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伊藤啓介と家族の冒険

 伊藤啓介は神戸市で生まれた。本人の弁によれば病院に駆けつけるタクシーの後部座席で生まれたということである。
誕生後の第一声は運転手に向かって発した「領収書の宛名欄は空白にしておいてください」であった。
いささか伝説めいてはいるが、後年ビジネスで大成功し巨万の富を得ることになる啓介らしいエピソードである。
父親の純介は自動販売機の下に落ちているコインをアイスキャンディの棒で掻き集めるという事業で成功し、またたくまに配下8000人を統率する大企業に築き上げた立志伝中の人物だった。
アメリカ生まれの母親、敬子はニューヨークのジャズマン相手に最高品質のヘロインと偽ってインクジェットプリンターを売りつける詐欺常習犯で、合衆国連邦警察から指名手配を受け逃走中だったところを、ニューヨーク市地下鉄の自動販売機の下を物色していた純介に助けられ、輸出用のロールキャベツの中に隠れて密航し脱出した。
窮屈なキャベツから敬子が出てきてあたりを見渡すとそこはチベットのラサの僧院だった。パンチェン・ラマ9世の胃袋で消化される寸前のところを脱出し、警戒中の僧兵たちに取り囲まれたものの、とっさに『ライク・ア・バージン』を唄い、その美声に僧兵たちが陶酔しきっている隙に、黄色い龍の文様の入ったセグウェイに乗って北京まで逃げた。啓介の音楽的才能はこの母親から受け継いだもので、後年啓介は「母は音楽が好きで、いつも改造したモジュラーシンセを弄繰り回し子守唄かわりにパルス状のノイズを奏でていた」と語っている。

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