見出し画像

えかきもじ展によせて ⑪

PARK GALLERY が今の末広町に移転してきたのは2016年の春。もうすぐ5年。2014年の秋から2016年の1月までは江戸川区の平井という街で、障がい者支援の NPO と一緒にギャラリーを運営していました。もう知らないというひとの方が多い。

最近は平井の頃の思い出を話せる仲間も減りましたが、あの1年は確かにたくさんのドラマと才能を生み出した時代でした。いつも誰かが笑っていて誰かが泣いていて、歌うひともいれば踊るひともいたし、喧嘩もすれば酒を浴びて倒れるひともいた。たくさんのパトカーと救急車が駆けつけたりもしたけれど、あれはあれで不器用なりに、下手くそなりに、全力をかけて、夢中に、でもそのかわりちゃんと全身を使って呼吸をしていました。利己的な人間や傍観者に唾をかけたくなるような気持ちが育まれたのもこの1年だといえます。けっ。

現在開催中の50人のイラストレーターによる『えかきもじ』展は、あのときのような呼吸を再び取り戻したくてかつてパークで個展をしてくれたひとたちに、全員ではないですが声がけさせてもらったところもあります。コロナ禍における緊急事態宣言で、集まる、ということは困難になってしまったこともあって、もうこの先みんながあのときみたいに集まって、歌ったり踊ったりっていうのはないんだろうなと諦めそうになっていましたが、せめて作品だけでもと、いう気持ちでいまもいるし、ぼくはいつでも歌って踊る準備ができています。

今回紹介する作家はあの頃よく踊ってた3人です。これは別に比喩でもなんでもなく、本当に踊っていた3人です。

-----

『Exotic York』というタイトルで、RPG のゲームのような架空の街を広げ、めまいがするほどカラフルでポップな個展を平井で開催してくれたのはぶっちょさんことさらだひじきさん

現在は京都に拠点を移して活動をしていますが、当時は近所に住んでいてよく自転車で遊びにきてくれました。あの時は自転車で遊びにくるひといっぱいいた気がする(いまも自転車で遊びにくるひとがもっと増えるといいなっていつも思います)。

当時のぶっちょさんを知ってるひとは、トイボックスをひっくり返したかのようなビビッドな色彩が記憶に残っていると思いますが、京都へ移ってからは、わりとカラフルなんだけれどシックで落ち着いたトーンが定着しています。ダイナーのパフェと純喫茶のクリームソーダのちがいくらいのものです。でも遊び心というのは忘れていなくて今回の作品も、ぶっちょさんらしさが漂う作品になっています。

画像1

読めますか。漂う『ゆ」です。湯気の『ゆ』。ただ文字を描くのではなく、テクスチャーや素材を楽しんでいる(楽しんで欲しいと思っている)あたりに、はんなり『さらだひじき』節を感じるのでした。

画像2

ソーダ水に沈んだゼリーのようなイラストはこちらから
https://www.instagram.com/salad_hijiqui/

いまでもくるくる踊ってるのかな、さらださん。

-----

あの頃からうまいとかへたとか、有名とか無名とか、そういうのにまったく興味がなかった。むしろ上手なひとや有名なひとの高飛車な態度、姿勢にうんざりした経験があったので、 ずいぶん長いあいだ必要以上に中指を立てていたような気がします(いまは必要な分だけ中指をたてています)。だから当時、イラストレーターのたざきたかなりくんが「個展をやりたい」と作品を持ってきた時はワクワクしましたね。

へたなのに自信ありげ。なんです。
でも、アートの文脈においての必要悪というか、成功するために不可欠なエピソードというのはすぐにわかりますよね。でも、ぼくだけが「いい」と思っていたらそれはやっぱり不安だけれど、デザインを手伝ってくれていたアロエくんもすぐに見て気に入ってくれて、この時くらいからかな、まだ無名だけれど、才能あるやさしいやつと一緒に成長していきたい、と思うようになった気がします。やさしいやつがポイント。いま振り返れば、たざきくんの成長がまるでパークのあゆみのようでもあったな。あの時のパークはお金がなくて夏の個展だったのにクーラーがなくて、じゃあ部屋暗くして怖い話しましょうっていうたざきくんの発想も、平井のパークを象徴している気がしています。

画像3

順調と描かれたたざきくんの作品。あの時からずっと大事にしている『たざきブルー』とも言える空の青。好きな音楽が流れるといつだって歌って踊るたざきくんのアクロバティックな視点が、年々、成熟しているなと感じてはいたけれど、このくらいの引き算された静かな絵を見たときに、これが、たざきくんが探してる絵の、『今』の正解な気がしました。

画像4

空と木と雲と、それを見上げてるポジティブな誰かがいれば、それでいいのかもしれない。

-----

イラストレーター福田とおるくんは当時平井に住んでいて、店番として手伝ってくれたり、イベントを盛り上げたりしてくれていろいろ力になってくれた。感謝してもしきれない存在の1人。そして一番パークで踊っていたと思う。

もちろん彼の絵の中のキャラクターもいつも踊っているようで(時々踊り疲れたような表情が描かれたりもする)、まわりにいるみんなをいつも明るく楽しませてくれていた。アイドルやサンリオなど『好き』を全開させる=頭の中の妄想を爆発させて絵に落とし込むことの大切さ、すごさをみんなに身を持って教えていたのも彼だったと思います。

平井のパークがクローズするというタイミングで、とおるくんも長く住んでいた平井を離れると聞いて、なんだか1つの時代が終わってしまったような寂しさを感じたのをいまでも昨日のことのように思い出します。

ここ2、3年で、東京にいながらも大阪で作品を発表する機会が多かったとおるくん。なかなか原画を見る機会がなく、今回の『えかきもじ』展で久しぶりにとおるくんの絵を見た、という人も多いかと思います。そして同時に、「福田とおるの絵がなんかすごいことになってる」と思った人も多いと思います。

画像5

裸ん坊。見えてきますか。

もともととおるくんはズバ抜けたデッサン力の持ち主で、その技術のおかげで最低限の線と色で様々な感情を表現してきた、というのは平井の時から知っていたけれど、1つ何か、突き抜けた感じをこの絵から感じました。うまく言えないけれど、酒とたばこを覚えた高校生のような感じでしょうか、親と子の愛情みたいなものを少し前は『物語』や『背景』に任せていた気がしたけれど、肉体というか、線というか、絵で表現できてしまっているという感じがしました。踊らなくなったけどずっと変わらず人気のアイドルみたいな貫禄さえ感じました。元気なさそうでしたが、元気だしてくださいね。

画像6

----

企画がきっかけ、久しぶりに連絡取れたり、会えたりっていうのができたひとがたくさんいて、コロナ禍に改めて『場』の大切さを感じたのでした。

あれから6年も経ったとは思えないのは、みんなそれぞれ、あの時の平井の魔法から抜け出さないとと、2、3年苦しんでいたからだと思います。実際ぼくがそう。だからここでこうして、みんなの『いま』が見れるのをうれしく思っています。

そしていつかまたみんなで歌って踊れる日がくるまで、ぼくはパークの旗を掲げていたいと思います。どうぞ引き続きよろしく。

加藤

えかきもじ展は残すところあと今日を入れて4日。



🙋‍♂️ 記事がおもしろかったらぜひサポート機能を。お気に入りの雑誌や漫画を買う感覚で、100円から作者へ寄付することができます 💁‍♀️