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#06 「かけら」

このコラムでは、現在パークギャラリーで開催中の『THE BEST展』に参加してる20人のアーティストの作品が、この小さな会場にどのように並ばれていったか、そのプロセスを語りながら、20人の作家の作品を紹介しています。残り水曜、木曜と2日となりました。大晦日まで営業するのはコロナに対するアンチテーゼでもあります。よしなに。

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最初からすべて決まっていた。

まるでアカシックレコードみたいな話ですが、展示作品を開梱し、並べた瞬間に、どの作品がどの壁に行くか、というのはほぼ最初からすべて決まってます。これは設営してきたキャリアとか、空間演出のテクニックではなく、第六感です。もしくは、気の流れに従うという感じです。これ以上言うと怪しいギャラリーと思われそうですが、とはいえ、すぐに、というわけではなく、『朝まで生テレビ』の田原総一朗みたいな視点で、作品同士のディスカッションを聞いているうちに、君の言い分もわかるが、ここはこうじゃないのかい。という具合にポジションが決まってきます。もともと与えられていたという感覚に近いんです。うまく言えないのですが。

どこがいちばん目立つか

パークは小さなお店ではありますが、目立つ作品というのものは存在しても、『目立つ場所』というのは特にありません。入り口のすぐ横(ステートメントのある位置)は、2、3人や、勢いよく入ってくる人はみないし、石橋さんの作品を置いたいわゆる中心も、人によっては中心ではないですし、本当に特別な、という場所はあえて作らない限り、ありません。

ただし、毎日パークの2階に暮らしながら(そうです住んでます)、毎朝のようにゴミ捨てやなんやで、階段をのぼったりおりたりする、ぼく(加藤)にとって、毎日のように目にする場所があります。

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台湾出身で、移動している人の『観察』をテーマに人混みのスケッチで表現活動をしているアーティストの戴飴霏(タイイフィ)さんの作品がある場所がそうなんです。毎朝、階段をおりると、必ず目が合う。毎日のことなので(そもそもぼくが公園にいる時のように気持ちよく過ごすために自宅をギャラリーにしてるので)、ここに来る作品は対外的かどうかはさておき、対内的にとても重要。

記憶の中のレイヤーの話

タイイフィさんは、有名無名問わず、目の前を通り過ぎていってしまうひとたちを、この世界の『主人公』として、受け止めるようにドローイング作品を描いている作家さんなのですが、今回『ベスト』としてあげてくれた作品は、台湾を離れるタイイフィさんを見送る、お母さんの肖像です。

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『記憶』を閉じ込める装置のような『額=箱』と、その記憶を定着させるために用いられている塗料はなんと『接着剤』。ボンドの、液の塊で描かれてる作品です(オーサム!)。

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見送る母の顔、周りの人混み、一番後ろの改札にいる母の後ろ姿。様々な種類の塗料で、そのレイヤーが記憶の断片として切り取られている作品です。

確かに、親に見送りされる時って、いくつかの複数のレイヤーで景色が構築されてるなって、ぼくも思いました。例えば車や新幹線の窓だったり、改札の向こう、駅のホームとか、少しだけ不透明な光を受け止めながらお別れするんですよね。その感じが、どこか懐かしく、忘れてはいけない感覚だなと、思い起こしてくれます。

タイイフィさんの作品を中心に、OIKAWAさんの作品、折田さんの作品が円を描き始めます。この先は、さらに円を描いていくような設営になります。

プリミティブなエネルギー

タイイフィさんの作品に描かれている母親の気持ち、にシンクロするような作品として、イラストレーターの小林葉子さんの作品を、円を意識して少し斜め上に配置しました。これは、「記憶を呼び起こそう」とするときの、ちょうど見上げた位置に飾りたいなと、最初に決めていたことでもあります。

小林さんに尽きるわけではないのですが、流行りのドローイングやペイント、モチーフが横行する中で、シンプルに絵が好きで、母性にも似た『愛情』から生まれてくるイラストレーション表現というのはぼくは好きで、小林さんにはそれを感じて、今回選ばせてもらいました。

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冷静に考えると、もう少しモチーフやテーマにオリジナリティが必要かなとか、#02 でも述べたコンテクストがあるといいなとも思うのですが、なんというか、単純に『引き寄せられた』んですよね。ゴーギャン、といったら少し言い過ぎかもしれませんが、プリミティブな質量を描く才能がめちゃくちゃある人だなと言う印象を受けています。家族とか、動物とか、食べ物とか、自然とか。呼吸を描くといいかもしれませんね。この作品にも『呼吸』が描かれてます。美しい。

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このショウを終えた娘たちの姿も、写実的とは違った、目に見えない、根幹や『光』が描かれているような気がしました。アーティストになるというのは「光を捉える人」にならないといけないんだなって、思います(描くのは闇でもいいけれど)。

すきこそもののじょうずなれ

よく、イラストレーターになりたいんですけど、どうしたらいいんですかね? という質問を若い子からもらいます。そう言う時は、とにかく描きたいものを描きなさい。というようにしています。あざとく、いま流行りのものをモチーフに選ぶのではなくて、自分が得意なものに目を向けるのではなくて、下手でもいいから、自分が好きなものとか、描きたくて描きたくてうずうずするものを、(だって我慢できないのだから)毎日描きなさい、といっています。我慢できるうちは、まぁそれまでというか、きっと売れないと思います。

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自身の『好き』を全力でぶつけてくる河原奈苗さんの絵が好きです。犬や花、色、おしゃれな女の子、そのすべてが1枚の絵に、ドーンとてんこもり。今回の作品もとにかく『犬』『犬』『犬』。ロンドンで絵の勉強をしていたこともあって、規格外の盛り込み具合(個人的には本人の髪の色くらいもっと遠慮なく『好き』をあらゆる角度でぶちこんでいいと思うんだけれどそれだとやりすぎなのかしら…)。

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溝口健二監督「赤線地帯」の京マチ子さんからインスピレーションを得たとは思えない(いい意味でですよ!) 自由な『色使い』、『好き』とのバランスがとてもいいなと思います(でももっと枠からはみ出た自由奔放な表現がみたい)。

折田さんのビビットな写真にも、kirinpicnic さんの強烈なカラーリングにも負けない『好き』のエネルギーが溢れている作品が、円を描いています。

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河原さんの作品タイトルは『かけら』。好きなものの『破片』と思うと少しさみしくもある作品です。こんなふうに、言葉の力も合わせて楽しんでもらえたら嬉しいです。

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この一部だけ見ても、THE BEST 展という展示からしてみれば、一人ひとりの作品は『かけら』かと思います。どこもセンターだしどこもセンターじゃない。どれか1つが特別優れているとかではなく、かけらが集まって、新しい何かが生まれるという感じ。それを、描いて、伝える、その『パーク』こそがアーティストであるべきだなと感じています。

切り貼りを表現するコラージュという言葉では少し足らなくて、やはり、焚き火、もしくは神輿、みたいな感じでしょうか。

どんな空間ができあがったのかを、しっかりと分析するのも、ぼくらの役割でありしごとですね。

というわけで、明日もよろしくお願いします。

パークギャラリーに居るひと
加藤淳也 👉 instagram





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