ・「オープンマインド・ヒューマン・ネットワーキング」
 ・「コンピュータの中の日本語」
 ・「新・遺伝的アルゴリズム論」
 ・「知識社会におけるヒューマンネットワーキング経営の在り方」
 ・「人間と夢」 等

◎〈開発システム〉
 ・コンピュータにおける日本語処理機能としての
  カナ漢字置換装置・JCN〈愛(ai)〉
 ・置換アルゴリズムの応用システム「TAO/TIME認証システム」
 ・TAO時計装置

◎〈出願特許〉
 ・「カナ漢字自動置換システム」
 ・「新・遺伝的アルゴリズムによる、漢字混じり文章生成装置」
 ・「アナログ計時とディジタル計時と絶対時間を同時共時に
   計測表示できるTAO時計装置」
 ・「音符システムを活用した、新・中間言語アルゴリズム」
 ・「時間軸をキーデータとする、システム辞書の生成方法」
 ・「利用履歴データをID化した、新・ファイル管理システム」等

◎〈取得特許〉
 「TAO時計装置」(米国特許)、
 「TAO・TIME認証システム」(国際特許) 等

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