小川横の修道院・・ヨーロッパ放浪記(6)

山上(ιούχτας – Giouchtas(MountJuktas)のギリシア正教会で静かに感動しているのを察知したのか、彼女が是非見せたい教会があると言って連れて行ってくれた。その教会は、(MountJuktas)の麓の村の奥にある。
途中彼女が、歩いていた地元の少女に何か尋ねた。ギリシア語でペラペラ話すふたりがカッコよかった。
彼女は、ギリシア人と結婚してクレタ島に30年以上住んでいるから、ギリシア語が話せるのは当然であろうが。
少女は、「もう夕方遅いから教会は閉まっているでしょう」とのこと。
直ぐに、その教会に着いた。”METOXION・・・(ギリシア語)”ネームプレートがあった。山奥の、小川の直ぐ横にある。小川は、自然のままの姿である。
彼女は、小川の手前の野原に生えている雑草を指指して「これ食べられるのよ」と。摘まんで食べてみた。確かに、えぐみも渋味もない。
少女の言う通り、教会の門は閉まっていた。
この教会の前に立った時、タイムスリップした。50-60年前の日本の地方の田舎は、こんな感じだった。
父の実家には、此処によく似た小川があって、引用水も食器洗いも洗濯も、みんなその小川だった。雨の日も雪の日も台風の日も、唯一の水源だった、その小川に通った。「おばあさんは川に洗濯に行き・・」という童話の世界そのまま。
彼女に言った「この教会の修道士さんたちも昔は、この小川で洗いものしてたと思いますよ」と。今でもしてるかもしれない。小川の石が、丁度いい洗い場になるように組んであったから。それで、父の田舎を想起した。
自然の中で生活しながら、祈りの生活をする修道士の生活を思った。何故か胸がワクワクした。夕方の淡い光の中、爽やかな山の冷気が、よけいに、そう感じさせたのかもしれない。

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