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猫背で小声 season2 | 第14話 | オカン、一言多い。 けど、一品多い。
ある日、
というか
あの日、
オカンの誕生日が近づいていた。
今までプレゼントを何もあげてこなかったわけではないが、ふと、なにか印象に残るものをあげたくなったのである。
オカンの好きなものは「花」。
家のリビングには気づくと花が飾ってあったし、今ではオカンとぼくしか行かなくなったけれど、先祖のお墓にも花を買って添えるほど強い想いがあるのだと思う。
そんな姿を軽いタッチと深い気持ちで注視していたぼくはある人の顔が浮かんだ。
パークギャラリーでお世話になっている「お花のお姉さん」である。
知り合って間もないけれど、とても熱い気持ちを持ってる人なんじゃないと勝手に妄想していたので、熱い気持ちが冷めぬまま「花を作って欲しい」とメッセージを送った。
そうすると、
「いいですよ!了解!」
「ステキな 2023 のはじまりにしましょう!」
お姉さんこそ、ステキやん。
どんな花にするのか、詳細な依頼をするまでには少し時間が空いたけれど、そのあいだ、オカンのことを考えるたり、見たりする時間が増えて、とても良き時間に思えた。
で、オカンの誕生日当日を迎えた。
なんとお花のお姉さんはぼくの地元の駅に花を届けに来てくれた。
そんなことまでしてくれるお花屋さんには生まれてはじめて出会った。
そしてお姉さんから花を受け取る前なのにぼくは感極まっていた。
なぜかというと、花をあげたことによってオカンの泣き顔を見てしまうんじゃないかと思ったからだ。
強いオカンの涙はあまり見たくない。それが例え「嬉し涙」でも。
それは変なプライドというか、見ちゃいけないものを見てしまうかも、といった怖さや恥ずかしさも正直ある。自分でも処理できない気持ちの中、地元駅まで来てくれた「お花のお姉さん」から花束を贈呈をされた。
花はもらった!
あとはあげるのみ!
ぼくの手元にはていねいに包装され、ていねいに紙袋に入れられた花束。花を折っちゃいけないという気持ちも同時に抱えていたが、それより勝っていたのはオカンの顔がどうなるかだった。
![](https://assets.st-note.com/img/1679648328185-WVlApszdlH.jpg?width=1200)
家に着く。
さてあげるぞ。
家のリビングは2階。
ここで残念なお知らせ。
2階の階段をあがる途中、ぼくはもう泣いていた。
口もへの字に曲がっている。
でも、堂々とオカンにあげたかったから、コロナ禍での政府の要請など無視してマスクを脱ぎ捨て、ある意味すべてを脱ぎ捨て「丸腰の気持ち」で花束をあげたのだ。
「オカン、おらんじょうびおめれとう」
泣いてるから呂律ももはや悪魔と化している。
戸惑いと同時に泣きそうになるオカンだったが、ぐっと堪えたのか
母「ありがとう」
ぼく「・・・?」
母「アンタが泣いてるからワタシは泣けない!」
![](https://assets.st-note.com/img/1679648344306-y50fR4TmNu.jpg?width=1200)
「最高の誕生日」であり「最高のプレゼント」になった。
さて、オカンの誕生日プレゼントになぜ「花』をあげようとしたのか。
それは、オカンがもうすぐ死ぬかもな、と感じていたからである。
オカンは今、確か72歳。
まだまだ死に直面する年齢ではないかもしれないけれど、いつ死んでもいいようにと、思い出を作ってあげたかった。
実はオカンは国指定の難病を抱えていて、去年新たに難病を患った。
これで2つの難病を抱えることとなる。
でも寝たきりだとかそういうわけでもない。コロナ禍のあいだにいつの間にかドラマとかジャニーズに詳しくなっていたのは驚きだし、人生を楽しんで話している姿がとてもステキだ。おかずもいつだって一品多い。
いまだに実家暮らしのぼくに、「石鹸を使いすぎ!」だの、鬼嫁のごとく強くあたってくる母親だが、
この「オカンの日常」が優しく過ぎ去ることを願いながら、今日もハンドソープのポンプを4回プッシュしてしっかりと手を洗い続けるのだ。
「鬼嫁でもいいから幸せをくれ!」というのが自分史上最大の願いなのだが、そんな願いは置いといて。
幼い頃から不登校、引きこもり、就職もせず不穏に歳を取り、不安なことばかりしてたと思う。
そんな花親に、感謝の想いと気持ちを込めた「お花」だったのだ。
いや、
こんなぼくなんかでも今日まで幸せに過ごせたお礼だ。
オカンが見ているドラマよりよっぽどドラマチックなんじゃないかと伝えようと思ったけれど、それを言うとまたいつものオカンになっちゃうので、言わないまま、ただそばにいて、安心していつか来るであろう死を迎えてもらいたい。
これが、あの日、
た・ぶ・ん、
はじめて親孝行をしたであろう43歳の男の日常なのである。
文 : 近藤 学 | MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00
絵 : 村田遼太郎 | RYOTARO MURATA
北海道東川町出身。 奈良県の短大を卒業後、地元北海道で本格的に制作活動を開始。これまでに様々な展示に出展。生活にそっと寄り添うような絵を描いていきたいです。
https://www.instagram.com/ryoutaromurata_one
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