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issue 27 「大人になってしまった人たちへ、天使がくれた、プレゼント。」 by ivy

大人になるって、どういうことだろう。なんなら思春期並みのアイデンティティ迷子を未だに引きずっているし、もしかしたら10年後もこんな感じじゃないかと思っている私だけど、悪い意味で「大人になること」を実感してしまうときがある。

それは、会社で30代中途社員と間違えられるとか、初対面の人とは自然とよそよそしい態度になってしまうこととか、こまごまとあるけれど、一番は「たられば」の話をしてしまうときだ。正確には、喉の奥を超えて音声になることはあまりない。他人の「たられば」を聞くのは本当にうんざりしてしまうし、心の中でイヤフォンを付けて、音量を MAX にしたくなるくらい嫌だから、自分も反射的に他人へ「たられば」を話すことを避けている。

あの時、こうしていれば。日常の些細なミスや嫌なことがあった時、どうにもならない仮定を脳の中で繰り返してしまう自分に嫌気がさすんだ。これを飲み屋で垂れ流すような人にだけはなりたくないなぁ。未来が手のひらから零れ落ちていきそうだもの。

さて、そんな自覚を持ったこの頃、タイミングよく見ることになった映画がある。ニコラス・ケイジ主演、『天使がくれた時間』という作品。簡単にいうと、恋人とのささやかな幸せを捨てて成功したビジネスマンがクリスマスの日にひょんなことからパラレルワールドに飛んでしまい、そこでは「もし、私が仕事ではなく、恋人との生活を選んでいたら」という世界が繰り広げられていた、という話だ。

この作品のミソは、パラレルワールドでの「ささやかな幸せ」に順応しきれない主人公の歯がゆさにある。基本的にはコミカルなタッチで描かれ、可愛らしい家族の深い愛情で包まれた「優しい世界」なんだけど、そこにいる主人公は、ことごとく現世と変わらない。家族との幸せを噛みしめる瞬間があっても、そこでの主人公がとる言動は、「もしも」の世界を生きている人々にとって違和感があるものになってしまう。

その違和感に真っ先に気づくのは、子どもたち。「本物のパパはどこ?」という無邪気な言葉が象徴的だ。徐々にパラレルワールドでの幸せに気付き始める主人公だけど、その先にも決してご都合主義にならない、ほろ苦い、一筋縄にはいかない展開が待ち受けている。

その先はぜひ、年末年始の暇つぶしにでも見て欲しい。で、ここでの変わらない、変われない主人公を歯がゆく感じてしまうのは、たぶん既に私自身が同じように昔の「たられば」の世界へ飛んだら、きっとそれを受け入れられないんじゃないかなぁって思うから。

今、どうにもならない「たられば」を語っている時点で、私自身がそういう選択をする人間だったんだ、ということだと思う。もし違う選択をしていても、今想像すればよさそうに思えても、結局のところうまくはいかないんじゃないかって。逆にもしうまくいくかを確かめたいなら、思い切って、今その「もしも」をやるしかないんだ、って。

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頑固な主人公が映画の最後に取る行動は、そんな悪い意味での「大人」の姿に抗う、思い切った行動なんだけど、やっぱり現実世界ではそれほどうまくいかない。そこまで丸っと映画にしているんだ。ご都合主義なクリスマス映画からはかけ離れた、大人たちへのクリスマスプレゼント。部屋をあったかくして、ぜひ見て欲しい。

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ivy(アイビー)
会社員で物書き、サブカルクソメガネ。
自己満 ZINE 製作や某 WEB メディアでのライターとしても活動。
創り手と語り手、受け手の壁をなくし、ご近所付き合いのように交流するイベント「NEIGHBORS」主催。
日々出会ったヒト・モノ・コトが持つ意味やその物語を勝手に紐解いて、タラタラと書いています。日常の中の非日常、私にとっての非常識が常識の世界、そんな出会いが溢れる毎日に、乾杯ッ!
https://www.instagram.com/ivy.bayside

イラスト:あんずひつじ

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