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贋作天皇

私は書いている。わけもわからず書いている。報酬を受け取ったことはないのに、文字を乞われている。文字を口から吐いて指に巻き付けて、液晶に一文字一バイト打ち込んでいく。私が書いて喜んでくれる人がいる。目には見えないけど私の一文字一文字で明日を左右する人すらいる。でも私はそれに気づかない。気づかないまま文字を打ち続ける。

夢の中で私の言葉を身に纏った王様がいる。王様は迷える子羊を従えて、王国を作っている。王様はかつて一介の日本国民だったが、森の陰にびわや、袖の中にとかげや、藪の中にさるすべりを見つけるのが巧かった。かつての王様は夜の闇でアメーバや蛇とかうじゃうじゃ湧いている中で、一筋の光を見つけた。その光を現実化するまでに15年かかった。15年の間に、余計なものができた。それが彼の作った王国だった。

王国は私の嘘で建設された蜃気楼だった。私が虚栄を貼って一人遊びしていると、王国が商売を切り盛りし始める。私が現実に邁進していると、王国に閑古鳥が鳴く。そのサイクルを知ってから、私はバイトを辞めて王国に全身全霊をつぎ込んだ。王様は私に恋をしていた。私は王様の期待に応えないといけないと思っていた。

しかし夢を見るようになった。王様が玉砕する夢を。王様が私に恋をしているようでは、民のためにならないと思うようになった。しかしなすすべはない。私は書くことしかできない。書いたことをそのまま王様は採用するわけではない。もう何もしなくていいよ、ということなのだろうか。しかし退職金はどのように支払われるのだろうか。

王様は天皇と同等の人間だった。王様は天皇だった。しかし贋作天皇だった。つまり私が作った。王様は「僕のことみんなは天皇だと思っているけど、実は僕以外にも天皇っているんだよ。僕はその人を尊重しないといけない」と、私の日常の瞬間瞬間の隙間で漏らしていた。王様は天皇ということになっているが、王様も天皇をやってみているが、こんなもん一生のうちの全部をつぎ込むなんてばからしいものであり、もしみんなが天皇をやるとすれば、例えば作家や芸術家は無理だろう、表現の自由が捥がれる。僕は、才能こそなかったかもしれないけど、実は芸術家になりたかったのだ。だけど、こういうやり方を芸術と間違えてしまった。

僕には君しかいないんだ、僕の部屋には君の写真しかないんだ、と王様はヒステリーを起こすが、ちゃんと各年代のAV女優が彼の部屋には咲き誇っており、私もそのフェティシズムの一環である、そして一環に過ぎない、というのをわきまえていないとこの稼業はできないと思う。まあつまり、突飛が過ぎるが、私は放送作家なのだ。作家と演者なのだ。私はいかに演者がエネルギッシュで無限大の知性を発露できる媒体なのかがわかる。私もいつか演者に。なりたかった。だけどあらゆる可能性をこの王様に搾取されている。私が演じる場がこいつによって握り封じこめられる。

台風が過ぎ、秋虫が鳴いている。王様の夏も、何回も来る夏が、さっさと終わらないだろうかと思っている。私の可能性を考えると、人から言われたけど、王様の放送作家なんて、あまりに勿体なさすぎると言われた。苦労こそしないだろうけど、飛躍もしないだろうと言われている。

私という人生は、特にめぼしい光を狙っているわけではないが、手近に500万円が欲しいなと思っている。詩を売っても、うまく稼ぐことができず、詩集を作る2万円が捻出できずにいる。500万円あったら、好きな作家の絵を根こそぎ買えたりするのだから、さっさと金が欲しいと思っている。

王様は言う。「君の詩は1口100万もくだらない。僕が適正な価格で買い取る」と言う。私は今100くらい詩のストックがある。1億。安易に手近な出版社で詩集を出すなと言われている。私は目の前に金があるなら掴みたいと思うけど。

王様がもうすぐ玉砕するのだが、私は王様に会ったことがないので、何にも言うことがない。王様が何を意図してこんな王国を作っているのか、まず大前提、この王国とは何かが、私にはわかっていない。だってそれもそのはず、私の味方が誰かをわからないまま、ただ評判だけを耳にして創作しているのだから。王様はかつて芸術家になりたかったことは知っているけど、芸術とは何か、そして王様が目指したものが何かが、この国ではトップシークレットらしい。

少女性がこの国では一番重視されていたものではあるが、私はくだらないなと思っている。王様にとってはフェティシズム、国民からすればバイブルであった、ガラスの靴やハートから飛沫出る赤い雨などは、私の文字を王様の中で擦って絞り出した不純物であり、私の文学ではそのような概念はない。きいろい言葉などはある。3~5歳児が使うような、よちよち言葉というか。その名残はいまだにあるが、かねてから私に関心があるのは寺山修司が睨んでいた「青年性」である。少女であることより、青春を続けていく青年であること。その青年性を焚き付ける上で、死なないようにするメソッドがある。これを「創作学論」と呼んでおり、今からわたしはパスカルを読まないといけないが、大学を作るより、学問を作るという野心は、誰にも私から買い取ることはできないだろう。創作学論を推進していく中で、「スピリチュアルを言語化」しないといけない。それが一生かけて行う仕事なのだろうなと思う。

王様は私の野心にいつのまにかついてくることができなくなり、2023年の8月15日に消滅した。彼は言った。「俺の国には戦争がなかった。ただ愛国心で一夜にして燃えた」。