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【まとめ】2021年11月1日〜11月6日のはふりこと

はふりめく 35話より 2017年1月12日

人の仕事というものも、自分が一生懸命やっていると思うと、相手がやっていないように思える面があります。そのような言い方から見れば、慢心するということは、自分がフルに働いていると考えているということになります

人間が全力を尽くしてやるということの中には、なるべくそこに神の働く余地というか、神という世界の、知らない世界があるのではないかと捉えることです

慢心しないということは、自分の仕事を最大限にやっていると思って相手を見ると、全然やっていないと認識するわけです。そうすると起こるのは非難ということが起こります。そういう情緒が働き出すわけです

そういう時には、一回一回必ず罪・咎を解消する大祓をあげるわけです

白川が慢心しないというように、たったひとつだけ残っていたものです。十戒ではなく、一戒ですね(笑)

僕がいつも言うのは、存在しているということだけでも凄いことなんだということです

存在していることが大事です。その時に出会った時に、相手から見れば一番必要な人、一番関わりの深い人が出会っているのですが、それは奇跡です

そこに来て頂けただけで、まず有り難いという想いをもって、対応するということが大切な境地だと思うのです

今、身の周りにある奇跡というか、有り難さに感謝するというか、徳と恩に感謝するということを、まずは考えながら生きるということをして頂くと、円滑な人間関係というものが築けると思います

はふりめく 36話より 2017年1月13日

直近の遠津御祖神というと、父と母になります。その父母がいなければ自分がいないわけですから、どうにもこれは避けることが出来ないことです

生きている間に喧嘩したりしていたら、解消したほうが良いわけです。そういう勢いで和解すると、白川の教えというのは非常に進みますので、是非とも、それはやって頂きたいなということであります

各家というものに興味を持つことによって、自分の中にそういう精神遺伝子といいますか、記憶がありますので、それをしっかりと省みるということです。自分自身の問題でもありますから、それを尊い命の繋がりとして捉えるということをして頂くと非常に良いのではないのかなということを感じています

遠津御祖神と一体となると、とてつもないエネルギーが出てくるということが分かります

一体となる所作があるわけですから、あとは気持ちですね。そういうものを掴んで頂くと、非常に有意義な御修行、七種になるのではないかなと思います

はふりめく 37話より 2017年1月13日

お祓いと御修行というところに、一番の学びのポイントがありますが、ただ、どこにもちゃんと伝わっていないということがあります。もちろん、口伝で伝わってきたものなので、文書の中にも残っていません

高濱先生から、甲府で守るように、引き継ぐように、ということが遺言であったわけです。先生が最後の責任者であったので、その通りにいたしております

白川学館というものが、何か混合してやるような意図は全くございません。白川に伝わってきた中身を変えるようなことは一切いたしません。そのあたりが非常に大事なところです

しっかりと知の階層でも押さえておく。そして、それがどの世界に行っても堂々と表現出来る。その一方で大事なことが、僕は芸術だと思います

世界のあらゆる方法、歌や宗教音楽でもいいのですが、そのようなものを超えていけるくらいの美しい音色の世界にいく。そして、その音色が精神を治し、あるいは芸術として認められるような中身になる

さらに美しい音色になっていくということです。アナログ的な意味で言うと、それが大きな我々の意識の進化というところにあたるのではないかと思います

はふりめく 38話より 2017年1月16日

我々は今、こういうような形で社会と関わりたい、という一種の意志表示をしなければいけないと思います

基本的に我々は、より速い時間の使い方、時間の捉え方を持つということです。そういう観点から事業を見てみることも必要ではないのかと思います

仕事は、その瞬間に中今と自分(一人称、二人称、三人称、複合一人称)を理解しながら、意識というものを拡げていくという、一つの自覚を持ちながらやるということがあります

はふりめく 39話より 2017年1月17日

悩みが出たりしたときは、大祓、祓いによって、清めるということをするわけです

祓いに始まり祓いに終わるというように、ただ祓いだけなんです。なぜ、そんなことをやるのかというと、そういう魂というか、精神というか、それを自分自身が確立していく方法ということになるのであって、別に神様を信仰しろと言っているわけではない

声に出しては色々な神様の名前を言っていますが、別に信仰しなくたって全然いいわけであって。誤解ないようにして頂きたいところがあるというように思います

はふりめく 40話より 2017年1月18日

基本的には、お祓いをして、お祓いの中から、もし何かどうしても知りたい問いがあれば、答えが帰ってくるという、一種コンピューターのような世界があります。それを自分で掴む、そういうことが可能になります

単純な問いは、知という中で解決していくわけです。自分の手に負えないような問題があるとしたら、それはそういう答えが帰ってくる、時間が若干かかるかもしれませんが・・・。そういうものが祓いの中から、祓いをしている最中にパッと分かるようになるのです

みんながやってきた知識や技術や、仕事の個人としてやってきていることを、一種の固有の技術や固有の知識というものがたくさん開発されたり、実践されてきた蓄積があるわけです。それを共有の知識にするということが、知識社会の有り様になるんです

共有知識にするには、やった人から、開発した人から、学ばなければいけない訳です

以下URLより、最新の「はふりこと」をご覧いただけますhttps://twitter.com/hafurikoto

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