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猫背で小声 season2 | 第19話 | 揺れて、いる

「祭は好きか?」

そんな問いに答えが出るような出来事があった。

今年の5月。

東京・末広町のパークギャラリーの近く、神田明神はちょっと騒がしかった。

なぜなら4年ぶりに「神田祭」が開かれることになったからだ。

この神田祭。日本三大祭りのひとつに挙げられていて、それがどのような賑わいになるのかは全く想像できない。

今日は土曜日。

ぼくはカメラを首に掛け、神田明神へと足を運んだ。

神田明神に近づくと、なにやら賑わっている。

縁日という感じで出店がこれでもかというほどあり、その店々のカラフルな看板らしき布が、この祭り全体を祝っているようにも感じた。

そこには、若者からお年寄り、外国人旅行者と、数えきれないほどいる。
マスクを外しているひとたちがほとんどで「もうコロナは終わったんだ」と感慨深く涙ぐんでいるぼくがいた。そんな自分を写すシャッターチャンスはなく、涙溢れるまま、ひとりパークギャラリーへと向かった。

パークギャラリーの前に行くと店は閉まっていた。「そうか祭りの日は休みなのか⋯」と残念としか言えない風景。またもやシャッターチャンスは逃したが、気を取り直してパークのある町の周辺を歩くことにした。神田明神から少し離れたところを歩いても、歩いても、お祭りの匂いがプンプンする日。

久しぶりに体感する祭りということで、それは奇跡にも似た季節。そんな町を歩いている。

しばらく歩くと末広町会のお神輿が待機している「神酒所」と呼ばれる集会所があった。あった、あった、と歳甲斐にもなく喜んでいると、そこにはパークギャラリーの加藤さんがいた。

店は休みだけれど加藤さんはキリッとした顔をしていた。そんな加藤さんと言葉を交わす。

「近藤さん、お神輿担ぎましょうよ!」

そんな一言から、ぼくの神田祭ははじまったのだ。

これまで写真も撮れていないし、神輿に参加するのか⋯と戸惑いながらも承諾。

パークギャラリーに戻り、半纏を着て頭にハチマキを巻く。これぞジャパニーズオマツリスタイル。

この日の数ヶ月前に新橋の喫茶店で偶然知り合ったイギリス在住のアナスタシアにも見せたい姿だった。お神輿をかつぐ格好をした途端、なんだか込み上げてくるものがあった。久しぶりのお祭りへの参加したからだ。

地元のお祭りに最後に参加したのは小学生の頃。35年前で、お祭りはいいイメージが湧かなかった。大の大人が奇声にも似た声で騒ぐことや、明るい時間帯からお酒を飲んでいる光景が受け入れられなかった。さめた目でお祭りに参加していた。

そんな過去を精算するかのごとく、お神輿ともうすぐ肩を組むのだ。
末広町会のひとたちにあいさつを済ませ、普段着でカメラを肩に掛けていた時とはガラッと心境を変えつつ、お神輿を担ぐ時間を迎えた。

お神輿に肩を入れる。

重い。
思い。
想う。

どうだ、35年ぶりの重さは。

あの頃の自分からの問いかけに言葉が何個も浮かんできたが、素直に感じたことといえば、お祭りって楽しいじゃん、という答えだった。

お神輿が肩に食い込み痛さはあるが、この痛さが35年前に感じたお祭りへの苦手意識と、その後20年間引きこもってきた後ろめたさを掻き消すほどの「痛さ」となった。

涙は出ない。お神輿周辺にはさっきあいさつを交わした末広町会のひとたちがまわりを取り囲み笑顔でこちらを見ている。数時間前に知り合ったばかりなのに、不思議とぼくを温かく見守ってくれている感じがした。

お神輿を担いだ瞬間から、ここ末広町会がぼくのもうひとつの地元になった。

お神輿が、上、下、と揺れて、引きこもっていた時間が攪拌(かくはん)されて、ピュアな気持ちになりそうな時間が続く。きっとフェスやライブにも似ているのであろう高揚感を感じながら土曜日を終えた。

日曜日。

お祭りの朝は早い。

末広町会の集会所に朝7時に集合。

昨日と同じく半纏とハチマキを身に付けて、昨日お世話になった町会の方々と改めてあいさつを交わす。

かつてパークのひとたちから学んだ、「あいさつ」からはじまるコミュニケーションを社会の中で実践している。

気持ちを込めてあいさつ。
どうやら顔も覚えてもらったらしい。
最終日がはじまる。

今日のお神輿は昼まで。休憩もあまりない。根性が試される日となる。
カンダフェス DAY2 今日も演者として参加だ。

お神輿に肩を入れる。

お神輿とぼくの身体が一体となる。

横には町会の代表としてお神輿の進路方向を調整する加藤さんと仲間の伊藤ちゃん。

ぼく周辺には知った顔ばかりで心強い。

セイっ セイっ ソーれっ ソーれっ と声を出す。

お神輿を担ぐひとたちの掛け声が小さくなった時に、自分発信で積極的に大きな声を出し始めると、周りから続いて声が出てくるのがおもしろい。

それは昨日のお神輿で学んだことだ。

しばらく担ぐ。
前へと進む。
神田明神の前に来た。

昨日カメラを抱えてひとりで見ていた風景と、今感じている情景は違う。
担いで、揺らいで、震えている。

いろいろな町会のお神輿が神田明神の前の参道に集まっているが、多分、ぼくが引きこもりから脱して、ここにいるんだぞという事実は、パークの加藤さんと伊藤ちゃんしか知らない。

たった3人の秘密事。多分ぼくが誰よりもいちばんドラマチックな思いでここにいる。

神田明神に手を合わせても叶わないような出来事が今、叶っている。

そんな誇らしげな気持ちで神田明神へ神輿を入れ、そして後にした。
そのままお神輿は進み続け、パークギャラリーの前へと着いた。
その時間、パークギャラリーはお店は開いていて、知った顔がたくさんいた。

お神輿の重さで苦しい顔をしているぼくに笑顔でカメラを向けてくれるひとたち。

なんて人たち。なんて人たちに恵まれているんだろう。

写真なんかより、景色がぼくの心に刻まれる瞬間だった。

さらに神輿を担いで町内を回る。

町と人への感謝。

街になっていく歴史に感謝。

いよいよ最終地点。

末広町会の集会所にお神輿が向かう。

ここまで満足な休憩を取らず、根性だけで重さに耐えた。
肩の皮膚はただれているかもしれない。
お神輿が上下左右と揺れ、最後の見せ場。
この2日間で気持ち揺さぶられたぼくの心のよう。
目的地につき、お神輿が止まる。

2日間が終わった。
2日間であり、35年間。

なんだか言葉に表せない日々だったけど、楽しかった。

お神輿担ぎましょうよ、のひとことで始まったのだが、こんな時空を超える出来事など予想できなかった。

お神輿終了後、パークギャラリー前の階段で町会からねぎらいで出されたお弁当を食べていると、笑顔で寄ってきたメガネくん。

黙って自販機で麦茶を買ってきてくれたことに最後涙が出てきそうだった。
この光景、一生忘れないからね。

肩に食い込んだのはいろいろな想いなのだ。


文 : 近藤 学 |  MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00

絵 : 村田遼太郎 | RYOTARO MURATA
北海道東川町出身。 奈良県の短大を卒業後、地元北海道で本格的に制作活動を開始。これまでに様々な展示に出展。生活にそっと寄り添うような絵を描いていきたいです。
https://www.instagram.com/ryoutaromurata_one

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