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親不孝通りで君を捨てる

「なあ、美幸。お前は幸せか」

「うんー」

 愚問であった。こいつは今となってはもう幼児みたいなもので、空腹でない限りはいつだってご機嫌なんだ。今美幸はサイゼリヤのケーキを食っている。俺の最後の三〇〇円はこのチープなケーキに消えた。

空腹を癒したという意味では、美幸は幸せであろう。本当は、なんていうか、人生を通して幸せであったかどうかなんてことを訊きたかったのだけど、最早美幸にはそんなことを考える知能はなく、今こうして美幸がにやにやしているのを見ているだけで良しとしよう。

これから俺は君を捨てる。もうそうするしかない。君はどうにかして強く生きてくれ。君にはなんやかんやでうまく生きていける素質があるはずだ。昔っからそうだ。あの日を迎えてからも、君はその才能で僕を救ってきた。

っていうかね、君はね、僕なんかの手になんか負えないんだ。君のせいでいろいろな出来事に巻き込まれる僕の身にもなってほしい。でもそれも今日で最後だ。僕は勝手に一人で死んでやるよ。

福岡であったとしても真冬は寒い。大学入学と共に東京から福岡にやってきてわかった。今日はなんだか特に寒くてサイゼリヤの温度調節がまだ間に合っていない。ごめんなさい店員さん、僕たち朝の六時に来ちゃったから迷惑してるでしょ。突然の来客にうとうとしかけていた店員がせわしなく動いているにもかかわらずケーキしか頼むものがなくて本当に申し訳ない。そんな中マイペースに美幸が一口一口ケーキを口に放り込んでいく姿を見ていたら、僕の脳内で走馬燈が始まった。昨日の今日だから、すごく意識が朦朧としている。今はただただ眠りたいけど、僕たちにはそんな場所はない。

僕は、なんていうか、本当にしがない大学生だった。いつも法律学入門の授業で僕を囲うように座ってきやがる奴らと異なる点を挙げるとすれば、確実なところでは友達が少ないこととか、もしかしたら向こうには家族がいるかもしれないけど僕は孤児であり、一単位に懸ける思いが強いとか。共通点は、バイトに明け暮れている・授業をつまらなく思っている・ゆえに今回も単位を落とす予感がするぐらいのものかな。

周りに座っている奴らはその日も知能が〇で下衆さは一〇〇点満点の話をしている。どこぞのサークルに入っているあの子が可愛いけどガードが堅いだの、その代わりあのサークルの彼奴はブスだがすぐやらせてくれるだの。その日はやけに色めきだっている感じがするな、と思ったら可愛くてすぐやらせてくれる女を発見したらしい。

それが美幸だった。いつも学食のあの席に座っているとか言うから、試しに見てみようと昼休みにめったに行かない学食に行った。ちなみに当時僕は童貞であった。その辺の下衆な興味・興奮に関してはお察しいただきたい。

確かにすばらしく可愛かった。昔の美幸を目の当たりにして言えることではないが、都会を歩けばどこにでもいそうな量産型の可愛さではあった。しかしかけがえのないオプションがついている。やらせてくれることだ。僕は彼女に性行為を申し込む勇気は持ち合わせていなかったため、遠くで彼女をニマニマと見つめることしかできなかった。僕はそれで充分だった。

その日から学食で学食を食べず、スーパーで買った五〇円のおにぎりを三つのんびり食っては美幸を見ていた。たまに携帯を弄ることで視線をカモフラージュしていた。

ある日、美幸のグループで僕が話題に取り上げられた。僕の視線が嫌らしいからではなく、僕があまりにボロボロの格好をしていたからである。

「あの人、ヤバくない、あの格好?」という一言から、あの人と付き合えるか否かについて議論が始まった。さっき僕が食ったおにぎりの話だとか、僕の顔面偏差値についてだとか、いろいろ話が及んでいた。僕は内心ヒヤヒヤして、聞いていられなかったので、席を立とうとした。すると、美幸が

「金遣い荒い馬鹿よりはまし」

と言っていた。僕はその評価で満足していた。

 そのまたある日。いつもの席はやめておいたものの、美幸が見える席に座った。しかし美幸はいない。自分の視線に気づいてしまったのだろうと結論づけたら、なんだかものすごく寂しい気持ちになった。そしていつものようにシャリがかちかちの鮭おにぎりを食べようとしたら、

「そのスーパーのおにぎり、おいしい?」

と訊かれた。まごうことなく美幸の声だった。振り返ってみるとやっぱり美幸だった。僕は生まれてこのかた、出したことのないような女々しいうめき声を出してしまった。それからの昼休みは、美幸の弁当のおかずを分けてもらうことになり、むちゃくちゃ僕は幸せになった。

 

 やがて服を貰ったり、お弁当を作ってもらえるようになったりした。僕の家に来るようになり、僕がしたいと言ったらあっさりやらせてくれたことから、なるほどこういうところがすぐやらせてくれるということなのだな、とわかった。全然嫌じゃなかった。要は尽くしてくれるということなのではと思った。

 周りで授業を受けている奴らより断然自分のほうが幸せであるという自負が持てるようになった。今までなかったことだ。しかし、そんな自負を持てたのも束の間、僕たちは第一の壁にぶち当たる。

 僕が風邪を引いたある日のことであった。美幸は僕に内緒で僕の部屋に食事を作りに来たようで、僕の家の近くのスーパーで買い物をして僕の部屋に向かっている時の出来事であった。

 地震が起きた。僕は貧乏なので部屋に何も物がなくて助かったが、美幸はその時丁度階段を上っていたところであり、地震中足を滑らせてらせん階段からすべて転げ落ちた。その後急いで病院に駆けつけたら、美幸の脳味噌から記憶が全部吹っ飛んでしまった。それが破滅への入り口となった。

 美幸の親からは、お前のせいで娘がおかしくなったと詰られた。奔放なイメージが美幸にはあったが、親は糞真面目で堅物だった。美幸の親が美幸を連れ去ってから、美幸と二度と会えない気がしていた。

 しかし夜中に交通整理のバイトをしている際、外をほっつき歩く美幸を保護した。

地震前も後も言及こそしなかったものの元々親のことはあんまり好きではないことを察した。後に美幸の親が「御宅に美幸は居ますか?」と尋ねにやってきたものの、僕は家にいる美幸の存在を隠し通した。それから、美幸と僕の生活が始まった。

まず僕は大学を辞めることにした。つまらないくせに時給が出ないし、何より今差し迫ってお金が必要だからだ。大学なんか通っていたら、奨学金の返済額が増えてしまうではないか。

美幸はまともに生活できないくらいに知能が低下していた。食事・洗濯・掃除・着替え・排泄諸々は全部僕が担当・処理した。大変だったけど、それでも僕は幸せだった。でもやっぱり大変なのは確かで、ある日僕はうっかり部屋の鍵を閉め忘れて仕事へ出かけ、帰ってみてみたら変な奴が部屋に入っていて美幸を強姦していた。僕は全力で抵抗したものの、相手が悪く、むちゃくちゃ体格良く・腕っぷし強く・理性だけは〇の糞野郎だったため、僕はボコボコにやられてしまった。そんな僕を見て、美幸は奴に向かって股を広げた。美幸は美幸なりに頑張ってへたくそな喘ぎ声を紡いでいたのが功を奏したのか、その後すぐに変な奴は帰った。

知能を欠いた後も、美幸は性行為が大好きだった。男性器の隷属である僕が悪いのだけど、時間があれば二人でいちゃいちゃして、だから美幸は喘ぎ声の効果とかを知ることになったんだと思う。要は自分のせいでもあるんだけど、でもむちゃくちゃ胸糞悪くて、ショックだった。それからというものの、美幸が求めてきたらビンタして黙らせていたし、酒を飲むようになった。明け方まで飲んでいるとバイトに支障をきたすようになって、暴力沙汰とかひと悶着あってクビになった。

最初は美幸のせいだ、美幸のせいだ、と思っていたけど、よくよく考えてみると自分と付き合うようになってから美幸がおかしくなったに違いなかった。僕が諸悪の根源なのだ。

この世が憎くて憎くて仕方なかった。この世に生きる価値なんてもう見出せなかった。僕は美幸を殺して僕も死んでやろうと思った。それ以上の思考は及ばなかった。僕が元いた施設が柳川にあり、急にそこが恋しくなった。最期にいい恰好しようと、美幸を川下りとかに連れて行こうとした。それが昨日だ。

通帳には一万弱あったので、全部下して柳川に行った。川下りは目から眼球が落ちるくらい高かったので断念した。代わりにむちゃくちゃいいうなぎを食べようと思い、一番高いうなぎを二人で食べた。うなぎを食べている美幸の顔があまりにもきらきらしていたので、僕は号泣した。店員さんにはこんなにおいしいうなぎを食べたことがないからで~~と誤魔化したが、本当はただ単純に美幸がきらきらしていたからだった。今まで付き合ってきてあんな顔は、見たことない。僕はもうこれで生きる価値は充分すぎると思った。もう死んでもかまわないと思った。

そこらへんの海沿いを歩くと、おんぼろのボートを発見した。適当な木屑をオールにして、心中へ向かった。僕が漕ぎ、美幸がはしゃぐ。「つきがきれいだねー」と美幸が言う。たしかに、きれいだよね。月以外なにもないここでなら、僕たちは死ねそうな気がした。僕は美幸に立ってくれと懇願した。美幸は立った。僕は思いっきり美幸を突き飛ばした。美幸は溺れた。しかしボートにしがみつき必死に死から足掻こうとしていた。僕はしばらくして美幸を助けてしまった。「ひどいひどい」と美幸は僕を責めた。僕はただ黙っているしかできなかった。ごめんなさい。美幸。

それから柳川駅まで歩いて、ふたりで体を温めあいながら待って、始発で天神まで西鉄電車に乗った。そして今親不孝通りのサイゼリヤにいる。柳川駅で待っている間、ずっと美幸のことを考えていた。この人にとっては、死ぬことがなにも、最善ではないのかもしれない、とやっと思い至ることができた。この人にとっては、生きるためなら、例えば体を売ることも容赦ないのかもしれない。それだったら、しがない男である僕が、生を奪う権利なんてないのかもしれない。いやそうに違いない。

だから、美幸。僕は君をここで捨てるよ。風俗に売るなんて言い方は聞こえが悪いけど、僕なんかと一緒にいるよりは、狡賢い奴らにしがみついて、そいつらが成す利益のおこぼれを貰って生きていたほうが君はいいのかもしれない。……なんて考えていたら、とっくに美幸がケーキを食べ終えて不思議そうにこっちを見ていた。

サイゼリヤを後にして、風俗街へ。美幸が寝ている間に風俗店とは話をつけていて、そこに美幸を置きに行こうと考えていた。その店に着くや否や、

「けんしろー、もうさよならなの?」

と美幸が訊いてきた。うん、と答えると、

「じゃあ、けんしろー、ちゅーしよう」

と美幸が言ったので、人目が気になるところではあったが、最後なので仕方なくキスをすることにした。

 唇を重ねて、美幸から舌を絡めてきた。僕も従うことにした。結構グイグイ奥のほうまで絡めてくるな、と感じた瞬間、ガリっと音がした。


 なんと美幸は僕の舌を噛み切ったのであった。